53-3 駿府 福島屋敷3
ムカついたので、同行は拒否した。具合が悪いの一点張りだ。
お子様の体調だぞ。無理を言うなよ。
ついでを言うと、我が家におもてなしできる使用人がいないので、お引き取りも願った。当たり前だ。
だが押し掛け客は全く納得せず、その場を動こうともしない。
怒りの表情で抗議する亀千代。急に気遣う風なのは湯浅殿。この男のこういう好人物対応は、ここまでくると逆に胡散臭いな。
勝千代ははっきりと敵対する意思を見せたはずだ。
伊勢殿へも好き勝手言い、好意的ではないことを隠さず伝えたはずだ。
それなのに、熱はあるのかと心配そうに問うてくる精神構造がわからない。
知己の子供を気にしているだけか? 表面上そう装っているだけか?
まるで駄々っ子を宥めるような言い方をされ、呆れたのは勝千代だけではないだろう。
もういっそ力業で門から放り出すか? 後からのことなど考えず、実力行使を命じる寸前、連発してくしゃみが出た。
「とにかく濡れた衣は替えられた方がよい」
湯浅が心配している風にそう言って、勝千代の顔を覗き込もうとしたので、この場にいる過半数以上の者がそれを阻んだ。
勝千代サイドは警戒心から。湯浅の配下は、その様子を見ての反応だろう。
「では失礼して着替えて参ります。早めにお引き取りを」
さっさと帰れと、遠慮のかけらもなく突き放しても、怒りの表情を浮かべるのは亀千代だけ。湯浅殿は「わかっております」と頷くばかりだし、華美な装いの部下たちはどっちつかずな微妙な態度だ。
これは帰るつもりはないな。
奥へ向かいながら、ため息をつく。
「追い払いましょう」
うちの奴らは怒りの表情を隠さず、朝比奈殿ですら同意して頷いている。
「無礼な真似をする輩を排除するのはやむを得ないかと」
物理的排除は駄目だ。あれでも一応幕府の使者だろうから。
今の幕府がどうなっていて、湯浅殿がどういう立場で駿府に来ているかにもよるが、あの様子だとまだ「幕府」なるものは存在しているのだろう。
もう一度ため息をついてから、静かな怒りをたたえた朝比奈殿の顔を仰ぎ見た。
「どのみち今川館には向かわねばなりません。居座られても困りますし、まとめて連れて行きます」
「あの慮外者は早々に片を付けるべきです」
藤次郎のきっぱりとした意見に、側付きたちが同意の頷きを返してくる。
そんな事を言ってもいいのか? アレでも一応は父の子なんだぞ。
父の事を思い出せば気持ちがますます沈んだ。
誠九郎叔父を亡くしたばかりなのに、兵庫介叔父が死んだ。更に亀千代まで「始末」することになれば……いや、むしろ父が手を下さず、勝千代のところで何とかできるのであれば、そちらの方がいいのかもしれない。
北の棟は閑散としていた。
人の気配がないと、まるで放課後の校舎のような独特のもの寂しさがある。
だが慣れた回廊を通り、やがて居室が見えてくると、ようやく帰宅したのだと安堵の息がこぼれた。
先行した土井が部屋の前で膝を折って出迎えてくれる。
中にはすでに替えの直垂が用意され、当たり前のようにそこにいる弥太郎が湯気の立つ薬湯を手に待っていた。
「弥太郎」
「先に御着替えを。御顔の色が優れませぬ」
それはそうだ。気が重いことばかりが続くからな。
「酷い雨だ。また川が暴れなければよいが」
「……むしろそのほうがよいかもしれません」
珍しく己の意見を口にする弥太郎に、皆がぎょっとした。
……どういう意味だ?
藤次郎がテキパキと身支度を整えてくれる。
濡れてぺちゃりと張り付いた髪を梳かし、きゅっと結びなおすと、不思議と沈みがちの気分まで改まった。
手持ち無沙汰だったろうに、無言のまま待ってくれていた朝比奈殿が、改めてこちらの真意を問うような目を向けてくる。
その前に、忍びたちの報告を受けたい。
手持ちの情報をテーブルに乗せてから、話をまとめるべきだろう。
久々に乾いた袖を後方に払い、上座から廊下の方を見る。
段蔵がひっそりと廊下に腰を下ろし、相変わらずの姿勢の良さで控えていた。
弥太郎に差し出された湯飲みを受け取り、何が違うのか「いつものだ」と思いながらチビチビなめるように飲む。
ふと、近くにあるその役人顔にうっすら傷がついている事に気づいた。
ちらりと見えたその腕にも、刃物傷らしきものがある。
駿府での激闘は、この男にしてもかなりのものだったのだと察した。
段蔵の感情を含まない低い声が、彼らが駿府に戻る頃からの話をする。
予想どおり、何をやろうにも北条風魔衆にことごとく邪魔をされたようで、特に下忍たちにはかなりの「よい経験になった」のだそうだ。
物理的に腕が立つ忍びだとしても、それ単体で仕事をするわけではない。数の暴力で妨害されて、さぞかし苦労したのだろう。
不甲斐ないざまを詫びる二人に、大きな怪我がなく良かったと言うのは違う気がする。
勝千代は無言で二度三度と頷いてから、知りえたことを話すよう促した。
真っ先に言われたのは、「今川館に行ってはいけない」だ。
内心そうなのだろうと察してはいたが、そもそもの目的を否定され、ため息しか付けない。
「理由を申せ」
渋沢がきつい口調で命じる。
鎧兜を脱ぎ、小具足姿になった男前は、今日も無駄に男前だった。いやこいつの顔面偏差値についてはどうでもいい。
段蔵は丁寧に一礼してから、非常に面倒なことを言い出した。
「今川館には伊勢のご当主と、北条長綱様とがいらっしゃいます」
いや、そこは風魔衆と一緒に帰っておけよ。
童顔僧侶の顔を思い浮かべながら、悪態をつきそうになるのをなんとか堪えた。




