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春雷記  作者:
駿河編

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327/397

55-6 遠江 土方3

 本当に頭が痛いのは、戦そのものではなく付随する諸問題だ。

 いやもちろん、大差の敵にどう戦うかは大切なことだ。誰だって死にたくはないし、誰も死なせたくはない。

 それぞれに思いがあって動くから、すべてを考え通りに動かすことは不可能だ。

 電話一本で「それやめて」と止める事は出来ない。その真意も推測するしかない。

 御屋形様を置いて最前線に赴いた興津は、おそらくはこの戦に殉じる気だ。

 生きて戻る気がないからこそ、寡兵で最前線に向かったのだろう。

 三万の兵に、興津が連れているのは五百か? 馬鹿のように真正面から戦う気でいるのは明白だった。

 勝てるわけがないだろう。止めない御屋形様も御屋形様だ。

 勝千代は心穏やかとは言えないままに、井戸端で手を洗っていた。

 真正面に高天神城が見える。

 小ぶりだし、豪華さのかけらもない武骨な姿だが、山城らしい山城、自慢の難攻の城だ。

 土方から見えるのはほんの一部だが、じっと見ていると心が落ち着いた。

 かつてはあんなにも恐ろしい場所だと思っていたのに。

 ひとの心は移り変わる。状況もそうだ。

 焦っても仕方がない。皆を救う道はまだあるはずだ。


 土井が差し出した手ぬぐいを受け取り、無言のまま拭く。

「……お勝様」

 藤次郎に促され、顔を上げると、少し離れた東屋の角に東雲がひとりで立っていた。

彼に話があるのはわかっていた。勝千代からも話しておきたいこともある。

 その傍らに鶸の姿はない。近くにいるのかもしれないが、勝千代の前に出る気はないようだ。

 近づくと、東雲はいつも通りの真っ白な狩衣姿で困ったように眉を下げた。

「聞いてもええやろうか」

「はい。こちらもお伺いしたいことがあります」

 東雲の潜めた小声に、勝千代は頷きを返した。そして、ずっと懐に隠し持っていた例の偽書を取り出す。

「これは東雲様の手ですね」

「……ああ」

 それを目にした瞬間に、東雲の表情がほっとしたように緩んだ。

「何故これが伊勢殿に渡るようなことに?」

 東雲はあえて偽書に手を伸ばすことなく、じっとそれを見つめて嘆息した。

「御所が焼けた日に、中身を入れ替えたのや」

 それを聞いて、すべてがしっくりきた。


 それぞれに、それぞれの思惑がある。

 一概にそれが悪いことだとは思わない。結果として誰かにとっての悪になろうとも、その者の正義に従っての行動ならば、ある意味間違ってはいないからだ。

 東雲はおそらく、伊勢殿の手に本物を渡したくなかった。

 伊勢殿は立つ根拠となるものがどうしても必要だった。

 もちろん双方に言い分があるだろう。

 結果として御所は燃え、帝は弑され、伊勢殿の蜂起は失敗に終わった。

 どこまでこの偽書が関わっているのかはわからない。

 だが伊勢殿はこれを、最後の一手として残しておいたのだろう。

 果たして偽書だと知っていたかどうかは定かではない。


「中身は?」

「さあな。燃えてしもうたかもしれぬ」

 きっとそれは嘘。

 はっきりとそうわかっていて、勝千代は頷き返した。

 本来の中身が何だったのか、どうして東雲がそれを入れ替えることができたのか、色々と気になるところはあるが、あえて聞かない。

 この男の秘された血統による何かがあるのだろう。勝千代が知ってもよいことではない。

「処分しますか」

「ええのか」

「東雲様のお手でどうぞ」

 偽書だとわかって持ち続けるのはむしろ危険だ。

 勝千代は手にしていた偽書を躊躇なく差し出した。

 突き付けられた東雲のほうが、怯んだ表情をした。


「寒月様は御存知なのですか」

 ようやく受け取って、かなり安堵している様子の東雲に声をかける。

 東雲は低い位置にある勝千代の顔を、首を折るようにして見降ろした。

 そっとかぶりが振られる。

「あの御方のことやから」

 何もかも知っていてあえて黙って見ている、ということはあるのかもしれない。

 隠居した身とはいえ、勝千代より確実に何かを知っていそうな御立場の方だ。

 勝千代は、高い烏帽子のせいで余計に背が高く見える東雲をじっと見上げた。

「巻き込まれる前にここからお離れになったほうが」

「こちらのことは気にせんでええ」

 ひとの心配をしている場合かと、気づかわし気に窘められて、勝千代は「そうですね」と息を吐いた。

「寒月様に仲裁をお願いしてみるのはどうや」

「御所と揉めますよ」

「……御所な」

 東雲は含みのある口調で呟いた。すでに帝が崩御されたのに勅令が下りた事を揶揄しているのだろう。

 このことが世間に知られると、将軍宣下なり、その他の条件で細川を動かしている根拠そのものがゆらぐ。

「まずは和睦の意思を伝えようかと思うております」

 やれるだけやって、それでも無理なら寒月様に口を利いてもらうおう。

 勘助らは戦う気満々だが、それはあくまでも最終手段だ。

 だってなぁ、三万だぞ。今川家の全兵力を合わせても半分あるかないかだ。

 勝千代がするべきなのは、武士としての誇りや立場を守るための戦ではなく、この国を守り皆を生かす手立てを探ること。

 そのために頭を下げろと言うなら下げるし、泥をすすれと言うならそうする。

 華々しい死など、つくづくナンセンスだ。そうだろう?



「まあ、ええんやないか」

 そう言って笑うのは、心配事がすっかり晴れたとばかりに明るい表情の東雲だ。

 その目前にあるのは、先程返したばかりの偽書……いやいやいや、処分するんじゃなかったのか? 何故速攻戻ってくるのだ。

 包紙は変わらず、恐れ多い御印のある豪華なもの。だがきっと中身は違う。

 勝千代は恐る恐るその書簡と、東雲とを交互に見た。

 分相応という言葉を知っているか?

「お守りやから、持っておいき」

 お守りって。

 勝千代はとっさに懐の扇子に手を当てた。確かにこれまで絶大な効果を発揮してきたが……この封書がお守り? 違うだろう。

 勝千代は懐疑の目で書簡を見下ろした。中身は何だと聞いてもいいものか。


 朝比奈殿が軍を引き連れ高天神城まで南下してきた。今御屋形様と個人的に話をしている。

 これから勝千代も城に戻り、まず曳馬城まで、続いて興津がいるという最前線の砦まで進む予定だった。

 率いる兵は、天野殿が合流してくれたのでおおよそ二千八百。興津の兵らとあわせれば三千五百に届くだろうか。

 三万の兵に対するにはあまりにも心もとないが、今川家としての最低限の格好は整ったことになる。

 いったん出陣してしまえば、土方にはしばらく戻れない。

 おそらく東雲と言葉を交わせるのも、これで最後だろう。


「なぁ、お勝殿」

 東雲が屈託のない表情で目を細めた。

「利用できるものはなんでも使こうたらええのや」

 穏やかな口調でそう言われ、はっとその顔を見上げる。

「伊勢が後生大事に抱えとった偽もんと違い、霊験もあらたか、効果も絶大やぞ」

「どこの叩き売りですか」

 勝千代は軽く噴き出し……だがそれもそうだな、と頷いた。

「中身をお伺いしても?」

「お守りやから、開封したら効果は半減する」

 なんだそれは。

 笑い飛ばせばいいのか、やはり受け取りを拒否する方がいいのか。

「いざという時に、敵の鼻っ面に投げつけてやれ……寒月様の御言葉や」

 ますます恐ろしくなったが、寒月様の名前を出されたら受け取らないわけにはいかない。

「……それにしても」

 東雲がくすくすと軽やかに笑う。

 軽く紅をさした唇が弧を描き、扇子の後ろに隠れる。

「馬子にも衣裳やなぁ」

「言わないでください」

 いつの間にか父が用意してくれていた子供用の小具足。

 戦場でもずっと場違いな直垂で通してきたので、ありがたいことはありがたい。だが……

 側付きたちを含め、勝千代の初の小具足姿を皆が「よく似合う」と言う。

 だが「よく似合う」の後ろに、(笑)の文字が見えるんだよ!

「少し大きいんやないか」

 だから、言わないでくれって!

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― 新着の感想 ―
[一言] 子供はすぐに大きくなりますからね。 着る物は大きめを用意するのが常道ですよ。 袖は萌え袖、裾は折り返し、ウエストゆるゆるに親はキュンキュンするんです。 ダボダボがピッタリになったのを見て、子…
[一言] そろそろ人物一覧がほしいな・・・前作も含めて^^;
[良い点] 毎日の更新ありがとうございます。 無理をされてなければいいのですが とは言え、連日楽しみにしております。 小具足とかおお、流石に武家の子とニマニマしました。 [気になる点] 名前が覚えら…
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