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春雷記  作者:
駿河編

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325/397

55-4 遠江 土方1

 どう表現すればいいだろう。 

 別に参加したくはないのだが、自分だけ集まりに呼ばれなかった時の釈然としない感じ? あるいはドア越しに悪口を言われていたような気まずさだろうか。

 もちろんここはそういう集まりではないし、悪口のひとつやふたつ言われていたとて何ということもない。

 だが、どう考えても水と油、むしろ大爆発を起こしかねない組み合わせなのに、この和やか感は何だろう。

「失礼いたします」

 とてつもなくアウェイな気分で顔を顰めた勝千代の背後から、志郎衛門叔父が合流してくれた。

 ほっとして振り返り、まったくもって平常心の叔父に改めて尊敬の目を向ける。

 下手をしたら三万の敵よりも、この部屋の圧のほうが強いと言ったら叱られるだろうか。


「戻ったか」

 そう言ったのは御屋形様だ。

 甥を呼びに行くという口実で、ここから離れた叔父の気分はよくわかる。勝千代でもそうする。だが同時に、戻れと言われていて戻らないわけにもいかない相手だ。

 叔父は深々と一礼してから顔を上げ、勝千代を見た。

「ざっと説明は致しましたが、どうされますか」

「ほかに何か良き案があるのなら聞かせてもらおうか」

 正直、叔父の説明とやらはよく聞いていなかった。頭が理解を拒んだとも言う。それよりも、御屋形様が土方にいる事の方に思考をとられ、病身でどうやって此処までという疑問と、どうやって駿河までお連れするかをあれこれ考えていた。

「戻らぬぞ」

 勝千代が口を開く前に、御屋形様に釘を刺された。

「今更戻ったとて、することは何もない」

 いや、監禁している母親と妻の対処ぐらいはしてほしい。

「上総介さまを寡兵で曳馬に送ったという話を聞きました。お会いになられましたか」

「いや」

 あっさり言うなよ。

「ともに駿河に退いて頂きたいのですが」

「あれにとっても、証を示さねばならぬときだ」

「なんの証ですか」

 勝千代は多少イラっとしながら言い返した。

「曳馬にはいま兵は二百ほどでしょうか。二百で三万を相手になんの証を示すと?」

「そのほうに」

「……は?」

「そのほうに兄たる自身を証明せねばならぬ」

 勝千代とて、率いているのは二千だ。だが伊勢殿の首という交渉材料を持ち、和睦の話し合いの根拠になるものを持っている。

 だが上総介殿はたった十人で曳馬に出向き、手駒になり得るのは城を守る二百の兵のみ。

 曳馬城はあれからも城の改修を進めていて、堀を増やしたり色々と手をかけているようだが、それでも三万を持ちこたえるのは無理だろう。

「死んでもよいと?」

 親より先に逝くのは親不孝というんだぞ。この状態の御屋形様よりも先に討ち死にしてもいいと言うのか。

 勝千代の表情に、御屋形様の青白くかさついた唇が震えるように弧を描いた。

「それが武士よ」

 「はあっ⁈」と本気で言いそうになった。しかも尻上がりの不遜なやつだ。

 だが御屋形様は咎めることなく、ふっと息だけで笑った。

「駿河遠江の守護となるには、血筋だけでは足りぬのだ」

「代わりに動かせる手足があればよいではないですか。頭がなくば、それこそどうしようもありませぬ」

「下が従わぬ」

 御屋形様の口調は柔らかかったが、言っている事は結構容赦ない。

「今のそのほうになら、少なくとも遠江の兵は従うだろう。駿河の兵も命じられて否とは言うまい。だがぬくぬくと今川館で守られて育った上総介にはどうだ?」

「それは」

「従わぬよ」

 そう言い切り、疲れたように瞼を伏せた。

 だがこうなったのにも原因がある。

 桃源院様や御台様によって真綿で幾重にも包まれて、嫡男大事と育てられたのだ。

 せめて四年前の、御屋形様が御倒れになったあの頃から、常に側に置き、直接手と目を掛けて扶育していれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。


「ともあれ、曳馬が落とされねば良いのでしょう」

 空気を読まない勘助のひと言に、その隣の証如が同意するように数回頷く。

 さきほども思ったが、やけに親し気な雰囲気だ。……この組み合わせに一際の不安を感じるのは勝千代だけか?

「三万の敵を相手取るなど、早々できる事ではありませぬ。腕が鳴ります」

 待て、何をする気だ。

 志郎衛門叔父の言っていたことを、話半分に聞いていた弊害が出た。

 うまく動く方の手で反対側の腕を叩き、そう言った勘助の表情は、ここ四年で見たことがないほど生き生きしていた。この男のやる気にはかなり用心しなければならない。

「我が門徒を除けば足軽などたいして残りませぬ」

 追従して「ふふふ」と笑う証如の表情に、背筋に抑えきれない悪寒が走った。

 そうだ、兵の大半は足軽、つまりは農民なのだ。浄土真宗本願寺派は、特にその農民階級から熱狂的すぎる支持を得ている。京での戦いでも、そのあたりが情勢を引っ掻き回していた。無視することのできない要素だ。

「待ってください」

 勝千代は素早く手を上げて、張り切る二人組を制した。

「その話はもっと詰めた方が良い。最初から聞かせてください」

 まさか聞いていませんわかりませんとは言えず、わざと厳しい顔をする。

 証如は一瞬不安そうな表情になったが、勘助は露骨にむっとして、「反対するのか」と問うてくる。

 勘助のやり口は悪辣なのだ。敵味方に犠牲を厭わない。

 勝千代は、寒月様や御屋形様の御前だということを忘れて、こめかみを強く揉み、「はーっ」と長く息を吐いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「皆の衆、よく聞け! 今目の前にいる者たちは敵ではない。 では、真の敵、、、仏敵は誰だ! それは…アイツだ〜〜〜〜!」 と、相手の総大将あたりを指差しながら大声上げるハイなお坊さんの姿が…
[一言] 甲斐の軍師(予定)の人と本願寺の後継者とお公家さま・・・。 何がどうなればこうなるのか・・・。
[良い点] >「その話はもっと詰めた方が良い。最初から聞かせてください」 一向宗の次期門主(協力者)とクセとアクの強い牢人/浪人(家臣候補)を、軍議を通して「勝千代の望む勝利」の実現に従わせる。 自覚…
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