50-1 駿東 長久保城1
男子三日会わざれば刮目して見よ……そう言ったのは誰だったか。
勝千代はこちらに向かってくる岡部五郎兵衛殿の若武者ぶりに感嘆の息を吐いた。
三日とは言わないが、前に話をしてからひと月も経っていない。それなのに、十年ぶりに会う親戚の子を二度見する気分だ。
周囲の武士たちは物々しく鎧兜で身を固めているが、五郎兵衛殿だけは小具足姿だった。
だが背が高く体格もよいので、貧相な感じはまったくしない。
大軍を出迎える態度も堂に入っていて、もはや「少年」とは呼べそうになかった。
勝千代は白桜丸の背中から滑り降り、手綱を逢坂老に任せて歩み寄った。
「五郎兵衛殿」
「お疲れでしょう、さあ中へ。雨が降りそうです」
すごいな成長期。ぼんやりそんな事を思っていた勝千代は、「雨」という言葉にはっとした。
富士川が氾濫してから、しばらく大雨は降っていなかった。復興の始まった被災地がまた被害をうけるのではないかと心配になる。
見上げると、なるほど西の空が暗い。これから日が沈む時刻だが、落日の鮮やかな茜色は見えなかった。
「この辺りは雨が多い気がします」
五郎兵衛殿がそう言い、勝千代と同じように西の空を見つめた。
夕日が見えないほどの分厚い雲だ、明日は雨になるのかもしれない。
「出迎えありがとうございます。戦況はいかがですか」
「変わりないですね。一応箱根の方にも目を光らせています」
勝千代は頷き返し、きっとまだ背が伸びるのだろう五郎兵衛殿に羨望の目を向けた。
「先月より大きくなっていませんか」
「まさか」
烏帽子のぶんじゃないですかと笑うその顔には、かつての面影があり、ちらりとのぞく白い歯に少年らしい幼さが滲む。
勝千代はそれになんだか安心して、促されるままに大手門の方へと向かった。
興国寺城から長久保城まではおそらく十キロもない。
この時代の人間なら余裕で徒歩でも移動できるだろう近所だ。
だが雰囲気はかなり違っていて、頑丈そうな土塁や深い切掘りの様子から、最前線の緊迫した様子が伝わってくる。
大手門も、高天神城の武骨さを思い起こさせる木造の巨大なものだった。
頑丈そうな柱の側には見張り台があり、弓兵が高い位置からこちらを見下ろしている。
すれ違う兵たちの表情にも油断はない。味方だとわかっているだろうに、目を離さない感じだ。
非常に士気が高く、浮ついた様子もないことに安心した。
大将の五郎兵衛殿が現代でいうところの中学生の年齢だし、連れてきた駿河衆の若手の頼りない様を見てきたので、フォローが必要かもしれないと心配していたのだ。
だが、どちらかというとこちらの兵の不甲斐なさのほうが気になった。
十キロ未満の行軍に不満たらたらなのは何だ。歩兵より騎馬のほうが足が遅いというのはどういうことだ。
武者の集団の中に子供がいれば、大概の者は微妙な表情をするのだが、岡部家の兵士たちにそんな様子はなかった。
というのも、初対面ではないのだ。
四年前にも見た覚えのある顔がちらほらと混じっている。
並んで大手門をくぐり、小声で話をしながら整備された斜面を登る。
平山城なのでそれほどの勾配はなく、肩で息をする無様をさらさずに済むのは助かった。
本丸近くの大広間で待っていたのは、やはり四年前にも会ったことのある者たちで、彼らこそが今の岡部家を支える中核なのだろう。
そこまでは並んで歩いていたのだが、広間に入る前に五郎兵衛殿のほうが身を引いた。
促された先は上座だ。
一段高いとか、きらびやかな様子だとかはないのだが……「どうぞ」と五郎兵衛殿に手を差し出されて、仕方がないと最上座に向かった。
総大将の軍配を持つ以上、どんなに奇異に見えようとも、勝千代以外がそこに座るわけにもいかないのは理解できる。
勝千代が上座へ向かうと、その背後から渋沢や逢坂老、側付きたちも続く。
庵原殿が当たり前のように次席に座ろうとしたが、はっとしたように真後ろにいる谷を振り返って顔色を悪くして口を閉ざした。
まさか見えないところで刃物をちらつかせているとかないよな。
全員がそれぞれの位置に座る頃には、すっかり日が落ちていた。
雨はまだ降っていないが、ますます空が暗くなっているのがわかる。
広間の仕切りや外に面した木襖は取り外されていて、外から吹き込んでくる風が若干湿っているように感じられた。
ぼっと音を立てて、廊下の外にある篝火に火がともされる。
しばらくは生乾きの薪から黒い煙が出ていたが、やがてこの時代の夜には明るすぎる光源となってパチパチと炎を上げ始めた。
「それでは軍議を」
逢坂老が咳払いをひとつして、そう言った。
勝千代は篝火の明るさに視界が焼けたのを感じながら、薄暗い室内を見回した。
しまったな。皆の表情がよくわからない。
勝千代は目を擦りたい衝動を堪え、土井が広げてくれた近辺の地図に視線を落とした。
「その前によろしいでしょうか」
次席に座った五郎兵衛殿が声を上げ、ちらりと篝火を見てから勝千代の方を向いた。
「この城には忍びが侵入しています。天井裏や声が届く範囲に怪しい者は近づけぬようにしておりますが、発言の際には声を張らず、口の動きを隠してください」
なるほど、その為の篝火か。
やけに煌々と火を焚くなと思っていたが、あれだけの光源があればそちらに目が行き、薄暗い室内での軍議の様子はよく見えなくなるはずだ。
なるほど、さすがは岡部家。前線での仕事に慣れている。
勝千代は腰の扇子を引き抜き、閉じたままさっと口元に寄せた。
まばゆい篝火ではあるが、それでも、照らすのは庭の一角だけだ。目を向ければ瞳孔が収縮し、闇は余計に深くなる。
勝千代は出来るだけそちらは見ないようにしながら、開けた庭を一瞥した。
そこに忍びがいると思ったわけではない。
だが何となく、風魔小太郎のかすれた哄笑が聞こえてきそうだと感じていた。




