5-6 上京 一条邸 中門6
伊勢殿はその三十分ほど後には駆けつけてきた。
かなりの軍勢を引き連れてきたというのは、戻って来た逢坂老に聞いた。
門前では、閉め出した自称役人どもを一歩も入れぬ構えでいたのだが、邸内の騒ぎに気づいて幾人かが逃げ出そうとしたらしい。
逢坂はそれを捕えて、棟門のほうから連れてきていた。
伊勢殿の兵が無頼の役人どもを片っ端から捕縛し始めたのを見て、その前に複数名を確保してくれたらしい。
伊勢殿側に捕えられてしまえば、こちらで話を聞くことが難しくなるという判断だろう。
その男たちは、ものすごい笑顔の土居侍従に引き渡された。
安全圏で見ていたその男たちこそが、今回の事情を最もよく知っていそうだ。
門の外ではしばらく捕り物が続き、やがて礼儀正しい申し送りがなされる。
身分ある御家への訪問としては、それでも礼儀にかなっているとは言えないが、土居侍従が幾度か問答をしてから開門の指示を出した。
十分な油が差されている為か、それほどの音もなく重い扉が開いていく。
その先にあったのは、まるでこれから戦に行くかのような物々しい武装の軍団と、その足元に転がる貧相な装備の役人たちの姿だった。
門と壁に隔てられてよく見えないが、その軍団の数は十、二十ではない。
一条邸が再び緊張感に張りつめ、勝千代の傍らでは小次郎殿が血の気が失せるほど顔を強張らせている。
伊勢殿にこの件を知らせてからちょうど一時間ほど。
これだけ支度の整った兵を集めている時間的余裕はなかったはずだ。
都合よく一条邸を占拠する口実にされたのではないか。一瞬、そのような考えが勝千代の脳裏をよぎる。
「北条軍です」
逢坂老の言葉に、さもありなんと頷いた。
どう考えても文官である伊勢殿が動かせる類の兵ではなかったからだ。
よく見ると、その傍らに左馬之助殿がいた。
勝千代が三十名からの兵を連れてきているように、北条左馬之助殿もこれだけの護衛を率いて京に来ていたのだろう。
見た所歩兵ばかりのようだが、この連中が追手になれば、福島家が京から去るのは簡単ではないかもしれない。
「……一条家の兵数は?」
「この御屋敷に配備されている数でしたら、おおよそ五十ほどでしょう」
逢坂老の返答に、厳しいなと顔を顰める。
京に兵を集めることはタブーのようにされているから、五十という数は決して少ないわけではない。
だが、訓練された兵士の相手をするなら、せめて同数、確実性を考えれば倍の兵が欲しいところだ。
「凌げるか」
「我らが合力すればなんとか」
だが、あれだけの数で一条邸に踏み込まれてしまえば、楽な戦いではないだろう。
「侍従殿、すぐに避難できるよう準備された方が良い」
「御方さまは御子をお産みになりはってそれほど経っておられませぬ。今はまだ……」
「それでも。御身が武家の手に渡ればろくなことに」
勝千代は言葉を途切らせた。
左馬之助殿の鋭い一瞥が、こちらを向いたのだ。
「勝千代殿もお下がりください。ここは我らが。じきに我が主もお戻りでしょう」
「侍従殿」
勝千代はそっと、唇を動かさないように喋った。
「屋敷の中に踏み込ませず、時間を稼ぎましょう。外聞を憚るので吉祥様は保護している、兵を下げるならすぐにもお返しすると」
土居侍従は毅然とした表情で伊勢殿を見据え、肝の据わった表情で頷く。
「あれは北条軍です。幕府の兵ではない。それを問題視すれば、権中納言様が戻られぬうちは招き入れることはできないと言い張っても文句は言えないでしょう」
勝千代はそっと大人の影になるよう身を隠し、声も更に抑えた。
「その間に、屋敷内でもせめて気づかれにくい場所に方々を御隠しするべきです」
いざという時の退路が確保できる場所であることが最低条件だ。
理想は侍所か厨近辺。誰もが、高貴な方々がいるはずがないと思うところが良い。
「御身が幕府の手に渡れば、この件をなかったことにする交渉材料に使われかねません」
無かったことにするのが、幕府にとって最もよいのは確かだ。
だがそこに、一条家の方々を巻き込むと遺恨になる。双方共のためによくない。
「東雲さまと小次郎殿を奥へ。万が一脱出するような事になれば、我らもお力をお貸しできます」
土居侍従殿がわずかに頷くのを確認してから、勝千代はそっと目立たないように中門廊のほうへと下がった。
なおもまだじっと左馬之助殿に見られている。
悪意を感じる視線ではないが、冷静にこちらを見定めている雰囲気だ。
ふと、北条家と敵対することになった場合の事が頭をよぎる。
御屋形様にご迷惑をおかけしてしまうだろうか。……いや、今川も北条も、皇族と敵対する道を選ぶとは思えない。
愛姫は、もうすぐ親王宣下を受けられる御方の婚約者なのだ。
「退き口の確保を」
「……はっ」
速足で北棟に進みながら、指示を出す。
連子窓からちらちら見える松明の明かりに、先程は感じなかった悪寒のようなものを覚えた。
今ここが、まさに歴史の転換点なのではないか。
そう思えば思う程、より強い恐怖に見舞われる。
何かを間違えたら、取り返しがつかないかもしれない。
それは、自身が刺客に襲われることよりもずっとずっと恐ろしかった。
唇が細かく震えていることに気づき、ぐっと奥歯を噛みしめる。
できれば危惧するような事態にならない事を、心から願った。




