61-4 東三河 吉田城 和睦2
まだ日が高いので、開け放たれた室内は明るく、大広間の隅々までくっきりとよく見える。
三好殿の肩越しには目にも鮮やかな青空。戦の前と変わらぬ青々とした松の木。埃がゆっくり落ちる様すら見えるほど、キラキラと差し込む陽光。
その彩度明度に反して、淡々と続く三好殿の話は暗く重苦しいものだった。
勝千代は黙って耳を傾けた。
敗北した京兆軍についての話だ。
管領殿の所在は不明。生死も明らかではない。
混戦だったとはいえ、総大将が行方不明というのはいかにもきな臭い。
本陣を川沿いに北上させたのは陣代を務めた典厩家の弥九郎殿。今は捕らわれ、ここ吉田城の別室にいるそうだ。
京兆家家臣の多くは戦死。残る者は本陣が降伏したのでやむを得ず刀を置いたか、あるいは命からがら落ち延びて行ったとのことだ。
そのなかに例の兄弟がいたかは定かではない。彼らが今回の敗北にどこまでかかわっているのかもわからない。
管領殿の気質から言って、力量不足の若者に本陣を預けて逃げるとは考えにくく、生きてはいないだろうというのが三好殿の見解だ。
だとしても、その遺体がどこにもない以上は生存の可能性を捨てるわけにはいかない。
なるほど、三好殿にとっては不完全燃焼、不満の残る結末だということか。
今川軍と阿波細川軍は和睦を結ぶことになった。
内々ではなく、誓紙をかわしての正式なものだ。
条件にちゃっかり兵糧の補充を盛り込まれたのには苦笑したくなったが、完全に三河から撤退し、落とした城も港も放棄すると言っているのだから、それぐらいは許容範囲内だろう。
血で汚れた指先を拭いながら顔を上げ、同じように花押の上に血を一滴絞り落している三好殿に視線を戻した。
起請文はこの時代においてもっとも格の高い誓紙であり、約束事を神仏に誓うというものだ。書かれた実物をガラスケース越しに目にしたことはあるが、まさか己で書く日が来るとは思ってもいなかった。
落とした血痕が垂れない程度に乾くのを待ってから、三好殿側の側近に誓紙を手渡す。
三好殿の誓紙の血判に立ち会っているのは朝比奈殿で、書き終えたそれを受け取り確認のためにさっと目を通している。
互いに誓紙を交わし、和睦は成立した。
以後、この条件を違えることは面子にかかわるので絶対に許されない。
とはいえ、完全に味方になったのかというと、それも違う。
勝千代側は波多野兄弟のことを話していないし、三好殿にも伏せていることがあるだろう。
今回の和睦はあくまでも、今回の戦に限ったことだ。細川軍が三河から兵を退き、今川が義宗様を引き渡した時点で終了する。
勝千代の権限で許されているのはそこまでだし、それで十分だと思う。
阿波細川軍は撤退までの猶予を三日と申し出てきたので、了承した。
怪我人の世話や、荷物を運ぶのにそれぐらいの時間は必要だろう。
それまでは今川軍は石巻城に滞在することになる。吉田城に戻るのは、撤退を見届けてからだ。
勝千代たちが大手門から出てくると、ずっと立って待っていたらしい渋沢らがほっとした顔をした。
それもそうだ。敵地に少数の護衛のみを連れて乗り込んで行ったのだ。もしこれが罠ならと心配する気持ちはわかる。
「勝千代殿」
大手門まで見送りに出てくれた三好殿が、やけに親し気に名を呼んできた。
勝千代はまったく気にならなかったが、父は真顔、朝比奈殿は眉間にしわを寄せている。
「勝千代殿に御正室、あるいは許嫁などはおられるのだろうか」
「……はい?」
「いや、お若いのにこの御器量、是非我が娘と……」
そういうのはちょっと……。こんな舅怖すぎるし。
さすがに口にはしなかったが、表情で読み取ってくれたのだろう。「残念」と冗談のように言って、さらりと流してくれた。
来た道を、半日かけて戻る。
おそらく三好殿側の目もあるだろうから、おとなしく寄り道せずに。
段蔵によると、かなりの数の他国の忍びが行きかっているそうだ。多くが三好殿の、残りの半分は三河の、あとは近隣の国の者とのことだ。
三好殿の忍びが多いのは、管領殿を探しているからだろう。あとは敗走兵に要人が紛れていないかの調査だろうか。
波多野兄弟がどうしているかは、あえて調べさせなかった。長兄波多野殿については、僧侶を装った段蔵の配下が側についているので、何かがあれば知らせてくるだろう。
北条の忍びもいると聞き、げんなりした。とっさに清水湊で見かけた男を思い出したからだ。
さすがに小太郎本人はこちらにまで来ないだろう。伊豆方面にかかりきりのはず。
「……井伊殿はどうされているでしょう」
勝千代はふと、これまでは考えないようにしていた河東に思いを馳せた。
井伊殿に丸投げして任せてきたが、戦況がどうなっているか気になる。
負けてはいないと思うが、苦戦はしているかもしれない。
あと逢坂老。容体はどうなのだろう。歳が歳だけに心配だ。
「曳馬には何か知らせが届いているやもしれませぬ」
そう答えたのは、井伊殿の嫡男小次郎殿だった。
小次郎殿は、海野殿とともに山裾で待機していたのを合流した。不測の事態が起こったときに素早く動けるよう、兵は細かく分散して配置しておいたのだ。
曳馬か。
勝千代は、青白い御屋形様の顔を思い浮かべた。
戦ならどうにか勝とうと策を巡らせることもできる。だが人の余命をどうこうするなど不可能だ。
考えたくもないタイムリミットは、確実に迫っている。
小次郎殿や海野殿を各所に配置し、何かが起こった場合に備えたように、近い未来に必ず起こるであろうこの事態にも、念入りに備える必要があるのだろう。




