8-4 山科本願寺4
この変態坊主が、本願寺派の中ではかなりの立場にいるのだというのはすぐにわかった。
見た目も態度も尊大な高僧たちが、ひどく慌てたように「さま」付きで呼ぶのだ。
浄土真宗は妻帯もできる教義なので、かなり権力のある者の子だとかそのあたりだろう。
宗主の子とかだと厄介だな。
「残念ですよ、興如さま」
勝千代はゆっくりと首を左右に振った。
「手を出してはならない御方に触れようとした。これは明確に御上に対する叛意です」
こういうときに弱気な姿勢を見せてはいけない。
勝千代の対応を察した興如の表情が厳しさを増す。
「待たれよ、勝千代殿」
「権中納言様はお許しになりますまい」
「福島勝千代殿!」
フルネームで呼ばれて、ふっと唇をほころばせた。
「……呆れますね」
もちろん、こぼれたのは嘲笑だ。
勝千代は、大人たちが何故か言葉を飲み込んで黙るのを見回し、小首を傾げた。
すべての坊主たちが動きをとめ、こちらを凝視する中、すたすたと畳の上にうつ伏せで組み伏せられた実淳の側まで行く。
その大きな目が、勝千代の動きを追って動いた。
嫌になるぐらい美形だな。
露骨に嫌悪の表情で見下ろし、酒瓶のようなものが握られている手を踏む。
「うっ」
実淳は悲鳴を上げ、握っていたものを離した。
手から飛び出した瓶を拾い上げ、栓を抜く。鼻を近づけずとも、酒だとすぐにわかった。
「まさか、無理やり姫様に飲ませようとしていたなどと……言いませんよね?」
「き、気持ちを解せば」
「は?」
ひねり殺してやりたいという殺意を込めて見下ろすと、実淳の目が潤んだ。
……なんだ、三十にもなった大の大人が泣く気か? 泣いて済むような年齢だと思っているのか?
「数え九つの姫君に酒を?」
浮かんだ涙がきらきらとロウソクの光をはじいた。これで絵になるのだから、始末に負えない。
「……虫唾が走る」
「勝千代殿!」
興如が制止の声を上げなければ、思いっきりその顔面を蹴っていた。
「大変申し訳ない。実淳さまを離していただけないだろうか」
興如の改めての、ものすごく下手に出ての申し出に、他の高僧たちが反発したような表情をした。
だがそろいもそろって今頃、退路も塞がれ大勢の武士に囲まれていることに気づいたらしい。顔面から血の気が引き、及び腰になる。
勝千代は隣室でコトリと音が鳴ったことに気づきため息を飲み込んだ。
「筋を通してくださるのでしたら」
覗いているな、お転婆姫。
あまりひどい仕返しができないじゃないか。
「わかりました」
興如がその場で両膝を付き、深々と頭を下げた。
周囲の僧侶たちが軒並み衝撃の表情を浮かべたから、予想外の行動だったのだろう。
まあ、簡単に頭を下げる男には見えないよな。
「この度は大変無礼な真似を致しました。申し訳ございませぬ。以後このような事のないように致します」
「……謝れば済む問題ではないですね」
庭先で土下座する高僧。部屋うちには小袖一枚で仁王立ちの子供。その目の前に組み伏せられた美僧。……なかなかシュールな情景だ。
「どういたせばお心を御鎮め頂けますでしょうか」
「それは、権中納言様とお話しください」
不意に、顔を上げた興如とまっすぐに視線が合った。
そしてわかってしまった。
くそ爺、わざとだな。この変態坊主に姫様の事を話したのも、夜這いを止めようとしなかったのも。
何が狙いだ? 阻止されることはわかっていたはずだ。
「うっ、う……う……」
押し殺した声で呻いている実淳を見下ろす。
まさか、この変態を排除したかったのか?
再び視線を下げた興如が、うっすらとその口角を持ち上げているのを見て、己の推測はあながち間違ってはいないのだろうと察した。
これが武家なら話は簡単だ。要するに御家騒動、勢力争い、勝千代にとっても非常に身近な諸々、ありがちと言えばありがちな事なのだ。
なるほど、僧門でも同じか。
どろどろとした、お近づきにはなりたくない事情があるのだろう。
詳しい事? 聞かないぞ。絶対に聞かないからな。
ただ、この蛆虫を踏みつぶす協力だけはしてやろう。
「姫君がどういう御身分の御方か、知らなかったで済まされる事ではありません。御上もさぞ御不快にお思いでしょう」
「いやしかし、実際にここに姫君はおられないわけですし」
しどろもどろに口を挟んできたのは、立ち尽くしていた高僧のうちのひとりだ。
「おられましたよ。侵入者に気づいて、念のために私と寝所を入れ替えました。刺客かとおもいきや、まさか……夜這いとは」
刺客だとみなしての拘束に文句は言えないだろう?
「しかも何ですか、身分の低い者であれば喜んで身体を差し出せと仰っているように聞こえますが……面白い教義ですね」
察しの良い者であれば、この話が広く市井に流布されるかもしれないと気づいただろう。
幼い子供を手籠めにする教え……嫌すぎる。
しかも公家や皇族から嫌悪され、敵対されてしまうとなれば、下手をしたら存続の危機ではないか?
浄土真宗本願寺といえば、遠い令和の時代にもなお大勢の信者を抱える宗派だ。
だがこの時代に生きていると肌で感じることもある。
今から戦国の世になり、勢力をつけた武士がタケノコのように乱立してくるのと同様、仏教の宗派もあまたある。
たとえ本願寺派が潰れようと、大した違いがあるようには思えない。
いやむしろ、一向一揆などで命を落とす者が減ってくれるのではないか。
武家社会の、身分が低い者への扱いについては勝千代にも思うところはあるが、一揆がおこればどうなるか未来知識で知っている。
たとえば一時的にうまくいったとしても、それは目も当てられない流血の上に打ち立てられたもので、しかも長続きしない砂上の楼閣なのだ。




