48-4 駿府 今川館 本殿広間2
「ど、どういう……」
並べてみていると非常に面白……もとい、興味深い。
あわあわと口を開閉する白髪交じりのオヤジと、まったく毛色の違う、いうなれば作られた鋳型や窯がそもそも違うと言われて納得できてしまうような、つるりとした肌の美女。
「まあ義父上さま。何度も書簡をお送りいたしましたのに、読んでいただけておりませんのね」
口元を手で覆い、視線は斜め下。頬に一点落ちた黒子までもが作り物のように美しく、楚々とした風情に葛山殿は息も絶え絶え……勝負ありだ。
京で色々な種類の美女を目にしてきたし、それに比べて妙姫が飛びぬけて美しいという訳でもなかったが、言っちゃあなんだが野蛮な田舎武士とバッチリ磨き上げられた御姫様。
年齢や経験の差どうこうという問題ではなく、とにかく役者が違った。
「八郎殿が誤解から捕らわれたと聞き、何度もそんなはずはないと書き送りました。ああ、どこぞで誰かが止めていたに違いありませぬ」
いや貴女、数時間前まで八郎殿の存在すら知らなかっただろう。……などとは思っても口にしない。もちろん表情にも浮かべない。
勝千代はしんみりとした表情で頷き、「酷い事です」と追撃した。
八郎殿を手札として置くために考えたのは、北条よりも先に葛山家からの引きはがしだった。
いくら軽く見られていたといえども、北条殿の実弟だという事は誰もが知っていて、この状況ではよくない方向で利用されかねないのは本人も悟っていた。
長年葛山家の養子として、冷や飯食いではあったがその姓を名乗り、その身の振り方を考える時期でもあったのだろう。
八郎殿を新たに今川一門衆として擁立することは、今川家としても心強い戦力が増え、北条家への牽制にもなり、まあ、駿河衆への抑圧にもなることだった。
くだらない陰謀で潰そうとしたようだが、よよと嘆く妙姫が「誤解」だと言い、勝千代も御屋形様も「そのとおりだ」と認めてしまえば、八郎殿が捕らわれていた理由など些事だ。
むしろこれまで冷遇してきたことこそ気まずいだろう。
おそらくは当初は北条と今川の両方にいい顔をしたかった葛山殿は、ここにきて北条でも今川でもなく勢力拡大に動いた。今川駿河衆としての立ち位置はキープしつつ、御屋形様の不調や桃源院様の幽閉という好機、空き家状態の伊豆は食いでのある獲物がぶら下がっているようにしか見えなかったのだろう。
だが、なにもかもうまくいくとは思わないで欲しい。
「八郎殿にはこれより今川一門衆と名乗って頂くと御屋形様が仰っておられます。いずれはそれなりの領地をとお考えのようですが、河東に丁度空き城が出たようですし、そちらを任せるのはどうかと進言しておきました」
北条家と血判状を交わしていた国人を複数追い払い、伊豆に押し返したと言ったのは当の葛山殿だ。先程まではあれほど鼻息荒く胸を張っていたのに、さっと顔から血の気を引かせる。
「ど、どちらを」
「そうですね、仮にも御一門衆ですから小城というわけにも……長久保などはいかがでしょう」
激戦区だ。それほどの規模の領地でもないのかもしれない。
だが後世に名が残るほどの地名であり、伊豆の国境に近く、実弟ともなれば北条殿も攻め込みにくいはずだ。
なおいっそう顔色の悪くなった葛山殿が、何か言い立てようとしたのだが、それより早く口を開いたのは妙姫だった。
「まあ若君、今はまだそのようなお話は早う御座いますわ。御屋形様は八郎殿にご家臣をお付け下さるという事ですし、お身体の方も御本復を待たねばなりませぬし」
「妙姫との祝言もございますしね」
「まあ」
軽やかで華やかな笑い声が耳朶を打つ。
この話を彼女にもっていったのはたったの二刻(四時間)前。八郎殿と直接話をしたのも数十分という短い時間だったのに、妙姫は既に一門衆家の正室としての妙な威厳というか、貫禄というか、逆らえない空気をぷんぷん漂わせていた。
これが武家の女というものだろうか。
背筋にぞっとするような悪寒が走り、いやそれは妙姫にとって正当な評価ではないと思いなおす。
今川館に長く留め置かれ、二十代も半ばになるまで飼い殺しのような扱いを受けてきたのは八郎殿と同じだ。
女性には特に、婚期というか出産に適した年齢というものがある。
妙姫にとっては、このまま今川館で年老いていくか、武家の妻として本来の役割を果たす機会を掴むのかという二択だった。
そして彼女は八郎殿と同じ道を行くと選んだのだ。
もちろん厳しい道だという予想は伝えている。幸せな嫁御寮として嫁ぐわけではないとも。
だが話をしてみた感じ、芯の通った女性のように見える。嫁ぐことに夢や憧れを抱くだけではないだろう。
まあ……渋沢を見るたびに「きゃあ」と声にならない悲鳴を上げて頬を赤らめるのは気になるところだが。
「義父上さま、長く八郎殿を可愛がってくださりありがとうございます。これからは今川八郎として、義父上さまに並び立つ武将になると意気込んでおりますので、ご指導のほどよろしくお願い致します」
盛大な皮肉だ。いや、宣戦布告だ。
勝千代は再びぞわりと背筋に震えを走らせながら、強いてそれを面には出すまいと努めた。
青ざめた顔の葛山殿が、ふらふらしながら下がっていく。
その背中を見送って、「ほほほ」と妙姫が軽やかに含み笑った。
豪華な造りの扇子を口元に当て、コロコロと笑う様はまるで人形のように美しい。美しいが……怖いぞこの女。
すっかりその場で空気と化している朝比奈殿。身動き一つしない井伊殿。勝千代もまたそれに倣って黙っていたかったが、そういうわけにもいかない。
「……早急過ぎましたか?」
恐る恐るそう問いかけると、三日月型にほころんだ流し目を食らわされた。
「いいえ。堀越の者にはわたくしから伝えておきます」
これが十代の小娘だったら、まずは親族にお伺いが必要だっただろう。
だが堀越家の跡取りはまだ幼児。当主はすでに他界。一族は駿府住まいでそれほどの役職にはついていない。
今川館で長く飼い殺しの目に遭っていたとはいえ、彼女は紛れもなく今川一門衆の総領娘だった。
「取り急ぎ、岡部家についてもらう予定です。後で下村という男を行かせますので、話をしてください」
「まあ、岡部家の」
ここ数年不遇をかこってはいるが、岡部家は今川の古参の忠臣だ。一門衆の第一の家臣となるのに不足のない家格だ。
一気に華やかな表情で微笑むその顔を見ながら、ちょっと早まったかもしれない、と思ったのは内緒だ。
実は八郎殿の嫁御寮にはもう一人候補がいた。
家系や年齢的な事を考えて妙姫を優先したのだが、八郎殿の意見も聞くべきだったかもしれない。
……尻に敷かれる未来しか見えないぞ。




