55-4 遠江 土方1
どう表現すればいいだろう。
別に参加したくはないのだが、自分だけ集まりに呼ばれなかった時の釈然としない感じ? あるいはドア越しに悪口を言われていたような気まずさだろうか。
もちろんここはそういう集まりではないし、悪口のひとつやふたつ言われていたとて何ということもない。
だが、どう考えても水と油、むしろ大爆発を起こしかねない組み合わせなのに、この和やか感は何だろう。
「失礼いたします」
とてつもなくアウェイな気分で顔を顰めた勝千代の背後から、志郎衛門叔父が合流してくれた。
ほっとして振り返り、まったくもって平常心の叔父に改めて尊敬の目を向ける。
下手をしたら三万の敵よりも、この部屋の圧のほうが強いと言ったら叱られるだろうか。
「戻ったか」
そう言ったのは御屋形様だ。
甥を呼びに行くという口実で、ここから離れた叔父の気分はよくわかる。勝千代でもそうする。だが同時に、戻れと言われていて戻らないわけにもいかない相手だ。
叔父は深々と一礼してから顔を上げ、勝千代を見た。
「ざっと説明は致しましたが、どうされますか」
「ほかに何か良き案があるのなら聞かせてもらおうか」
正直、叔父の説明とやらはよく聞いていなかった。頭が理解を拒んだとも言う。それよりも、御屋形様が土方にいる事の方に思考をとられ、病身でどうやって此処までという疑問と、どうやって駿河までお連れするかをあれこれ考えていた。
「戻らぬぞ」
勝千代が口を開く前に、御屋形様に釘を刺された。
「今更戻ったとて、することは何もない」
いや、監禁している母親と妻の対処ぐらいはしてほしい。
「上総介さまを寡兵で曳馬に送ったという話を聞きました。お会いになられましたか」
「いや」
あっさり言うなよ。
「ともに駿河に退いて頂きたいのですが」
「あれにとっても、証を示さねばならぬときだ」
「なんの証ですか」
勝千代は多少イラっとしながら言い返した。
「曳馬にはいま兵は二百ほどでしょうか。二百で三万を相手になんの証を示すと?」
「そのほうに」
「……は?」
「そのほうに兄たる自身を証明せねばならぬ」
勝千代とて、率いているのは二千だ。だが伊勢殿の首という交渉材料を持ち、和睦の話し合いの根拠になるものを持っている。
だが上総介殿はたった十人で曳馬に出向き、手駒になり得るのは城を守る二百の兵のみ。
曳馬城はあれからも城の改修を進めていて、堀を増やしたり色々と手をかけているようだが、それでも三万を持ちこたえるのは無理だろう。
「死んでもよいと?」
親より先に逝くのは親不孝というんだぞ。この状態の御屋形様よりも先に討ち死にしてもいいと言うのか。
勝千代の表情に、御屋形様の青白くかさついた唇が震えるように弧を描いた。
「それが武士よ」
「はあっ⁈」と本気で言いそうになった。しかも尻上がりの不遜なやつだ。
だが御屋形様は咎めることなく、ふっと息だけで笑った。
「駿河遠江の守護となるには、血筋だけでは足りぬのだ」
「代わりに動かせる手足があればよいではないですか。頭がなくば、それこそどうしようもありませぬ」
「下が従わぬ」
御屋形様の口調は柔らかかったが、言っている事は結構容赦ない。
「今のそのほうになら、少なくとも遠江の兵は従うだろう。駿河の兵も命じられて否とは言うまい。だがぬくぬくと今川館で守られて育った上総介にはどうだ?」
「それは」
「従わぬよ」
そう言い切り、疲れたように瞼を伏せた。
だがこうなったのにも原因がある。
桃源院様や御台様によって真綿で幾重にも包まれて、嫡男大事と育てられたのだ。
せめて四年前の、御屋形様が御倒れになったあの頃から、常に側に置き、直接手と目を掛けて扶育していれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
「ともあれ、曳馬が落とされねば良いのでしょう」
空気を読まない勘助のひと言に、その隣の証如が同意するように数回頷く。
さきほども思ったが、やけに親し気な雰囲気だ。……この組み合わせに一際の不安を感じるのは勝千代だけか?
「三万の敵を相手取るなど、早々できる事ではありませぬ。腕が鳴ります」
待て、何をする気だ。
志郎衛門叔父の言っていたことを、話半分に聞いていた弊害が出た。
うまく動く方の手で反対側の腕を叩き、そう言った勘助の表情は、ここ四年で見たことがないほど生き生きしていた。この男のやる気にはかなり用心しなければならない。
「我が門徒を除けば足軽などたいして残りませぬ」
追従して「ふふふ」と笑う証如の表情に、背筋に抑えきれない悪寒が走った。
そうだ、兵の大半は足軽、つまりは農民なのだ。浄土真宗本願寺派は、特にその農民階級から熱狂的すぎる支持を得ている。京での戦いでも、そのあたりが情勢を引っ掻き回していた。無視することのできない要素だ。
「待ってください」
勝千代は素早く手を上げて、張り切る二人組を制した。
「その話はもっと詰めた方が良い。最初から聞かせてください」
まさか聞いていませんわかりませんとは言えず、わざと厳しい顔をする。
証如は一瞬不安そうな表情になったが、勘助は露骨にむっとして、「反対するのか」と問うてくる。
勘助のやり口は悪辣なのだ。敵味方に犠牲を厭わない。
勝千代は、寒月様や御屋形様の御前だということを忘れて、こめかみを強く揉み、「はーっ」と長く息を吐いた。




