52-11 清水湊4
その命が絶える様を最後まで見守った。瞬きひとつ自身には許さなかった。
頸動脈を切り裂かれてもなお、血走った眼からは憎悪が抜けず、ああこんなに憎まれているのだと改めて噛みしめる。
兵庫介叔父を手に掛けたのが誰だったのか、明言はするまい。
だが、泥水の中に仰向けに倒れ伏し、首から噴水のように大量の血を噴き上げている様は、きっと生涯忘れる事はないと思う。
驚くほど何も感じなかった。
例えばそれが見知らぬ赤の他人だったほうが、多少は気の毒にと思っただろう。
一応は血縁者なのに、息絶える瞬間を最後まで見届けることに何の呵責も感じず、その目から光が消えた瞬間、むしろすっと重荷がなくなったような気さえした。
残りの刺客たちも始末して、すべてが雨の中で終わった。
兵庫介叔父はあれだけの大声で騒ぎを起こしたのに、それが伝播し大きく広がる事はなかった。さながら、雨と風と潮騒の音で強引にミュートを掛けたかのように。
「……同じ叔父なのに不思議なものだ」
確かめるように胸に手を当てる。誠九郎叔父の首と対面した時とはちがい、まったくもって平常心だ。
「どうされますか」
藤次郎の気づかわし気な口調に顔を上げると、皆が心配そうにこちらを見ていた。
「身ぐるみ剥いでその辺においておけばいい」
「いや海に放り込んでしまえば」
「首だけ埋めてあとは」
口々に何を言うかと思えば、死体の処理方法だ。
これ以上の火種を抱えない為にも、叔父は行方不明という形にした方がいいのはわかる。
だが「首は持ち帰り、しかるべき報告を」……と、言おうとしたところだった。
嵐の日でも夜は明ける。
ざあざあと降り注ぐ雨のせいで、視界はそれほど効かないが、白んだ空気はもはや夜のものではない。
故に、気づいたのだ。
忍びの本来の仕事は何だと思う?
華々しく刀を抜いて戦うことでは断じてない。
彼らの主たる任務は諜報であり、いかに正確な情報を早く抜くかが勝負になる。
段蔵や小太郎、それから弥太郎もだが、有能な忍びというものは総じて腕も立つものだと思っていたが、実際はそうでもないのだ。
想像してみるとわかるかと思うが、小太郎は目立ちすぎるので諜報に向かない。超絶に向かない。
雑兵に紛れてこちらを見ている男を目にした瞬間に、それが誰だかわかった。
でかいんだよお前。その体格で凡兵の中によく潜もうと思ったな。
目が合って、勝千代がげんなりと顔を顰めると同時に、小太郎が遠くで「にい」と笑った。
こちらに向かって手を振ってきたので、いや手を振り返せと? と睨んでやる。
小太郎は周囲に何やら合図をした。
警戒して見ていると、十人ほどが雑兵の中から抜け出してきた。さらにもっと多くが、雨の廃墟からひとり、またひとりと姿を見せる。
周囲の者たちもさすがに気づき、臨戦態勢を取るが、勝千代は皆に動くなと手ぶりで制した。
向かい合うこと数十秒。小太郎が再び軽く合図をすると同時に、忍びの集団は隊列を組んで山の方向に走り去っていった。
整然と、まるで見せつけるかのように。
「……なんだあいつ」
気に食わない様子で呟いたのは谷。
この場にいる全員が同意見だろう。
何をしに来たのだ? わざわざ立ち去るのを見せつけに来たのか?
勝千代は、薩埵峠の方角へ遠ざかっていく後ろ姿を見送った。目で追えたのはほんの一瞬だけだったが。
今はそろそろ満潮の刻限だ。磯の街道を通っていくわけではなく、佐吉らが抜けてきた山を行くのだろう。
わざわざ満潮時に行かずとも、数時間待てば楽に超えられるだろうに……いや、小太郎レベルになると、あれぐらいの山など近所のアスレチック感覚なのかもしれないが。
「北条本陣と合流するんじゃないか」
「伊豆に向かうよう命じられたのやもしれぬ」
周囲の者たちはそれぞれ思うところを話し合っているが、勝千代が考えているのはまた違う方向性だった。
「与平」
「はい」
「今なら段蔵らと連絡が取れるだろう。やってみてくれ」
「……はい」
与平は不思議そうに首を傾げてから、頷いた。
勝千代はもう一度、忍びの集団が駆けて行った岬の方向を眺めた。
本当に小太郎がこの地を去ったのであれば、仕事が終わったということだろう。
わざわざ姿を見せたのはそういうことだと思う。
もちろん、それもまたフェイクではないとは言い切れないが……ぞわりと嫌な予感に鳥肌が立った。
いったいあの男はここで何をしていた? 北条が敗戦濃厚な戦いを繰り広げる中、無意味な行動をしていたとは思えない。与えられた任務をこなしていたのだろうが……。
忍びの仕事は諜報。
再び思考がそこに戻ってくる。
伊豆の情報を遮断したように、風魔はその手の仕事をうまくこなす。興津や段蔵らと連絡が取れないのも十中八九それが理由だろう。
何故駿府の情報を遮断する必要があった?
……いや待て、遮断したのは駿府の情報が外に漏れるのを防ぎたかったのか? それとも、外の情報を駿府に入れたくなかったのか?
そして何故今になって、「仕事は終わった」とわざわざ教えに来たのだろう。
無意識のうちに、鳥肌の立った腕を擦っていた。
何だこの出遅れた感。間に合ったように感じていたが違ったのか?
今更ながらに、今川館で待ち構えている「何か」に恐怖した。




