7-4 京郊外4
長い夜が明けようとしている。
勝千代は踏みしめられた道を行く大軍をじっと見下ろしていた。
並んで同じものを見ている面子に、楽観の色はない。
むしろこの先の争乱を予想して表情は険しい。
まだ太陽は顔を出していないものの、周囲はほのかに明るい。
そろそろ気づかれてしまう恐れがあるので、この場を離れようと促される。
勝千代は頷き踵を返し、最後に一度だけと六角の旗を掲げた物々しい一軍を見下ろした。
長い軍の列で思い出すのは父の事だ。
出陣の度に、胸が潰れるような思いで無事の帰還をと祈ってきたものだが、彼らの家族も同じだろうか。
……いや、違うわけがない。
それがこの時代だ。
勝千代は軍勢に背を向け、まだ暗い足元に視線を落とした。
躓いて転ぶわけにはいかない。木の根や石にも、今のこの状況にも。
「お勝さま」
三浦兄が促すまでもなく、木の幹に背中を預け座り込む女房殿が、もはや立ち上がれないほどの状態だというのはすぐに見て取れた。
真っ青な顔で申し訳なさそうに俯き、「置いて行ってくださいませ」というが、そういうわけにはいかない。
できるなら、夜明け前までに目的地にたどり着いておきたかった。
しかし、追手を避けるためにかなりの迂回路を辿らざるを得ず、更には歩き慣れない女房殿たちを引き連れているので頻繁な休息が必要だった。
女房殿の足の裏にはマメができ、草履の鼻緒に血がにじんでいる者もいる。
そもそもアップダウンのある悪路に藁の草履は厳しい。ウォーキング用のシューズなどあるはずもなく、尖った石を踏むとダイレクトに足の裏を刺すのだ。
長距離を歩く機会などない者には相当つらいはず。いっそ背負って運んだ方がいい。
もう一度そう説得してみようと口を開きかけたが、ザっと谷が腰を低くしたのに気づき、途中で黙った。
見ると、谷のこの反応を見た男たちがそろって刀に手を置き身構えている。
状況を察した女房殿がますます顔を青くし、決意を込めたように唇を引き締める。
「……大丈夫ですよ。落ち着いて」
勝千代は人差し指を唇に当て、囁いた。
「姫君たちが起きられてしまいます」
短い休憩時間、三人の御子様付きの女房殿たちは、一塊になって座り込んでいた。
それぞれの膝に眠っている大切な主を抱きかかえ、なんとしても守ろうという気概は見て取れるものの、その細腕はどれも震えている。
勝千代は風よけ用に枝に掛けていた男物の小袖を手に取り、男装の女房殿に頭からそっと被せた。
「方々もお目を閉じて、じっとしていてください。息を吸って、吐いて……そうですよ、大丈夫。すぐに済みます」
置いて行けと、恐ろしさを押し殺してそう言った女房殿の喉がひくりと鳴った。
三十過ぎの、ここにいる女房殿の中では最も年長者だ。
しっかりしなければと気を張っているのはずっと伝わってきていた。
だが、慣れない状況にその気概も崩れる寸前なのは傍目にもわかる。
「息の数を数えましょう。……そうです。ゆっくりと」
女房殿がぎゅっと目を閉じて、唇を震わせながら数を唱え始める。
勝千代はそれを見届けてから、立ち上がった。
こわばった表情の一条家の武士たちに後の事は任せ、足音を潜ませて逢坂老の側まで行く。
「どうした。六角か?」
谷が感じ取ったのは、少し離れた場所での剣戟音だった。
鋼同士が打ち合う音は、かなり遠くまで響く。勝千代ですら、視界に入らずともすぐにそれと分かった。
「……どことどこがやりあっている?」
「坊主同士です。混戦状態でよくわかりませんが、片方は臨済宗ですね」
この時代、僧侶同士が白刃を競り合わせて戦うのか。
意外という気もしないのは、この時代に来て幾度となく僧侶たちの俗っぽさを見てきたからだろう。
「もう片方は、墨衣の僧形です」
「数は」
「三十対三十ほど」
「……若」
逢坂老と話していると、田所が近づいて来た。
彼がここに来ると言う事は、また道を変えなければならないのか。
厄介事は避けて通るべきだとは思うが、これ以上遠回りになるのは女房殿たちが限界だ。
「ちょっと来ていただけませんか」
やはり背負ってお運びする事になりそうだと思っていると、近づいて来た田所にこそっと囁かれた。
「見覚えがある坊主な気がすると谷が言っているのですが」
「……見覚え?」
その谷の姿は近くにはない。
おそらく、その「見覚えがある坊主」をもっとしっかり確認しようとしているのだろう。
「掛川城で見た顔だと」
掛川城でみた僧侶となると……本願寺派だ。
ふと頭をよぎったのは、興如の皺顔だ。今回の件が起こった時、山科にいると聞いていたあの方を頼ろうかとも思ったのだ。
だが、山科は京に近すぎる。
六角に近い事も、今となっては頼れない理由になっている。
近隣の武家の不興を買うような真似はできないだろう……と。
だが何故臨済宗と浄土真宗が争っている?
確実に現状の京と関係あるとは思うのだが、この時代の武家のありようですらはっきりと学んだ記憶がないのに、仏教の宗派間の関係性などわかるはずもなかった。




