6-2 上京 一条邸 脱出2
急ぎ一条邸を脱出しなければならなかったが、その前にすることがあった。
勝千代は、御方様が動きやすい服装に着替える時間を利用して、いくつかの指示を出しておいた。
しっかりと頷き了承するのは、長年この屋敷に勤めている年齢層高めの使用人たちだ。
邸内の細々とした仕事をする老女や端、従僕らは、寒月様の時代からこの屋敷に仕えているという。
彼らに頼んだのは、しばらくはまだ邸内に御方様方がいらっしゃるように見せかける事。
北対に明かりを灯し、何者かが来たときには追い払ってもらう。
わざと大声でお声がけをして、さも奥には方々が身を潜めていると思わせるのだ。
火の手が上がっているので、彼ら自身の身の安全にも不安はあったのだが、力強く請け合ってくれた。
愛らしく親しみやすいお子様たちを我が子か孫のように思っているのが伝わってきて、できればともに避難させてあげたかったが、御方様ほか少数を連れ出すのが限界だ。
更にもう一つ、まだ奥へは来ていない土居侍従の消息が気がかりだった。果たして邸内に火が放たれたことに気づいているだろうか。
彼に、方々をお逃がししている事を伝えなければならない。
更には忘れてはならない、拘束している吉祥殿の身柄だ。
何故一条邸に火が放たれたのか……もっとも考えられるのが口封じだ。
吉祥殿がいなくなれば、すべてがうやむやになる。それどころか、一条家側を責める事すらしてくるかもしれない。
なので、口封じにせよ火にまかれるにせよ、あの子を死なせるわけにはいかないのだ。
このあたりの事はすべて、土居侍従に任せるほかはない。
時は刻一刻と過ぎ、もはや空気にはうっすらと煙が漂い始めている。
本格的に北棟のほうまで炎が回り始めているのだろう。
御所に火災が起こり、ここと同様に、上京の広範囲が大火に見舞われている。
一条邸に火の手が上がっても、同じ火災だと言い訳も立つ。
すべてが混沌のうちに、誰かの掌の上で掻きまわされているような気がした。
「お勝さま」
女房殿の声がして、顔を上げると、勝千代が指示した通りに地味な侍従服を着た二人の姿があった。パッと見た印象、かなり心もとないか細さの、侍従というよりも元服前の小姓のような雰囲気だ。
その片方が御方様だと理解するまでにしばらくかかった。
何故なら、女房殿よりもかなり背が高かったからだ。
「このような御姿にさせてしまい、申し訳ございません」
思わずそう言うと、愛姫によく似た顔がそっと左右に振られる。
「髪を切ったほうがよいやろうか」
「とんでもない!」
即座に否定したのは小柄な女房殿だが、確かに、長い緑の黒髪はひとまとめにしていても目立つ。
だが、この時代の女性が髪を切るというのは、尼になるという意味だ。
「頭巾をかぶりますので、多少は隠れます」
勝千代もまたきっぱりと首を振ったものの、御方様の御覚悟を感じた。
「何とお呼びすればよろしいでしょうか。今だけの仮名をお付けしても?」
「……玉と」
女房殿が驚愕の表情をしたところを見るに、本名なのかもしれない。それはまずい。
「それでは、白玉殿とお呼びします。うちの者どもが御名をおよびする場合もあるやもしれません。ご容赦ください。女房殿は?」
「白梅です」
白玉に白梅か。
「わかりました。それでは参りましょう」
勝千代が手を差し出したのは無意識で、白玉殿が細く白い手で握り返してきたのもおそらくは同じく無意識だ。
だが、白梅殿だけではなく見守っていた東雲までひどく驚いた顔になったので、普通の事ではないのかもしれない。
勝千代はふと、こちらを見ている白玉殿の顔を見上げた。
その時頭に過ったのは、勝千代自身の母親はどういう方だったのか、そんなぼんやりとした想像だった。
「追手が掛かった場合の話をしましょう。私は姫君の振りをして注意を引きます。白玉殿は迷わず、東雲殿と行動を共にしてください」
緊張した顔が上下に振られる。
「大丈夫です」
握った手に力を込めて、じっとその御顔を見上げる。
「きっと大丈夫」
繰り返すと、ほんのわずかに、白玉殿の唇に笑みが浮かんだ。
できるだけ人目につかないように、廊下を通らず部屋の中をかいくぐって北東の門へと向かった。
方々の屋敷からも火の手が上がっているのだろうか、大通りは混乱していて、兵も多いが、避難する人も多い。かなり混みあっているので、うまい具合に視線が分散してくれそうだ。
周辺の屋敷も火事になっているということは、避難先もその道中も安全だとは言い切れないと言う事だが、御子らについては、一条家の者だと気づかれなければある程度なんとかなると考えている。
公家が護衛を連れているのはおかしなことではなく、むしろこんな時だからこそ、屋敷の外をうろついていても不審には思われないはずだ。
問題は、白玉殿だ。もっとも大人数での目立つ脱出になる。
勝千代ともうひとり、御方様に扮する者が、対外的に最も守られているように見せかける。
追手がかかる事は織り込み済み。
つまりは、すぐに東雲や白玉殿と別れることになる。
危険は引き受ける。
あとは東雲と、一条家の護衛たちが、白玉殿を無事につれて逃げてくれればいい。




