62-7 遠江 曳馬城3
城が燃え落ちる最中、五百いたという今川兵の大半が、状況が分からずどっちつかずの状況にあったのだとわかった。
もとより曳馬城に、上総介様付きの兵などいなかったのだ。多くは地元遠江の者か、興津家にゆかりのある者たちだ。
御屋形様に指示されるままに城から離れた場所で警備に当たっていて、北条兵が侵入している事にすら気づかず、勝千代らと同様に、火の手が上がったことに混乱していた。
興津が討たれたことどころか、謀反の事も寝耳に水、父を見てむしろほっとした表情をしていたのがすべてを物語っている。
伏兵として矢を射た北条軍は、そんな彼らにとって代わり、城のいたるところに分散していた。彼らは上総介様の謀反を後押しした後、三浦水軍を足に、ほど良いタイミングで退く予定だったようだ。
目的は案の定、伊豆にいる駿河衆を遠江に向かわせること。
彼らにしてみれば謀反の成否などどうでもよく、伊豆を取り戻す手段に過ぎなかった。
方法はともかくとして、目的はわからなくもない。
ただ、勝千代らが先回りして撤退の足を潰したことに気づいていなかった。
無線もない時代だから、無理もない話だ。陸伝いであれば忍びにより何らかの知らせがあったのかもしれないが、海の上では伝えようもない。
何も知らずに勝千代らを待ち伏せし、討ち果たそうとしたが果たせず、それでも一応の目的は達成したと退こうとしたところを一網打尽にした。
勝千代らの五百に加えて、曳馬城の兵らも合流しての取りものだったので、彼らを追いつめ捕らえる事は難しいことでもなかった。
多くは討ち取り、あるいは捕縛し、幾人かは散り散りに逃れ、一部は火に巻かれた。
一番の問題は北条兵ではなく、燃え広がる火の手の方だった。
延焼を抑えるために周辺の木を切り倒し、近場にある木造のものを壊し、必要であれば橋なども落とした。
事態がなんとか収束し、被害等の状況がはっきりしてきたのは、夕暮れも深まり見事な茜色が炎の代わりに周囲を染める刻限になってからだった。
その頃になると、大手門から真逆の位置に避難していた使用人らの無事もわかり、同時に、身を潜めていた上総介様のお付きの者たちも捕えることができた。
しきりに城が燃えたことを言い訳にしていたが、肝心要の上総介様が生き延びているとわかってから、諦めて事情を話す者もでてきている。
見るも無残に跡形もなく燃え落ちた曳馬城に対して、その城下町はきれいな状態のままだった。
城までの距離があったことと、風向きも良かったのだろう、ほんの少し飛び火はしたようだが、すぐに消し止められ、大事には至らなかった。
城があの有様で、城下町がほぼ無傷というのも珍しい。
勝千代は、町の外周部にある陣屋の一室で、高熱にうなされている上総介様の枕もとに座っていた。
顔をはじめ広範囲に火傷を負い、高所から落ちたために腰と太ももの骨を折っている。
命に係わるほどの重傷だ。だが、初期治療が功を奏し、生き延びる可能性は大いにあるそうだ。
勝千代は横たわる上総介様をじっと見つめ、陰鬱な気持ちで息を吐いた。
あの時御屋形様との間に何があったのか。詳しい事はわからないが、想像はつく。
このまま死なせてやったほうがいいのかもしれない。生き延びたとしても、更なる苦しみが待っている。
だが、御屋形様が最期の力を振り絞って救おうとした意味を考えずにはいられない。
「お勝」
父がそっと襖を開いてから、小声で声をかけてきた。
勝千代は顔を上げ、矢傷を負った父の体調に異変がなさそうなのを確かめた。
「捕えた北条兵の中に長綱殿はいないようだ」
「……そうですか」
あの場所で確かに目にしたはずの男は、いつの間にか姿を消していた。
やってくれたと悔しい思いはあるが、それよりも、取り返しのつかない事になった喪失感の方が大きい。
「上総介殿の側付きたちは?」
「べらべらと面白いように喋ってくれる」
父の嫌悪に満ちた表情に頷きを返し、しっかりと調書を取っていることを確認する。
「謀反の件は?」
「やはり廃嫡を不服としたそうだが……あれらはもう始末して良いのではないか」
御屋形様への謀反というだけでも、命で贖うべき重罪だが、城が火の海になったからといって、神輿として担ごうとした上総介殿を助けようともせず逃げ出したのだ。武士として、いや人間としてあり得ない。
「いえ」
勝千代は、込み上げてくる良くないものを飲み下し、かすれた声で言った。
「簡単には死なせません」
洗いざらいすべてを白日の下にさらし、やらかした事の責任を取らせなければ。
捕らえた者の人数は多く、身分も上から下までバリエーションに富む。さぞ楽しい話が聞けるだろう。
「少し休んだ方が良い。顔色が良くない」
父は父で表情が険しいが、勝千代もさぞ顔色が悪いのだろう。
気づかわし気にそう言われて、「そうですね」と息を吐く。
もう時刻は深夜帯に近い。休みたいのだが、横になっても眠れないのだ。
御屋形様の最期の姿が、目に焼き付いて離れないというのもある。
目を離せば、上総介様の息が止まってしまいそうだという心配もある。
「何があったのか、聞き出せましたか」
おそらくは、という想像はしている。だが明確な答えはまだ得ていない。
廃嫡を不服とする謀反はわかる。その話が広まる前に、御屋形様を亡き者にしようとしたのも理解できる。
だがどうして曳馬城が燃え、上総介様が直接刀を抜くようなことになったのか。
父の野太い溜息がこぼれた。
勝千代は顔を上げ、喋りたくなさそうなその表情を見て、聞きたくないという衝動に駆られた。だがそういうわけにもいかない。
「……御屋形様だ」
ああ、そんな気はしていた。
父の苦々し気な顔を見つめながら、勝千代もまた、長い息を吐いた。
「上総介様をけしかけたのですね」
「そうだ」
「城に火をつけたのも?」
「そのとおりだ」
興津からの伝言が脳裏に過る。
これが道を示すという事か? 進むべき方向を選択するどころか、しっかりくっきりレールを敷いてくれたとしか言いようがないではないか。
これでは勝千代はもう退けない。道は一方向にしかない。
「もとより、ああいう御方なのだ」
父の渋い口調の中に、苦笑が混じる。
勝千代はぐりぐりと眉間を揉み、重くかさばる置き土産をどうやっても投げ捨てる事は出来ないのだと察した。
最期の最期に、やってくれたものだ。
あと数話で春雷記は完結致します。
長らくお付き合いいただきありがとうございました。
つきましては、断章として他者視点を書こうと思っています
リクエストのすべてをお受けすることはできませんが、いくつか。
10話~15話程度を予定していますので、ここぞ! というシーンがありましたら感想欄に書き込んでください
よろしくお願い申し上げます。




