5-2 上京 一条邸 中門2
一条邸は広大だ。俯瞰してみる事が出来ないのではっきりしたことは言えないが、古い都市計画の一環で定められた一町という区画のサイズをはみ出し、おそらく隣接する区画も敷地に入っているのではないか。
その広大な敷地は、ぐるりと横線の入った白塀で囲われており、適所に人が出入りするための門がある。
それら門には格式というものがあって、正門にあたる豪華で立派な四脚門は、当主ご家族以外であれば、正式かつ身分が高い客のみが使う事を赦されたものだ。
身分の劣る大抵の客は、少し離れた位置にある棟門を選んで通る。
それが礼儀であるし、あたりまえの常識でもある。
たとえば正門から入りたいのであれば、あらかじめ訪問の旨を伝えておくとか、訪れる方にも配慮が必要だ。
今回のように……討ち入りが如き無礼な真似は、まともな常識の持ち主であれば到底できるはずもない。
棟門から入ると、大概侍所や勝手所に行き当たるが、四脚門と呼ばれる大門からだと、入って正面が中門廊という通路で仕切られ、それより奥に入ろうと思えば中門をくぐらなければならない。
その美しく整えられている庭が、大勢の武者どもに埋め尽くされていた。
「……おのれ」
連子窓越しにその様子を覗き見て、鶸に新たに渡された扇子をもミシミシと鳴らしているのは東雲だ。
格子越しに見える煌々と掲げられた松明と、無作法にも馬ごと一条邸に押しかけてきた物々しさと、漏れ聞こえる上品とはいえない武士たちの会話に、おどろおどろしいとしか言いようがない気配を発して激怒している。
「東雲様」
勝千代はクイクイとその狩衣の袖を引いた。
「腹を立てるお気持ちはわかりますが、気を落ち着けて」
土居侍従が声を張り上げ、帰ってもらおうと懸命に交渉している声が聞こえてくるが、彼も所詮は使用人、なかなか押し返すことが出来ずにいる。
今、遠江在住の田舎武士である勝千代たちが出ていっても、事は収まらないだろう。役人でございと御用を掲げてきている者たちの方が、はるかに身分的には高いのだ。
故に東雲だ。
半家ではあるが、れっきとした公家。しかも名門藤波家の嫡流男子。
そのあたりの役人より高貴な身分なのは、誰もが認めるところだ。
「権中納言様が武家の出入りを一切禁じると仰っていたのは、あの場にいた全員が聞いています。それを前面に押し出し、一歩も譲ってはなりません」
「もちろんや」
「あの者たちが刀を抜くことはおそらくありません。万が一抜いた時にも冷静に、腹を据えて対処してください。奴らは朝敵よと咎め立てられることを恐れるはずです。一族も上役もすべて朝敵とされるかもしれない、その責任を負いたい者はいないはずです」
正当性を唱えて強引に押し入ってくる可能性もないとはいえない。
だがそれよりも、無理やり一条邸に押し入ると言う非礼がもたらす結果を考え、怯む者の方が多いはずだ。
「第一に、主だった者たちの名を、その部署官名仕える主に至るまでしっかり聞き出してください。次に、その目的です。昼間の不審者や刺客の事を申し立てるようなら、そんなものはいなかったと白を切ってください。姫君や北の御方のご無事を確かめたいと言われても、権中納言様の御言いつけを破るわけには参らぬと突っぱねてくださって構いません」
政所執事、つまりは事務方のトップもしっかりと聞いていた権中納言様の御言葉を、誰もないがしろには出来ないはずだ。
まだ言いたいことはあったが、ひときわ大きく土居侍従が声を張り、非礼を咎める声が聞こえてきた。
それに対する役人たちの反応がまた酷くて、地面を激しく踏み鳴らし、どこの夜盗だと問いたくなる野次が飛ぶ。
勝千代は、中門廊の暗い場所からだと、昼間のように明るく見える車寄せに目を向けた。
それにしても、この男たちは本当に「幕府御用」なのか? 無頼の者とは違うのか?
松明の明かりに浮かび上がる彼らの身なりは貧相で、乗っている馬もろくに訓練されていないと一目でわかる悍馬たちだった。
「……東雲様」
ふと目に入った、信じがたい顔に視線が釘付けになった。
それが誰かはっきりと認識した瞬間、勝千代の顔面から血の気が引く。
「吉祥殿がいらっしゃいます」
「なんやて」
数人の大人の影に隠れている。
頭から黒っぽい布のようなものをかぶり、これまでは大勢の体格の良い武士たちに紛れていて気付かなかった。
だがしかし、土居侍従の頑とした態度に苛立ったのか、その脇から半身を出し、じっと中門の方角を睨んでいる。
「逢坂」
「はい」
ものすごく近くから、ものすごく腰の据わった良い返事が来た。
思わず驚いてビクリと身体を震わせてしまった。
「一条家の家人に、正門を閉ざすようにと進言して参れ。必要であれば手を貸せ」
百人からの自称役人は、門に入り切らずあふれている。
命じておいてなんだが、簡単に閉門することはできないだろう。
だがしかし、勝千代の命を受けて、しわ深い顔が暗がりでにんまりと笑みに崩れた。
「承知つかまつりました」
「東雲様。これから急ぎ、権中納言様と伊勢様とに密書を書き届けます。……うまくいけば事はすぐに収まりますが、最悪の場合も覚悟せねばなりません。できるだけ状況を引っ張ってください」
「……わかった」
東雲は、松明の明かりに照らされた場違いな子供に憎々し気な視線を投げかけてから、唸るように頷いた。
「吉祥殿の側に、今回の件を企んだ者が張り付いているはずです。逃してはなりません」
もう一度その袖を引き、暗がりに浮かび上がるような白絹の男に声を掛ける。
東雲はちらりとも勝千代を見ようとはせず、冷たい青い炎を連想させる気迫のこもった表情で、静かに首を上下に振った。




