8-5 山科本願寺5
人間には二種類いる。いい人と、悪い人だ。
もちろん明確に「いいだけの人」や「悪いだけの人」がいるとは思わないが、見た目がここまで露骨だと考えさせられるものがある。
勝千代は並んで座る二人の老僧をまじまじと見た。
ニコニコと明るい笑顔のA。
苦虫をかみつぶしたようなB。
どちらも、予備知識がなくとも身分ある僧侶だとわかる見た目で、かつ、一卵性の双子と言われても納得してしまいそうなほどに、よく似た容貌をしていた。
実際はAのほうが痩せていて、Bのほうが倍ほども体重がありそうなので、区別がつかないわけではない。それでも同じ血のつながり、同じ顔だとパッと見てわかる。
「おお、可愛らしい若君や」
ニコニコ笑顔の方にそう言われて、ぞわりとした。
言い方に含みがあったわけではないが、顔は笑っているのにその目の奥が怖い。
「えろううちのが迷惑をおかけしたようで。ほんに申し訳ない」
自己紹介もないままにそう言われ、顔を顰める。
一見丁寧に対応されているように見えるが、むしろ「相手をしてもらって感謝しろ」と思われている気がする。
さて、どちらが宗主さまだろうかと、二人の老僧を交互に見る。
以前書簡を差し上げたことがあり、碁盤を頂いたこともあるから、完全に知らぬ仲というわけではないはずなのだが、それを話題に出してくることもない。
そういう状況ではないと思っているならいいのだが……嫌な感じだ。
例えるなら、足元の見えない沼地に踏み込んでしまったようだとでも言おうか。
「私に謝罪して済む問題ではありません」
「むろん、むろん」
ニコニコと眦を垂らしながら数回頷き、老僧Aは勝千代を手招いた。
「こちらに来られよ。頭を撫でて差し上げよう」
「……兄上」
渋顔のほうが苦言を呈する口調でそう言ったので、好々爺のほうが宗主さまだとわかった。
「実淳の後始末のことを考えねばなりません。今はそのような」
「……後始末?」
宗主さまの表情が一瞬だけ変わったように見えたが、しばらくして、「ああ」と手を叩いて笑った。
「ちょっとしたやんちゃやないか。後でたっぷり説教したらなあかんな」
勝千代サイドが不快感を露わにしたのは当然だが、老僧Bのほうも眉間の皺を深くしたのが印象的だった。
あきらかに何もかもを無かったことにしようとしている宗主さまの態度に、気を引き締める。
実淳を拘束して、身柄はまだこちらにある。
一条家の武士たちが、今にもひねりつぶしかねない形相で睨んでいたから、万が一にも逃げ出すことはないだろう。
話し合いは、最初は寺の本堂でという話だったのだが断った。
勝千代の護衛として兵力を割くのは悪手だ。
「謝罪する気持ちがあるなら、呼びつけるのではなくそちらから出向け」と言ってやると、その場にいた高僧たちは信じがたいものを見る目で勝千代を見てきた。
これまで、誰もが頭を下げて諾々とその意を拝聴していたのだろう。
だが、こちらは浄土真宗の門徒ではないし、愛姫さまは一条家の姫としてというよりも、恐れ多くも今上陛下の皇子の許嫁として誰よりも尊重されるべき御身分だ。
たかが一介の武家、あるいは生臭坊主程度にどうこうできる存在ではない。
そしてやってきた本願寺派宗主は、上記のとおり二人連れだった。
場違いに豪華絢爛な、キラッキラの一行が借りていた屋敷の門前にやってきて、ずかずかと奥まで歩を進め、奥座敷の最上座に並んで座る。
当然のように護衛の屈強な僧侶を従え、その坊主どもは皆勝千代を羽虫のように見下ろしながら鼻を鳴らして通るのだ。
今の状況がわかっているのかと問い詰めたくなる。
待っていたのが勝千代と小次郎殿と、ごく少人数の護衛だったという理由もあるだろう。
だが、到底謝罪に来たとは思えない態度だ。
もし事前に、今は敵地にいると心得よと指示していなければ、誰かが我慢しきれず爆発して流血沙汰になっていてもおかしくはなかった。
そしておそらく、それこそが向こうの狙いだ。
あくまでも、非は本願寺派にある。その立場を崩してはならない。
「やんちゃとおっしゃる?」
勝千代は、表面上はきわめて穏やかにニコリと笑った。
「説教で済むと?」
全てなかった事にでもしようというのだろうが……そんなわけにいくか。
忘れてもらっては困るが、勝千代は武家だ。
対抗手段を持たない公家ではないし、どこかへ忖度するようなしがらみもない。
今川家ではむしろ浄土真宗本願寺派は忌避される傾向にあり、何故かそんな状況でも寺の数は増えているというが、総撤退してくれても一向にかまわないのだ。
ここにいるのは、何らかの利害関係があるからではない。
縁ある一条家の方々をお守りするため。ただそれだけだ。
「わかりました」
勝千代がそう言うのを聞いて、おそらく何かを察したのは興如だけだ。
今さらそんな顔をするなよ。仕掛けてきたのはそちらだ。
蛆虫を踏みつぶしたかったのだろう? ……いいとも。もしかしたら宗派ごとになるかもしれないが、きっちり跡かたなくひねりつぶしてやる。
「こちらとしては、何も言う事はありません」
その言葉にわずかなりとも反応を見せたのは老僧Bのほうだけで、宗主殿は変わらず上機嫌に笑みを浮かべたままだ。
いまいちつかみどころのない老僧だった。
その微塵のブレもない満面の笑顔が、むしろ取ってつけた仮面のように見えてならない。
謝罪は受け取らない。
明確に態度でそう示した数え十の子供に対し、怒るでもなく、宥めるでもなく。
どうしてずっと笑っていられる?
「いやいや、しっかりしたお子やなぁ。うちの孫はどうも甘えん坊で」
「兄上」
老僧Bの窘める声は鋭く、居並ぶ者たちの中にはビクリと背筋を震わせる者までいた。
なるほど。
宗主は慕われ、その弟は畏れられていると言った塩梅か。




