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春雷記  作者:
三河編

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61-3 東三河 吉田城 和睦1

 京兆軍の残兵が次々に狩られ、容赦なく追い立てられていく。

 どれだけが生き延びるだろう。少なくとも勝千代の見た範囲内だと、武器を置いて投降したからといって目こぼしされることはなく、文字通り根絶やしといった感じだ。

 早々に戦線離脱した一団が去ってしまえば、取り残された者たちに待っているのは死あるのみ。

 目をそむけたくなるような厳しい現実がそこにあった。

 誇り高い武士といっても、所詮は弱肉強食の獣と大差ない。いや、獣は食うために殺し、それ以上は見逃すと言うから、獣以下か。

 だがそれを残虐だと言う者はここにはいない。

 今の時代、特に武士の世界では珍しくもないことだ。


 勝千代はまっすぐに顔を上げ、煤と灰と生臭い死臭ただよう吉田城に足を踏み入れた。

 無数の視線が刺すようにこちらを見ている。

 正確には、阿波の兵たちが凝視しているのは、並外れた巨躯を誇る父だ。

 前を歩く勝千代より先に、父の威容に目が行くのは当然の事だった。

 誰も小さな子供になど見向きもしない。

 それでいい。むしろその方がいい。

 躓くことも、右手と右足を同時に出すこともなく、待ち受ける三好殿の前まで歩き切った。

 正直、まっすぐ歩くことに注力できて助かった。

 法螺貝が鳴ってから一刻ほど経っているので、既に馬酔いは醒め、眩暈も耳鳴りも収まっている。だがまだ若干地面がふわふわと揺れる感じが残っているのだ。

 吉田城の大手門前。

 もっとも激戦だったはずのそこに、すでに死体はない。

 きれいに清められた門前に立つのは三好殿。すでに鎧装備は脱ぎ、前回とは違い気合いの入った(高級そうな)直垂姿だ。

 少し手前で足を止め、勝千代はまっすぐにその目を見返した。

 完勝だろうに、あまりうれしそうではない。

 喜びを表には出さない気質なのか、まだ気がかりなことがあるのか。

 背後で、今川軍の随員たちがドンと槍の柄で地面を突いた。直立不動の構えだが、一斉に揃った音には威圧感がある。

 たっぷりと二十秒ほどの間を置いて、勝千代は更に十歩ほど前に進んだ。

 三好殿との距離が近づき、おおよそ五メートルほど。すでにもう声を張らずとも会話ができる距離だが、向かい合って立つ双方が口を閉ざし相手の出方をうかがっている。

「よう参られた」

 第一声は三好殿だった。

 意外なほど優し気な、柔らかな口調だった。

「この度は戦勝おめでとうございます」

「内々の諍いに巻き込んで申し訳ない」

 勝千代の当たり障りのない返答と違い、三好殿はかなりきわどい所を突っ込んできた。

 内々の諍いか。

 京兆家は、細川一族の総領家だ。かつてその当主の座を巡って争乱があって、先代の阿波細川家当主は破れて敗退した側だそうだ。

 つまりどうなるのだ? 次の京兆家は三好殿の主君が継ぐのだろうか。

「こちらこそ、伊勢殿の件を納得いただけてよかった」

 他所の御家の事情に口を出すつもりはないと、あえて三好殿の言葉をスルーして伊勢殿の名を出した。

 三好殿がにこりと、人好きのする表情で微笑む。

 勝千代もニコニコと、邪気のない子供の表情で笑顔を返す。

 気づけば、その場は静まり返っていた。

 誰も口を開かないどころか、鎧の擦れる音すらしない。

 ただ風が吹き抜ける音だけがした。

 

「武器はお持ちいただいて構わない。護衛も」

 そう言われて、帯刀したままの父や朝比奈殿とともに大手門をくぐった。

 当たり前のようにいつもの護衛たちも付いてくる。

 渋沢はその場に残った。大手門前で、連れてきた今川兵とともに待機だ。

 武装した父が一緒なのでそうそう危険はないと思うが、万が一城内で事が起こった場合、渋沢はすぐに今川本隊と合流する手はずになっている。

 勘助がまたろくでもない事を考えてくれて、今度は阿波軍の兵糧を運んできた船を狙うそうだ。確かに今は全兵力を吉田城の周辺に集めているだろうから、海の方向は手薄だろう。

 兵糧断ちをするのに格好の標的である。

 京兆軍戦にかなりの兵糧をつぎ込んだに違いない阿波軍にとっては、そこを断たれるのは死活問題になるだろう。

 ちらりとその誘惑が頭を過らなかったと言えば嘘になる。

 だが和睦を結ぶのだ。前々からそれを望んできた。

 勝千代の逡巡を読み取り、ニヤリと笑った勘助に、万が一の場合だぞ……と、何度も強く念押ししなければならなかった。

 カリギュラ効果? いやいやいや……大丈夫だよな?


 燃えずに残った二の丸の大広間に案内された。すべての襖が外されており、柱だけになっている。伏兵を潜めてはいないという無言の意思表示だろう。

 用意された席は、石巻城と似たような配列だった。

 ここでは三好殿が上座でもいいような気がするが、ほとんど対等。

 襖の事もそうだが、細かく配慮が行き届いているのが分かる。

 向かい合う二つの席は近い。父でも朝比奈殿でも、本気になれば切りかかる事ができる距離だ。

 これを信頼と取るべきか、油断を待っていると警戒するべきか。

「……随分とあっさり崩れましたね」

 勝千代は、ひそかに呼吸を整えてから口を開いた。

 警戒などしても無意味だ。そういうことは、何も言わずとも父たちがしてくれるだろう。

 今は和睦に集中するべきだ。

 まっすぐ顔を上げ三好殿と視線を合わせると、例の読み取りがたい目つきでこちらを観察していた三好殿が、うっすらと口角を上げた。

「兵糧がないと兵は働きませぬからな」

 その表情に、三好殿もまた京兆家の兵糧に細工をしたのではないかと疑いを持ったが、直接尋ねはしなかった。お互い様だ。

 だがそうなってくると、こちらが目算している以上に京兆軍は飢え、そのぶんの兵糧が阿波軍に回っていた可能性がある。

「多めに備えていてもこのようなことになる」

「大変ですね」

「そちらはまだ余裕があるようで……羨ましい事だ」

「国から小荷駄で運べる距離ですから」

 根本的に、遠国からはるばる来ている細川軍と、補給は主に遠江からという今川とでは条件が違い過ぎる。

 今回は今川館から邪魔が入ることもなく、補給はかなり潤沢なのだ。

カリギュラ効果とは……

「押すなよ! 絶対に押すなよ!」と言われれば言われるほど押したくなる現象のことですw

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >今回は今川館から邪魔が入ることもなく、補給はかなり潤沢なのだ。 嫡男上総介(&その配下)がきちんと後詰を果たして小荷駄(補給)に問題はなかったのか、あるいは遠江の国人達が手配して問題…
[一言] 押すなy....うわああああああ
[良い点] 地元だからね
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