61-6 東三河 石巻城 戦後処理2
年功序列ではなく成果主義なのがこの時代のいいところだが、それを正当に評価し、どこからも不満が出ないよう調整するのは本当に難しい。
まわりからの評価は相対的なものだし、自身と周囲との認識に乖離があるのは多々ある事だし、自己主張しなければ認めてもらえないという風潮も良くない。
勝千代は阿波細川勢が退くという三日後ぎりぎりまで文机に向かい、ああでもないこうでもないと頭を悩ませた。
全員に領地を与える事は出来ない。多くは金銭やそれに類するものでの褒章になるのだろうが、それにははっきりとした序列をつけなければならない。
武将クラスの首をいくつ取ったとか? 一番槍は誰かとか?
ここで適当なことをしてしまえば、今はよくとも後々までの不満になるだろう。そういうのは避けたい。
戦をするのが簡単な事だとは言わないが、その前後の仕事のほうがよっぽど手間で、よっぽど難しい。
相談しようにも、机仕事が苦手な父は好きにしろと言うだけだし、朝比奈殿は阿波細川軍の動きの監視をしてもらっているので不在だ。
「少し休憩なさっては」
そう言うのは、頼もしく有能なイケメン天野殿だ。山積みの仕事の、少なくとも半分は肩代わりしてくれる。細長い顔も美形に見えてくるというものだ。
「甘いんじゃないですか」
ぶつぶつとそう文句を言いながら、投げ出した義足をがたがたと鳴らすのは勘助だ。
こいつの顔は全然男前には見えない。
仕事を手伝ってくれるのはいいのだが、文句が多い。言い方もひどく露悪的だ。
人を苛立たせたり陰鬱にさせたりする才能は、軍才以上に突出していると思う。
勘助、山本勘助。再びそのフルネームを思い出してしまい、もう何度目かもわからなくなるほど、四年前の自身の首を絞めてやりたくなった。
源吉とか源五郎とか勘平とか勘兵衛とか、ほかにも名前のつけようなどいくらでもあったのに。どうして勘助にしてしまったのだろう。
いやもちろん、違う名前を付けたからといって、勘助が勘助ではないという事にはならない。
つまりはこの先も永遠に気づかない可能性はあったわけで……逆にわかってよかったと言えなくもないのか?
「……人の顔見てため息つくのやめてもらってもいいですかね」
ものすごく不快そうに言われて、ついでにもうひとつ特大級のため息をついてやった。
「四半刻ほど休もう」
「そのほうがよろしいかと」
天野殿が同意してくれたので、同じように文机を並べて書き物をしていた藤次郎が顔を上げる。
「湯漬けでも用意いたしましょうか?」
この時代の大人は、事あるごとに勝千代の腹に物を詰め込もうとする。
大きくなるには必須なのだろうが、食欲がわかない。
勝千代は無言で首を横に振り、今度はなんとか溜息を飲み込んだ。
厠から出て、桶の水を柄杓ですくって手を洗った。
この城には水場が少なく、厠のそばに井戸がない。汲み上げポンプもない時代、山の上に井戸などないのは当たり前のことだが、非常に不便だ。
「父上は?」
手ぬぐいで濡れた手を拭きながらそう尋ねると、土井が「城の周りを見て回っておられます」と答える。ずるい。
「なんでも切掘りの一部が倒木に潰されているそうです」
つまりは長年放置されてきた城の整備を始めたという事か。
父は文書仕事の何倍も、この手の身体を動かす仕事が好きだ。確かに必要な事ではある。だが率先して父がしなくてもいいものばかりだ。
気分転換をしたくて、様子を見に行ってみようかと思案する。
三十分で戻るのは難しいだろうからそれは諦めて、十五分で行って戻れる範囲を歩いてみることにした。
石巻城は小さな山城だ。山頂の石がむき出しになっている形状が独特で、城の周辺もごつごつとした岩が多い。
地形上広い建物を建築することができないので、曲輪もひどくいびつな形だ。
これぞ山城。あちこち見て回るのは楽しい。
ちなみに、すべての兵をここに置くのは物理的には可能だろうが実用的ではない。
山を登るルートは限られているので、そこを塞ぐ位置に分散して配備している。
休憩はシフト制、四交代で城に戻し休ませている。ちなみに勤務が四交代ではなく、休憩が四交代なので、かなりの激務のはずなのだが、勝千代がこっそり観察している限り、どいつもこいつも、ものすごく元気そうだ。
それはそうだ。勝ち戦だ。三万の兵を退けたのだ。
勝ったこともうれしいだろうが、それにより褒章が出ると目算しウキウキしているのは、ボーナスを心待ちにしているその辺のサラリーマンと一緒だ。
わかる。ものすごくよくわかる。
文字通り命がけで頑張ってくれた彼らの顔を見るたびに、積み重なった仕事を早く片付けなければと思う。思うのだが……
「勝千代様?」
立ち止まって遠い目をした勝千代に、土井が気づかわしげな声をかけてくる。
「……疲れた」
近い所にしか聞こえない程度に声を潜め、呟くと、側付きたちがそろって眉を下げた。
考えすぎて頭が溶けそうだ。
戦後の処理の問題だけではない。いやむしろ並行思考で別の事を考えてしまうから、余計に手が進まないのだ。
山本勘助。
結局はそこに思考が戻ってくる。
山本勘助といえば武田信玄の軍師だ。
同姓同名というだけならばいいが、その身体的特徴まで似ているとなると、おそらくは本人で間違いないのだろう。
つまり、この世にはすでに武田信玄が存在する可能性が高い、ということだ。
そして、中学レベルの知識しかなくても、信玄が家康信長より少し前、いやほぼ同時期の武将だということは知っている。
「勝千代様? お勝様? どこかおかげんでも?」
土井がしきりに呼びかけてきて、とうとう腕を掴み揺すられた。
大丈夫。そう言いたかったが、声にならない。
自身が想像していたよりずっと、今川家の終焉に近い時代にいるのかもしれない。
そう思うと、ぞっと全身に悪寒が走り、しばらくは震えが収まらなかった。




