8-3 山科本願寺3
「何をする!」
押さえつけられた男の声が、空々しく闇の中に響いた。
いやもう、そのまま腕でも足でも折ってくれていいよ。そう言いたくてたまらなかったが、ため息とともに怒りを飲み込む。
「……明かりを」
勝千代がそう言うと、ぱっと室内に明かりがともった。
しかもロウソク。更には灯籠。さすがは本願寺。
夜這いを掛けてきたのは三十過ぎの、予想外なほど顔立ちの整った美形の僧侶だった。
街を歩けば普通に一人二人どころではない信者がついてきそうな、渋みもある役者じみた雰囲気の男だ。
しかも連れがいる。護衛かお付きか引き立て役か、筋骨たくましい二人の若い僧侶だ。
当たり前だが三人ともに頭をきれいに剃り上げており、つきつけた明かりがツルリと照り返していた。
「ええい無礼者! 手を離せっ!」
変態野郎でも美形は美形、畳に押し付けられるその様子は、呆れるほどに見栄えがした。
「私にこのような事をしてただで済むと……うあああああっ」
美形僧侶は大げさなほどの悲鳴を上げた。
背中に乗って押さえつけている谷が、ひねる手に力を込めたのだ。
「このような刻限に、何用でしょうか」
勝千代が意図的に子供らしくあどけない口調でそう言うと、叫んでいた男がぴたりと動きを止めた。
「……そなたこそ誰じゃ」
「いや驚きました。臥所にいきなり見知らぬ御方が踏み込んでこられて」
実際のところは、部屋に入った瞬間に三人はその場で拘束された。
臥所どころか目隠し用の几帳の奥にすら入れていない。
だが、青筋を浮かべた福島家の男たちに部屋うちへと引きずり込まれ、逃げも隠れもできないようにされた結果、子どもが眠る寝所の几帳の奥まで侵入してきた不埒者にしか見えなくなっていた。
「幼少期よりずっと命を狙われる身ですので、護衛には『襲ってくる者には容赦は不要』と言うております」
こちらも命がかかっているのだから、反撃されても仕方がないよね?
そういう意味を込めてそう言ったのだが、「はっ」と馬鹿にしたように鼻を鳴らされた。
「何を大げさな事を。ただ情けを施してやろうと……痛い痛い痛い!」
大声で騒ぎ始めたのには理由がある。
わらわらと、庭先に騒ぎを聞きつけてきた僧侶たちが集まってきたのだ。
おそらくこちらが引き下がると思ったのだろうが残念だな。こういう変態は潰しておくに限る。
勝千代が掛けてあった衣を押しのけ、臥所を出ようとすると、控えていた南たちが窘めるような表情になった。
大勢の目に、寝乱れた身なりで出るのはそりゃあちょっとマナー違反だろうけど、まあ見ていろよ。
ほら、丁度大物が来たようだし。
「これは……何事ですか!」
興如だけではない、そのほかにも複数名の高僧と思われる者たちが、まだ昼間の服装のまま駆けつけて来ていた。
時刻はまだ宵の口。彼らが会議で夜遅くまで話し合いをしているのは調べがついていたので、本当に変態野郎が夜這いに来たと判断できた段階で、緊急事態と助けを求めておいたのだ。
いやぁ、いいタイミング。
「……興如様」
勝千代が几帳の布をめくり、ロウソクの明かりがともる部屋に足を踏み出した。
ちなみに小袖一枚、袴など履いていないので、脛がむき出しだ。
「勝千代殿?」
興如の視線が、小袖を夜着代わりにした勝千代と変態どもとを交互に見る。
勝千代は衆目の中、広がった襟元をさっと合わせ、寝相で緩んだ前も適度に直す。
言っておくが、実年齢八歳だからな。ただ見苦しい寝乱れを正しただけだからな。
だが、この時代の者にとっては明るすぎる光源の中で、勝千代のより小柄で折れそうな手足を強く印象付けただろう。
こんな子供に夜這いを掛けてきたんだぞ、変態め。
だが、谷に押さえつけられた美僧侶は欠片も焦っている様子がなかった。
むしろこれ見よがしに悲痛な表情をして、さも己が被害者であるかのような面構え。
美しいって得だよな。何をしていても様になって見える。
美形とはいえいい年をした大人なのに、庇護者も多そうだ。
「な、何をしている無礼者ども! 実淳さまを離すのじゃ!」
案の定、高僧のひとりが焦った様子で身を乗り出してきた。
興如は眉間に深いしわを寄せて状況を見ているが、そのほかの高僧たちも口々に実淳という名らしき変態を救おうとする。
……ああそう。そういう感じ。
呆然とこの様子を見ていた下っ端の僧侶たちが、はっとしたように表情を改め、部屋に上がってこようとした。
ちなみに興如ら高僧たちはそれよりさらに向こうの、木戸から少し入ったあたりに立っている。
意図的に無防備にしていた木戸の側に、逢坂老がいるのが見えた。
視線が合って、その唇がニッと笑みを刻んだのからすっと目を逸らす。
木戸は気づかれないうちに閉ざされ、そこから誰かが逃げ出すことも、人員が増えることもないだろう。
……ということはほら、武士三十人対僧侶だ。坊さんの方が少ないし、実戦向きじゃない連中も入れての事なので、まったくもって問題ない。
勝千代はそれらを冷静に見定め、こてり、と首を傾けた。
「これはどういうことか、聞かせていただいても構わないでしょうか」
覚悟しろよ変態坊主。へらへらしていられるのも今のうちだけだ。
「浄土真宗本願寺派では、避難してきた子供に夜這いを掛け、手籠めにするのが正しい事と?」
「……待たれよ」
状況に気づいたのか、興如が声を上げた。
何とか事を収めようと思ったのだろうが、言いあぐねているうちに、実淳が悲痛な表情で叫んだ。
「何をぼんやりしておるのだ! 早う助けよ! 痛い痛い!」
手は離さなくていいからね。もっと強めに踏んでもいいから。
勝千代のテレパシーは通じたようで、谷がぐりぐりと踵に力を籠め、変態は今度は本気の悲鳴を上げた。
「ひ、いっ……」
そうだろう。本当に痛いときは大声なんて出ないんだよ。




