7-2 京郊外2
この時代はとかく血生臭く、基本的な民度が低い。まるで赤暗い闇の中を歩いているように。
周囲と勝千代との間には、どうしても折り合わない認識の乖離があって、常々当たり前だと思っていたことが非常識であったりもする。
その最たるものが、命に対する考え方だ。
刀を振り回し大勢の命を屠っていく。それを誰も罪深い事だとは思っていない。
戦わなければ生き残れない。
愛する家族を、主君を、一族を守れない。
故に農民や商人であろうとも、僧侶であろうとも、味方でない者に刃を向けることを躊躇わない。
敵から奪う事にも迷いはなく、そこに良心の呵責など微塵もない。
それは、野生の動物が食物連鎖の中で生き残っていくすべにも似ていた。
生きていく為に牙をむくのは罪か? 他の生き物を食うのは罪か?
四年間、この時代を武家として生きてきて、勝千代は己が食う方の立場だと思ったことはなかった。
常にどこかを齧られ、嬲られ、食われまいと足掻くことに懸命だった。
だがそれだけでいいのか? 消えて行く田所の背中を見送りながら、心に過ったのはもどかしさだ。
何故己はまだこんなに年若く、こんなに非力なのだ。
忸怩たる思いに苛まれ、同時に、では二十年後、父ほどの年齢になったときに何が変わっているのかと自問する。
非力は罪だ。
女房殿に抱きかかえられ、しくしくと声を殺して泣く万千代様の姿に歯噛みする。
これからの公家が衰退していくのは、力を持てなかったからだ。足利将軍家も、もはや往年の権威を保っていない。
では勝千代は? 福島家は? 今川はどうなる?
何十年か後に、織田や豊臣や徳川が戦国の世を席巻する。
その強い光にかき消されてしまう数多くの者たち、生き残れなかった者たちの中に、我らはいる。
つまりは結局、強者に食われて死ぬ弱者になり果てるのだ。
小さな子供が泣いている。
平気な顔でその命を屠ろうとしているのは、僧侶と武士だ。
生きていく為に? 食物連鎖の上に昇っていく為に?
ああいったわかりやすい暴力も強さの一種だ。
食われるのは、弱いからだ。
弱いのは、罪だ。
勝千代はぎゅっと目を閉じた。
今この手の中にある力で、目の前の無法者たちを退けることは不可能ではないと思う。
あえてそれをせず、回避の方向で考えているのは正しいのか?
この時代の考え方をするなら、敵は即座に屠っておかなければ、いずれまたその勢力を増やして報復にやってくる。
彼らの背後を敵に回すことが、父や御屋形様、一条家にとってどういうリスクになるのかと計算してみる。
……いいや。それよりもまず考えるべきなのは、生き延びる事だ。
敵の命のことを考えてはならない。
有無を言わさず襲われた。暗闇の中、名乗りもせず、一夜の宿と決めた襤褸小屋に火を放とうとした。
あれは敵だ。無法者だ。
僧侶だと? 子供を殺そうとしておいて?
身を守るために反撃して、誰が何の罪に問う?
ゆっくりと目を開ける。
こちらを見ていた三浦兄と目があった。
彼だけではない、逢坂老も、松永青年ですら勝千代の顔をじっと見ていた。
「田所が戻るまで待つ。退路を確保し、一条家の方々の安全が第一。その後に……」
暗闇に目を凝らす。
火矢の炎が点々と浮かび上がり、それがまるで命を燃やす蛍のように見えた。
「迎え討て」
静かに落とされた勝千代の言葉に、福島家の者たちがザっとその場で足元の土を鳴らした。
勝千代はしっかりと両足を踏みしめ、暗闇に目を凝らしていた。
草木の茂るその漆黒の先に、もはや蛍は見えない。
少しひんやりとした風に乗って、鉄錆びの臭いが漂ってくる。
草木の折れる青い匂いと、吐き気をもよおす死の臭いと。
この風が、万千代様や姫君の元まで届かない事を願った。
「……終わりました」
そう報告してきたのは逢坂老だ。
その半身に、珍しく鮮血を浴びている。
「被害は」
「些少。こちらに動けない者はおりませぬ」
ほっと安堵の息を吐きそうになるのを寸前で飲み込む。
「敵は」
「討ちもらしはないかと」
「同士討ちになったように見せかけよ」
「承知」
一礼して去って行く逢坂老は、敵方の武士が所持していたという指し物をその場に置いて行った。
それは紛れもなく、伊勢家のものだった。
伊勢殿が狙ったのは一条家の方々か、それとも勝千代か。
血で黒く汚れた指物から目を逸らし、再び夜の茂みに視線を這わせる。
ガサゴソと動いているのは、福島側の者たちだろう。
「若」
掲げ持った松明の向こうから声を掛けてきたのは、危険な退路を確保してくれた田所だ。その背後には、以前にも見かけたことがある顔が並んでいる。
叔父の部下としての面識はあったが、その際には常に身ぎれいできちんとした格好をしていて、田所よりよっぽど上級武士に見えたものだ。
今は、まるでゴロツキのような薄汚れた身なりだが。
「こちらも終わりました。それと……」
「あにさま!」
血なまぐさい淀んだ空気に、一陣の風が吹き込んだ。
その声が耳に届いた瞬間、込み上げてきたのは安堵よりも焦燥だった。
この御方をこんな場所に来させてはいけない。
遠ざけるよう命じる前に、この目でご無事を確かめようと振り返る。
真っ暗な雑木林の茂みの影から、何かが黒い弾丸のように飛び出してきて勝千代にぶつかった。
「あにさま! あにさま!」
あまりに勢いが強かったので、吹き飛ばされそうになり……いや正直に言おう、支えきれずに両足が浮いてそのまま尻餅を着いた。
側には四人も大人がいたのに、誰も助けてくれなかった。
びっくりした。
イノシシが出たのかと思った。
ぎゅうぎゅうと抱き着かれ、ぎしりと肋骨がきしむ。
殊勝な顔どころか、ニヤニヤとろくでもない表情でこちらを見下ろしている野郎どもを横目に、勝千代は息が出来ないと細い声で訴えた。




