49-6 駿東 興国寺城 本陣2
ずっと誰かに見られている生活を四年も続ければ、大概慣れる。
とはいえ、その相手が何度も空唾を飲み込み呼吸も潜める態度なのは、あまり気持ちのいいものではない。
彼らは一様に目を大きく見開いて、喧々囂々意見を交わす遠江衆を見ていて、大の大人が小柄な勝千代の意見に素直に従う様子に驚愕を隠せずにいた。
誰に何を聞いたのか知らないが、まるで恐ろしいものでも見るような目だ。
気にしても仕方がないので、借りてきた猫かプレリードックの群れのような若者たちの存在は無視したままでいた。
忌憚なく意見を交わす、ちょっと普通ではないらしい軍議が終わり、主だった者たちがそれぞれの部隊の方へと散っていく。
一礼してから去って行く彼らの後ろ姿を見送っていると、傍らに控えていた三浦兄が気づかわし気に声をかけてきた。
「少しお休みになられては」
その声に反応したのは、うちの三浦の従兄弟にあたる例の三浦本家の三男だ。怯えた小動物のようだった視線が、憎しみも混じった険しいものになる。
三浦三浦とややこしいので、昨日から三浦兄のことを藤次郎と呼んでいる。三浦と呼べば、そのたびに従兄弟の方が過敏に反応するからだ。
勝千代は「そうだな」と返しながら、無意識のうちにわき腹をさすっていた。
三浦兄、もとい藤次郎がきゅっと眉を寄せた。憎々し気な従兄弟からの視線を、まるで存在しないかのようにスルーしている。
「本丸奥殿に寝所をご用意しております。一度傷をお見せください」
「傷口はふさがっている」
「弥太郎殿に叱られますよ」
今は不在な男の顔を思い出し、顔を顰めた。
苦い薬湯の味を思い出して、懐かしいような、勘弁してほしいような、微妙な気分になる。
しつこくこちらを見てくる視線を振り払い、背中を向けた。
所在無げに突っ立っているだけじゃなく、何か言うなりするなりすればいいのに、ずっとどうしてよいかわからない風に立ち尽くしたままなのは頂けない。
仕事をしろよ仕事を。
こいつらの務めは本陣で呆けている事ではなく、少数だが引き連れてきた兵の面倒を見る事だ。
「かすり傷だと伺っておりました」
「その通りだ」
「また腰紐の余りが長くなりましたよ」
「紐の長さで体調を測るな」
最近かなりハードワークだったからな。藤次郎はずっと勝千代の着替え担当だったので、少しのサイズダウンも気づかれてしまうのだ。
しばらく歩き、誰も聞き耳を立てている者がいないと確認してから、若干歩く速度を緩めた。
「福島屋敷のほうはどうなった」
志郎衛門叔父からの書簡を握りつぶしたのはおそらく内々の者だと思う。
家宰の中村か、それに近い権限の持ち主でないと難しいだろう。
勝千代の問いかけに藤次郎はしばらく口ごもり、確認するように周囲を見回した。
「馬廻りです」
誰にも読み取れないように口元に手を置いて、聞き取りにくい小声で囁いてから、視線を下げる。
「……お葉殿か?」
「いえ、ご実家が」
福島家にも馬廻り衆はいるし、何なら屋敷内の警備はほとんど彼らが担当している。だがしかし、そもそも馬廻り衆とは主君の身辺警護に当たる者たちなのだが、福島の父がああいう人だから、今代では重用されているとは言えない。
それを不服に感じている勢力が見過ごせないほどになってきたので、お葉殿が父の側室になったのだ。
無事男子を生み、父の実子で手元にいるのは幸松のみ。嫡男は勝千代だが、実の子ではなく孫である。お葉殿らに欲が出てくるのは理解できる。
「……駿府にいる方が良いと思うたのか」
例えば父が戦死し、勝千代も嫡男から外されるようなことがあったとして、遠い地にいたのでは兵庫介叔父にその地位を横から奪われかねない。
「お方様ご自身に気になる動きはありません」
福島館に居座ろうとはせず、あっさりと子供たちを連れて遠江に向かったらしい。
「そうでなければ困る」
これ以上の御家騒動は御免だ。
勝千代は問題が大きく具現化しなかったことに息を吐いた。
お葉殿と幸松らはすでに高天神城だ。その身柄は厳重に守られている。
それにあそこには志郎衛門叔父がいるから、目を光らせておいてくれるだろう。
「それからこちらを」
まだ何かあるのかと警戒した勝千代の前に差し出されたのは書簡だ。
見覚えのある筆跡に、思わず頬が引きつりそうになる。
今度は何だと、高天神城の引きこもりからの書簡を広げ、立ったまま目を通した。
「……あいつの忍びは伊賀者だったか、甲賀者だったか」
曳馬城の時に使っていた者たちは、最後あの男を殺そうとしたのだが、普通そういう目に遭えば遠ざけようとするのではないか?
だがどういうやり取りをしたのか関係は続いていて、ちゃっかり志郎衛門叔父から雇い入れの経費までせしめてまだ手元に置いているのだ。
勝千代の目からは、松平の糸がついていそうな信頼のおけない忍びに見えるのだが、いつまでも殺されずにいる引きこもりは使いつぶす勢いであちこちを走り回らせている。
「読んだか?」
勝千代は書簡を元通りに折りたたんだ。
この時代の書簡など、その気になれば子供でも盗み読みは可能だ。
藤次郎はとんでもないという表情をしたが、勝千代は「ならば目を通してから、すぐに皆をもう一度集めよ」と続けた。
言われるがままに書簡を広げた藤次郎は、半分ほども読み終えぬうちに顔色を青くした。
北条、安房里見家と同盟。
里見家と言えば水軍だ。つまりは海からくるのかもしれない。




