60-7 東三河 石巻城2
前作「冬嵐記」が書籍化されます。
新紀元社モーニングスターブックスさまより刊行、発売日は二月二十日です。
雪山から出るところまでですが、もともとの十万字から四万字ほど加筆していますので、既読の方でも楽しんでいただけると思います。
ご予約お待ちしております!
これまで以上に、用心しなければと思いながら三好殿を見つめる。
表面上は非常に良さげな男だ。多くの人間から好意を寄せられるタイプ。実直そうで、人当たりもよさそうで、頭も回るのだろう。
だがその目の奥には、思わず顔を顰めたくなるような淀んだ何かがあった。
こういう男は、信用できない。
いや、気質としては善良、勘助などよりよっぽど陽の気質の持ち主だ。だが同時に、抱えているものの為ならば、さして良心の咎めもなく他者を切り捨てるのだろう。
……もちろんこれは、単なる印象だ。
勝千代とて人のことは言えないし、言うつもりもない。そもそも三好殿に深入りしていいことがあるとも思えない。
条件次第で兵を退くと言っているのだから、その通りにしてやるのが一番いい。
「……わかりました」
しばらくの考慮の末、勝千代は静かに言った。
「どのような取り決めにしますか? ここまでお連れするわけには参りますまい」
管領殿には気づかれたくないのだろう?
言外にそういうと、三好殿はにこやかな表情で複数回頷いた。
「それでは、船で堺まで。知らせて頂ければ引き取りに参ります」
まるで宅配の荷物のような扱いだな。ワレモノ注意の札でも貼ってやろうか。
さらに細かい決め事をいくつかしてから、三好殿は立ちあがった。
すくと立つその姿に緊張感はなく、さながら世間話でもしていたかのようだ。
味方であれば「それではまた」と笑顔で挨拶をして別れたくなる雰囲気だが、忘れてはならない、この男は敵だ。
立ち上がった三好殿は、その場で頭に笠をかぶった。三角の、頭にのせるタイプの小さなものだ。三好殿の配下の者たちも、脇に置いていた同じ色形の笠を手に取る。
手ぬぐいでほっかむりをし、その上に笠を乗せると、なるほど、十人の男たちは外見上見分けがつきにくくなる。
地味な小袖に袴姿で武装もしていないので、さながら地侍の集団のように見えるだろう。
別れ際、勝千代は天野殿が預かっていた刀を受け取り、直接三好殿に差し出した。
三好殿は再びまじまじと勝千代を見下ろしてから、わずかに見える口元をほころばせた。
その瞬間。
ぐい、と襟首をつかまれて真後ろに下がった。
足が浮いて、何事と思う間もなく目の前には壁があった。父の背中だ。
側にいた天野殿が捕まえてくれなければ、そのまま勢いよく後方に吹き飛んでいただろう。
三好殿が刀を抜いたわけではない。
握っているのは鞘と柄の二か所。鯉口を切っているわけでもなければ、その気配もない。
ただ、いつでもそうできる構えではある。
「いや、失敬」
刀を眼前で真横に掲げた三好殿が、なんということもない口調で言った。
「先代の主より拝領した大切な刀なのだ」
父は無言。勝千代の周囲の全員も同様。ついでに言えば、三好殿の配下の者たちも、腰を低くして身構えているだけで口を堅く閉ざしたままだ。
勝千代は天野殿に身振りで礼を言って、その場で居住まいを正した。
父が思いっきり襟首を引っ張ってくれたおかげで、前の合わせがゆるんでいる。さっとそれを整えてから、仁王立ちになっている父の真横に立った。
「お見送りできませんが、お気をつけて」
軽い咳払いをしてから、何事もなかったかのようにそう言うと、三好殿は今度こそはっきりそれとわかる笑みを浮かべた。
顔の下半分しか見えないが、相好を崩したとわかる微笑だ。
「……それでは御免」
三好殿はそう言い置いて、くるりとこちらに背中を向けた。
殺気立つ父たちのことなど、まったく眼中にもない素振りだ。
三好殿の配下の者たちも、一人、また一人と踵を返して去って行く。
彼らの姿が完全に見えなくなってから、勝千代の背後で誰かが長い息を吐いた。
「あれは駄目だ」
三好殿たちが去ってからしばらくして、父が憮然とした表情でそう言った。
人を疑わない……というよりも、疑おうが疑うまいがおいそれと害されることなどない父だ。そんな風に誰かを評するのは初めて聞いた。
「あれというのは、三好殿の事ですか?」
勝千代の問いに、父は渋い表情のまま頷く。
「できる方のように見えましたが」
「だからこそ阿波の総大将なのだろう」
それもそうだ。あれだけの規模の軍を任せられるのだから、優秀で信任篤い人物なのは間違いない。
「駄目とはどういうことでしょうか」
まさか秘めたる野心があるとか?
父は人を疑わないが、本能的に人を見分ける。佞臣が近づかないのは、すべてをなぎ倒していくそのスタイルに恐れ慄くからでもあるが、基本的にそういう輩を寄せ付けないのだ。
そんな父の事だから、勝千代が気づかなかった何かを嗅ぎ分けたのかもしれない。そう思いながら問いかけると、相変わらず首が痛くなるほど上の方にある顔が、苦いものを飲み込んだように歪んだ。
「生きることに頓着していない」
「そうですか? 何事にも動じず、道を探しそうな方ですが」
むしろどんな逆境からでも、どんな手段を用いてでも生還しそうだ。
「いや」
だが父はきっぱりと否定した。
「あの男は駄目だ」
そう繰り返して、確信ありげに首を振る。
もしかすると、父にもよくわかっていないのかもしれない。理由を言語化できないのなら、それこそまさに直感だ。
勝千代はそんな父の顔をじっと見た。それ以上は尋ねなかった。
あの目の奥の昏さを、思い出してしまったからだ。
「勝千代様! 殿!」
渋沢が帰還してきたので、話を続けることができなかったというのもある。
勝千代はパッと声のする方向に顔を向け、黒づくめの鎧兜の男が無事に、いやむしろ元気そうに駆けよってくる姿を見てほっとした。
三好殿の事を考えるより、この再会を喜ぶべきだろう。




