63-1 駿河 増善寺
曳馬城が落ちて十五日後。
三河から細川軍が完全に撤退し、兵糧が尽きたのか北条軍も相模へ引き上げ、ようやく国情が落ち着いてきた。
ひと月が過ぎ、御屋形様の葬儀が大々的に執り行われることになった。
喪主として表舞台に立ったのは、勝千代だ。
本来は元服もまだの子供がそういった公式行事に出る事はないのだが、御屋形様が遺言その他、念入りすぎる下準備をしてくれていたので、年齢を理由に辞退することはできなかった。
それは実質的な、次期今川家当主としての顔見せだった。
葬儀は曹洞宗増善寺で執り行われた。
今川館から北へ、賤機山城の前を通り、安倍川を渡ったその先、緑豊かな山並みの中腹にある。
御屋形様は葬儀の支度どころか、入る墓までご自分で準備なさっていた。
それは見事で荘厳な葬儀だった。一度にこれほど大量の坊主頭を目にしたのは初めてかもしれない。
一万……はさすがに言い過ぎだろうが、確実に五千人以上はいる禅僧が粛々と並び、びっちりと参道から境内、本堂内外を埋め尽くした。単純に物量として、この坊主頭の数は圧巻だ。
そしてそんな僧侶たちが、全員で声をそろえて読経するものだから、振動で伽藍がずっとカタカタ音をたてて揺れていた。いや伽藍どころか本堂ごと、山全体が揺れているような感じさえした。
残念なのは、葬儀に参列した近親者の席が、ぽっかりと複数空いたままだったという事だ。
最前列が無人というのは目立つ。ものすごく目立つ。
御側室やその御子ら、御一門衆と呼ばれる分家の代表者らは参列しているが、繰り上がって一列目に座ってもらうわけにもいかず、勝千代は結局ひとりきりで最前列に座り、大僧正の被り物を真後ろで見つめ続けるしかなかった。
御台様……いや、大方様か。御正室の立場にもかかわらず、葬儀に参加しないというのは本来であればあり得ない事だ。
御台様がお産みになられた二人の姫と末の弟君も、事態への抗議の為か不参加だった。
せめて最期のお見送りぐらいは……と思っていたのだが。
人間は、どこまで行っても感情の生き物なのだ。憎い勝千代が取り仕切る儀式になど、参列したくなかったのだろう。
改めて良き日にもっと大々的な葬儀をするゆえに、今回の儀式には参加するなと家臣らに通達を出したようだが、勝千代の見たところ、国内および近隣国の代表者のほぼ全員が神妙な面持ちで参列している。
ちなみに取り仕切ったと言っても、死期が近いと察していた御屋形様が、あらかじめすべてを手配してくれていた。
勝千代がしたことといえば、御屋形様の死を知らせる書簡を、指示されていた通りの宛先に送ったことと、実際の葬儀では喪主として最上座にずっと座り続け、言われるままに祭文を読み上げ、僧侶たちが執り行う儀式を見守っていただけだ。
「この度は御愁傷さまにございます。一度はお会いしておきたかった」
そう言って喪主席にいる勝千代に礼を取るのは、三好殿だ。
この一か月間、人の家の庭先でなにをやっていたのかというと、約定の兵糧と義宗様の回収だ。兵糧の件はともかくとして、義宗様を引き取るのに一か月もかけたのには何か理由があるのだろう。
こちらとしても手が足りなさすぎて、彼らの間にどんなやり取りがあったのか把握は出来ていない。だが八郎殿によると、伊勢殿の背後に隠れていたころとは表情が違うそうだ。
三好殿に引き渡すと決めた以上、口出しする事はもうしないが、おそらくまた何らかの役割で利用されるのだろう。人のことは言えないが、難儀な人生だ。
「お勝」
次々とくる挨拶の者が途切れたのは、皆が三好殿の正体を知ったからだと思っていたが、それだけではなかった。
長身の三好殿の背後から歩を進めてきたのは、真っ白の髪に真っ黒の冠が映える年配の男性。ひと目で高位の公家とわかる佇まい、黒味の強い束帯姿だ。
「……寒月様」
そしてその背後には、普段の白味の強い狩衣から一転、寒月様よりランクは劣る(冠のサイズなどで判断)が上等の束帯を身にまとった東雲だ。
「いらして下さったのですか」
葬儀の案内は出していなかった。呼びつけるのも失礼なので、書簡で報告しただけだった。
勝千代は素早く立ち上がり、上座をあけた。
ようやくこの場所から動けることに、むしろ安堵していた。
寒月様と東雲が、当たり前のような顔をして、勝千代の退いた席に胡坐をかいて座る。神妙な表情で祭壇に向き直り、美しく洗練された作法で粛々と故人を悼む意を示した。
どこからともなく、感嘆の息が漏れ聞こえた。
僧侶数千人による荘厳な葬儀は、今川家の格を見せつける為のパフォーマンスのようなもので、非常に見ごたえがあったが、束帯姿の高位公家が参列することにより、更にその場の権威が高まったのだ。
様子を見ていた大僧正が、祭壇に向き直り再び読経を始める。
ちりんちりんと鳴る鈴の音と、高く低く響く僧侶たちの声もそれに続き、再び荘厳な送りの経文が山を揺らした。
「生前に頼まれておったのや。お勝が十五になるまでは生きておれぬやもしれぬゆえ、その際には烏帽子親を頼むと」
おそらく大勢が聞き耳を立てている場所で、声を潜めるまでもなく告げられる。
「今川孫九郎氏成か、よき名や」
勝千代は手渡された書簡の、見覚えのある筆跡に視線を落とし、目の奥がツンと痛むのを何とか堪えた。
元服した後の名乗りのことも考えてくれていたのか。
「寒月様」
何か言わねばならぬと口を開き、結局寒月様の名前を呟くしかなく。
情けない気持ちでいると、高い位置から若干の笑いを含んだ声が降ってきた。
「去年、御上から頂いた秘蔵の酒や、父御は酒が好きやったようやからお供えに」
特に大きな声だったわけではない。それなのに、やけに強く響いた。
ここで寒月様が言う父親とは、亡き御屋形様の事だ。……酒? 御屋形様が酒好きだとは知らなかったが。
首を傾げて礼を言おうとして、察した。おそらくこれも権威付けだ。
武将らしく華々しく散った御屋形様の遺骸は、ほとんど回収できなかった。つまりは葬儀をしたとはいえ、墓に御屋形様だとわかる形でそのお身体が安置されるわけではない。
つまり、ここに菊の御紋の酒樽があることにより、朝廷がこの葬儀の正当性を証明しているようなものなのだ。
「先に今川館へ行っておる故、早うに戻れ」
勝千代ははっと息を飲んだ。
顔を上げ、視線が合って。
御屋形様が寒月様に託した、真の思惑を察した。
勝千代の逃げ道を塞ぎ、追い立て、一瞬も気を緩める事を許さない。
とことん詰めてくる。息もつかせないとはこのことだ。
……そうか、本当はそんな人だったんだな。
亡き御屋形様の影が、死してなおあちらこちらにあるのを感じた。
帰宅が遅くなりました
吐きそうw




