9-1 山科本願寺 証如1
粛々と、故人を悼む僧侶たち。
大勢が別れを惜しみ、眠りについた宗主の側で肩を震わせている。
線香の匂いと、各人それぞれがひそかに紡ぐ読経の声で、広くはない部屋は重々しい空気に包まれていた。
浄土真宗本願寺派第9世宗主・実如は、息を引き取った時そのままの状態で、まるで眠っているかのような穏やかな表情で横たわっていた。
通夜も葬儀も、ここではなく本堂で執り行うそうだ。
ただ今は、まだ誰も動かず、脱力したように故人の死に顔を見つめ続けている。
すべては間違いで、再び瞼を開くのかもしれない。
そんな奇跡を待っているかのように。
あまりにも短い対面、そして騒動が起こっての不幸なので、勝千代がどう感じているかというと微妙なところだ。
遠くで亡くなったのであれば「そうか」で済む。
だが目の前だった。目の前で倒れ、最後の最後まで宗門のことを気にかけ、そして、ひととおりの事が済むまで息をし続けた。
勝千代は奇しくも、その一部始終を見届ける事になったのだ。
最期の瞬間、細くなった息が途絶えるその時、呼びかける僧侶たちの声がひときわ大きくなり、隣室の部屋の隅からでもその旅立ちが知れた。
皆に惜しまれての臨終。
同時にそれは、勝千代がこれまでに目にしてきた、野ざらしの死人たちを思い起こさせた。
片や大勢に惜しまれ見守られ、片や誰にも見向きもされず。
彼らの何が違うのだろう。
身分? 徳?
脳裏に過るのは雨。アスファルトに打ち付ける雫と、焦げたゴムの匂い。
死は一瞬ですべてを刈り取ってしまう。
死は死だ。
高僧も浮浪者の子供も夜盗も関係なく、平等に訪れるものだ。
だとすれば、今の己は何なのだろう。死んだはずの魂は、時代も飛び越え巡っていくものなのだろうか。
勝千代は長い間部屋の隅に座ったままで、涙する僧侶たちを見つめ続けた。
これだけの人々に惜しまれるということは、少なくともその人たちにとって大切な、あるいは必要な人物だったのだろう。
果たしてかつての勝千代は、どれだけの人間に惜しまれたのだろうか。
「おい、そこの」
不意に「そこの」などと呼ばれ、我に返る。
数度瞬きし、屈強な肉壁のごとくそそり立つ僧侶たちを見上げる。
「証如さま」
勝千代の傍らに座っていた永興が、深々と頭を下げて礼をした。
永興は、勝千代が本願寺を出るまではともにいるようにと興如に言われ、ずっとついてくれている。
騒ぎに乗じて、老僧Bの派閥が何かしてくる可能性があるそうだ。
ちなみに言うと、老僧Bは蓮淳というらしい。変態生臭坊主実淳の実父だそうだ。
まったく似ていない親子だな。
ひとしきり瞬きを繰り返してから、大柄な僧侶たちの後ろの方に、ひとり毛色の違う着物の者がいることに気づいた。
子供。しかも勝千代とそう年齢の変わらぬ、小柄な子だ。
証如と呼ばれたその小坊主は、宗主さまが倒れてしばらくして枕元に駆けつけ、ひとしきり泣いたり騒いだりした後に隣室に連れて行かれた。
いよいよ危うくなってまた姿を現し、あとは最期の瞬間まで黙って座っていたが、その頃には大人の高僧たちが引きも切らず訪れていたので、たいして気を引かれもしなかった。
聞くところによると宗主さまのお孫さんで、次の宗主の座に就くことになる子らしい。
ごく普通の容姿のその子の顔をまじまじと見ていると、握っていた数珠が飛んできて、勝千代に当たりはしなかったが、がしゃりと木の床に叩きつけられた。
そして、ものすごい形相で睨まれた。
首を傾げていると、老僧B、つまり蓮淳にとっても孫なのだと聞いたことを思い出す。
つまりはあの変態とも親戚か。大変だなこの子も。
「誰からか蓮淳さまの事を聞いたようです」
そう耳打ちしてくれたのは永興だ。
「本当のことを話せばいいのでは?」
実淳の変態行為から始まる一連の不祥事を。
子供にそんな事を話すのはさすがに……とか言っているから、誰かに偏った事を聞かされてそれを信じてしまうのだ。
再び飛んで来たのは脇息だ。これはちゃんと勝千代の側まで飛んで来た。もちろん永興にあっさり遮られてしまったが。
「証如さま!」
お子様僧侶は窘めようとした永興に向って。「裏切り者が!」と喚いた。
更に手が届く範囲にある物を次々にこちらに向かって投げつけ、言葉になっていない怒りの声で喚いた。
……本気でコレが本願寺宗主の座に就くのか?
子供とは言え、仏徒としての道を歩み始めているのであれば、もっと自己抑制能力を……
「よくもおじいさまを殺したな!」
この荒い気質は間違いなく蓮淳の血筋だな。
勝千代はため息をついた。
「違いますよ。誰からそんな話を聞いたのです? そもそも、私にそんな事が可能だとでも?」
「嘘をつけ!」
これはあれだ、何を言っても聞く耳を持たないというヤツだ。
大体、宗主を殺した者が受ける扱いに見えるのか? この場にいる僧侶たちは皆、勝千代に対して遠巻きだが、敵意を向けてくるわけではない。
「薄汚い仏敵め、すぐにも罰をくれてやる故そこになおれ!」
ここまで露骨な敵意を向けられると不快にもなる。
今さら本願寺派に睨まれたとて何という事はないが、相いれない、気に入らない、その程度の感情と、殺意すら混じった敵意は違う。
この、無遠慮に向けられる悪感情は放置しておいて大丈夫なものなのか?
敵意には敵意が返ってくるのだと、わかって言っているのか?
「仏罰を? あなたが?」
勝千代は、あえて露悪的な口調でそう言って、嘲笑した。
「己を律せもせぬ未熟者の分際で、身分が伴えば徳もついてくるとお思いか」
「……勝千代殿」
傍らで永興が宥めてくるが、ここは任せてほしい。
この小坊主の鼻っ柱を折ればいいのだろう?
そういうのは得意なんだ。




