9-2 山科本願寺 証如2
「まあいいでしょう。誰にでもわかるように説明して差し上げます」
勝千代はその場ですっと背筋を伸ばし、丁寧に直垂の袖を後方に流した。
ちらりと周囲を見回して、四部屋にわたり開け放たれたその場所で、その全員の視線がこちらに集中していることを冷静に見極める。
勝千代の非礼に顔を顰めている者もいる。
反対に、騒ぎを起こした証如少年に眉をひそめている者もいる。
「許嫁のいる一条家の姫君を、無理やりに襲おうとしたのですよ。無理やり、手籠め、夜這いです」
こちらはほぼ同い年、しかも男同士。何を遠慮することがある?
はっきりと、どんな馬鹿でもわかるように懇切丁寧な説明をしてやったが、理解してはくれなかった。
そもそも勝千代が反論してくることそのものにご立腹なようで、頭のてっぺんまで真っ赤にして地団駄を踏んでいる。
これが「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というやつか? ……いやさすがにたとえが悪いな。
「そちが実淳の妻になる女子を隠し、おじいさまに怪我を負わせたと聞いたぞ!」
怪我を負わせたのは間違いないが、妻になる云々は断じて違う。
やはり何者かが都合の良い話を聞かせたらしい。
「妻になる? 一条家の姫君がですか?」
しれっと怪我の部分をスルーして、鼻で笑ってやった。
「姫君は、恐れ多くも今上陛下の皇子にあらせられる御方の許嫁です」
確かに、嫁として迎えるのであれば最上級の血統だ。
頭の片隅に過ったのは、たとえば実淳が愛姫を妻とした場合、もしかすると一気に宗主候補に躍り出るのではないか、という憶測だ。
実淳は非常に見栄えのする僧侶だ。父が蓮淳であれば、血統も申し分ないのだろう。
万が一、目の前のこの怒れる小坊主に何かがあれば、あの男が次期宗主に名乗り出でもおかしくはない。
その妻が一条家の姫であれば、権威も十分だ。
なるほど……と、蓮淳の思惑を推察する。
故宗主さまに「破門」だと言われ、あそこまで我を忘れたのは、愛する息子への厳しい沙汰に腹を立てたというよりも、将来への野望が一瞬でついえたからかもしれない。
「しかも御年九つ。あなた様よりも年下の幼い姫君です。酒を飲ませて手籠めにしようなど、随分と手慣れた風でしたが……普段からこのような事をなさっているのでしょうか」
勝千代は、周囲の居並ぶ高僧たちも聞こえる音量でそう暴露して、更に否定の言葉を聞くに堪えない口調でまくしたててくる小さな暴君に呆れの目を向けた。
「なるほど。それでは愛姫さまは実淳殿の妻になるべきだと? それが本願寺派の総意ですか?」
「何を当たり前のことを申すのだ! 我がそう言うたからにはそうなのだ! 頭を下げよ下民! そちのような無教養な野蛮人がこの場にいる事すらあり得ぬ!!」
おいおい、いいのか少年。
今ので美僧実淳の悪行が知れ渡り、ついでにお前の暴君ぶりが露呈したが。
「……よくお考えになってからお言葉を述べられた方が良い。仮にも次期宗主を名乗られるのでしたら、何千何万もの門徒を背負っている御立場です。その一言で、天皇家と公家のすべてを敵に回すでしょう」
明らかに周囲に手を焼かせているお子様に、正論をぶつけてみる。
小坊主が「おじいさま」と呼ぶ御方が息を引き取ったばかりだぞ。皆が静かに故人を偲んでいる時だ。間違っても、死者ですら起き出してきそうな騒ぎを起こしてよい状況ではない。
更には、大勢の高僧が雁首揃えて駆けつけてきている。
その全員が派閥の味方でないのなら、発言には注意するべきだ。
さすがにそれに気づいて罵声を途切れさせると思いきや、そんなことはなく、更には放置されていた誰かの湯呑みが飛んで来た。
つくづく僧侶B、いや蓮淳に似ているな。
「お静かになさったほうがよろしいのでは?」
勝千代が静かな口調でそう言うと、周囲の申し訳なさそうな気配が増した。
それでも誰も口を挟んでこないので、仕方なく溜息をつき言葉を続ける。
「もう一度申し上げます。一条家の愛姫様は、恐れ多くも今上陛下の皇子にあらせられる御方の許嫁です」
「だから何だというのだ!」
勝千代の度重なる忠告は、即座に足蹴にされ、ろくに耳を傾ける様子もなく無視された。
大きな声だな、少年。
気づいていないだろうが、お前の言動に顔を顰めている高僧が何人もいるぞ。
怒りに我を忘れて喚きたて、思うようにいかなければ地団駄を踏み、もう一つ気になるのが、やたらと物を投げて来るだけで、ずっと護衛の僧たちを盾にして前に出て来ない事だ。
本当にこれが次期宗主でいいのか?
「勝千代殿!」
もはや安穏と眠っていられないだろう亡骸の側にいた興如が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
狼狽し手をこまねいている役立たずの肉壁を押しのけ、フーフーと息を荒立てている証如の視界を塞ぐように立つ。
「……井の中の蛙大海を知らず、その典型ですね」
そうやって、頼んでもいないのに視界を塞ぎ、頼んでもいないのに過剰なまでに守るから、こういう勘違いくんに育ったのではないか?
「私は門徒ではありませんので、口出しする謂れはありませんが、感情で事を動かそうとする気質は大勢を率いる御立場としていかがなものでしょう」
「口が過ぎますぞ」
「それは、そこな御子によく言い聞かせておくことです。まるで己の方が御上より偉いのだという口ぶりだ」
いい感じで周囲からの視線が集まっている。
高僧だけではなく、彼ら付きの者たちまでもが狼狽し羞恥した表情で、必ずしもこのお子様自身が強い信望を集めているわけではない事が分かる。
まあそれはそうだ。
この子が次期宗主と言われているのは、ただ単にそういう血筋だったことと、亡くなった前宗主さまの遺言があるからだろう。
武家の嫡男と同じ形式だな。
必ずしもそれが威勢がいいだけのお子様のためになるとは思えないのだが。
もし証如少年が後を継ぐのであれば、分別がつく年齢になるまできちんとした後見が必要であり、それはこの子を窘めることができる大人であるべきだ。
「それにしても」
勝千代は浄土真宗の門徒ではない。
彼らの行く末を気にしてやる謂れも、忠告してやる必要も感じない。
ただ、転がしやすそうな現状だなと見て取るや、追加で「毒」を注入することを躊躇いはしなかった。
「おかしいですね……実淳殿はすでに齢三十を超え、そちらの御子は十歳ぐらいでしょうか。数え九つの姫君のお相手というのなら、どちらが相応しいかなどわかり切った事。それなのに何故?」
老僧B蓮淳は負傷したのでこの場にいない。ただ、これで完全に引っ込んだと考えるほどおめでたくはなかった。
今のうちに、更なる「疑心」の毒を注ぎ込んでおく。
「何故蓮淳さまは、一条の姫君を実淳さまにと言うたのでしょう」
実際に言ったかどうかは重要な事ではない。周囲にそう強く印象付ける事が出来れば、誰もがこの発言が蓮淳のものに違いないと思い込むはずだ。
「普通、本家の嫡男よりも位の高いところから妻をめとるなどという事はないと思うのですが」
さて、これでしっかりと「疑心」の種は埋め込まれたはずだ。
何も言わずとも、一条家の姫君以上の縁組の困難さを察するだろう。たとえばそれが可能だったとしても、現状一条家とは険悪な関係になることは決定的だから、相当に気を使った嫁取りになるのは確実だ。
老僧Bいや蓮淳。
鼻血はもう止まったか? 骨折したんじゃないか?
怪我自体は、血の量ほどたいしたことはないだろうが、戻って来たときにお前の居場所があるかな。
勝千代は真っ赤な顔で怒っている少年からあえて視線を外し、周囲を見回した。
特に注意して見たのが興如だ。
この男がこういう状況になるまで口を挟んでこないのが疑問だった。
目が合って、納得する。
……そうか、蓮淳の台頭をよしとしていないのはお前もか。




