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春雷記  作者:
三河編

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59-2 東三河 吉田城1

「……おのれ」

 その怨念のこもった唸り声は、ガタガタと床を鳴らすほどの震えを伴っており、ゾッとするどころか、本人がそのまま心臓発作でも起こすのではないかと不安になるほどだった。

 勘助が「失敗するはずがない」と豪語した兵糧断ちは、半分が成立し半分が失敗した。

 というのも、目論見より多くの船が、港でもない別のところに兵糧を運んできたからだ。

 三好殿はやはり油断のならない男だ。

 先の京での状況から、畿内で米を調達できるか不安があったのだろう、遠征になりそうだとわかった時点で、国許から兵糧を送らせていたようだ。

 とはいえ、そのほかの海路の便と、陸路のほうはうまく遮断できたので、細川連合軍に十分な兵糧は行き渡っていない。半分失敗したというよりも、三分の二ほどは成功したというべきか。

「完全に断てば、必死になった者どもがどう動くかわからぬ。適度な猶予がありつつ、やはりどうあっても足りない。ちょうどいい塩梅だ」

 勝千代はそう慰めてみるが、勘助の怒りはちょっとやそっとでは治まらない様子で、しわがれた軋むような声がぶつぶつと恨み言を繰り返している。

「勘助」

 貧乏ゆすりどころか、トランス状態に近い異様な雰囲気で全身を揺らしていた勘助だが、勝千代が名を呼ぶと、ギロリとこちらを向いた。

 憎悪と怒りの混じった嫌な目つきだ。少なくとも子供に向けるものではない。

 だがその隻眼をじっと見返して、勝千代は小さく頷いた。

「納得がいかぬなら次の手を打て。阿波からの兵糧はまだ舟の中だ」

 直接本隊に送り届けたかったのか、阿波からの輸送船は他の船が寄港した港には入っていない。海上にとどまって、上陸する場所を探している段階だ。

 その兵糧を横から奪い、交渉の種にするのもよい。あるいは京兆家のほうに、阿波細川家が大量の兵糧を運んできたことを「こっそり」知らせてやるのもよい。

 そもそも今回の兵糧断ちは、あくまでも一時的なものだ。

 細川軍全体を囲んでいるわけではないので、籠城戦のように兵を飢え死にさせるところまではいかないのはわかっていた。人間、水があれば数日間は生き延びる事ができるからだ。

 今回の兵糧断ちは、いったんの輸送不備を装っているだけなので、遅くとも数日遅れで運ばれてくる。

 その食う物がない数日間、ただでさえ不安定な細川軍が、冷静にこの事態を乗り切る事ができるだろうか。

 それを思えば、完璧にすべての兵糧を断つことはできなかったが、勘助の策はおおむね成功したといってもいい。

 むしろ、阿波の船便だけ無事届いたという事態が、疑心暗鬼を煽るだろう。

「……恐ろしい事をお考えになる」

 勘助の唸るような声に、勝千代は首を傾けた。

 容赦なくえげつないのは勘助の方だと思う。遠回しにそう言ってみたが、周囲の誰も同意してくれなかった。

「松平のご老人が、体調不良を理由に後方に下がったようです」

「京兆家の管領殿が、激怒して側近を切り捨てました」

 段蔵が持ち帰ったのは、兵糧の件以外にも単発の情報をいくつか。

 中でも重要だと思ったのは、細川連合の兵が西三河の南北に二分されつつあるということだ。

 正確には、京兆家の軍が山の方向に移動し始めたと言うべきか。

 それが何らかの策の前兆か、ただトラブルを避けるための采配かはわからない。

 更に動きを慎重に見張るよう命じると、段蔵は静かに頭を下げた。

 吉田城での軍議は、陽が落ちるまで続いた。

 夜はむしろ昼間よりも警戒が必要だと、見張りの兵士を多く配置した。

 勝千代は休むようにと言われ、父が先だと意見してみたが、途中であくびがこぼれてそのまま問答無用に寝所に運ばれた。

 臥所に潜り込んだ瞬間に眠ってしまったのは、疲れもあったのだろう。

 父も朝比奈殿たちもまだ起きていると知っているだけに、体力のない子供であることを改めて不甲斐なく感じてしまった。


「勝千代様!」

 藤次郎に揺すられても、意識はすぐに浮上しなかった。

「勝千代様っ‼」

 その声の調子が異常であり、起きるべきだというのは心のどこかでわかっていても、すぐに瞼が開かない。

 重い目をこじ開けて、ぼんやりと暗い周囲を見回す。

 まだ明け方までには早そうな刻限だ。

 「なんだ」と問い返そうとして、さっと血の気が引くように意識が明瞭になった。

 本丸奥にまで伝わってくるほどに、城中が騒がしい。

 何かが起こったのだ。そう察して、考えるより先に飛び起きる。

「河口を見晴らせていた三百が奇襲を受けました。細川軍は海から船で兵を渡したようです」

「被害は」

「篝火は焚いていたそうですが、丁度月が雲に隠れていた時で」

「被害はどうなんだ」

 強めの口調で問いかけると、身支度をしてくれていた藤次郎の言葉が途切れる。

 まさか全滅か。

 報告がきているということは、何人かは生き延びたのだろうが……

 下流の、橋を架けようとしていたところに兵を配して見張らせていた。

 こちらに気づかれた以上、同じことをしようとするとは思えなかったが念のためだ。

 だが今回は敵の方が一枚上手だった。兵糧の不足は細川軍も気づいているだろうから、事を急ぐだろうと予測していたのに。

 いったいどれほどの兵が東側に渡ったのだろう。海から船でと言っていたな。例の兵糧を積んでいた船かもしれない。

 思いつかなかった自身に歯噛みして、支度が整うや否や寝所を飛び出した。

大晦日です。

今年も一年お世話になりました。

新年からもよろしくお願い申し上げます。

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― 新着の感想 ―
三好が遠江まで来るとか、フィクションだから面白いけど、もっと説得力が欲しい。
[一言] あけましておめでとうございます。 今年も作品更新楽しみに待ってます。
[一言] 今年1年ありがとうございました! 来年も楽しみにしております。
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