4-5 上京 一条邸 離れ5
「それになぁ、聞いたところによると、この京でようさん子供が殺されとるいうやないか。御上もえらいご心痛でな。死んだ子の多くが水干姿やったとお聞きになられて、また公家が狙われとるのやないかと……火付けの事もある故にな」
さっさと自然な所作で振られた扇子の動きに、部屋中の視線が集中する。
「我が屋敷には、恐れ多くも度々御上が御成りあそばされる。物騒なご時世や、信頼できる護衛の数も多いに越したことはない」
御上が「お気にされている」ということは、遠回しながらもこの件の解決を厳命されたようなものだ。
更には、勝千代が「影武者になれと命じられた」と口にしたことで、一連の水干姿の子供の死が幕府に関わりある事だと公言されてしまった。
それらは、身に覚えのある連中にとってクリティカルヒット級の苦言だろうし、護衛が多い方が良いというのは、連れ立って押し掛けてきた幕臣たちへの不信感の表れであり、逢坂らの過剰な行動を擁護するものでもあった。
「恐れながら申し上げます」
どうやら咎められることはなさそうだ、と安堵しかかっていると、伊勢殿の平淡な声がそう口上を述べた。
ぴり、とその場に緊張が走る。
「……申せ」
一呼吸置いてから、権中納言様が普段通りの口ぶりで応えた。
「寛大なお心遣いに感謝いたしますが、そこな子供は今川家家臣の子。我が伊勢氏に連なる者です。お赦しがあるからといって、厚顔にもご迷惑をお掛けするわけには参りませぬ」
「なんや、普段は御所にこもり切りの伊勢がわざわざ表に出て来て何事かと思えば……そんな事は気にせんでもええ」
「そういう訳にも参りませぬ。更には、竹王丸への態度の不敬、伊勢家当主として見過ごすわけには」
「伊勢」
権中納言様の声は一定の抑揚を保ったまま、乱れはない。
だからこそ、そこにひやりと冷たいものが混じるとやけに怖い。
「お勝殿は我が一条家とは縁がある子や。……それにな」
節の高い長い指がくるくると扇子を弄ぶ。
その心ここにあらずな雰囲気が、まるで嵐の前の静謐さのようだった。
「一方的に狼藉を振るわれ、幾日も寝込んだ子供に何の罪科がある? そなたが言うように、この子は修理大夫の子やろう。二国の守護の子を死に役につかせようというのはどういう了見か」
「権中納言様、これは武家の内々の話に御座いますれば」
「伊勢殿。控えられませ」
双方引かぬ、まるで張りつめた糸のような緊張感が、土居侍従の渋い声で別の方向にも引っ張られた。
「事は当家屋敷で起こった狼藉でございます。武家の内々の話とおっしゃる前に、謝罪があってしかるべきではございませぬか」
武家では、主君の会話に割り込むなど言語道断である。
公家も基本的には同様なのだが、もともと高貴な身分の者は下々とは直接言葉を交わさず、仲介を挟むという習慣がある。つまり、土居侍従の言葉は権中納言様の代弁ととられ、ご本人が否定しない限りそのまま通る。
特に筆頭侍従であれば相応の権限を有していると見るべきで、土居殿をただのお付きと思う者はここにはいないはずだ。
「……公方様の弟君に、頭を下げよとおっしゃられるか」
だがしかし、権中納言様よりは睨みを利かせやすい相手だと思ったのだろう、伊勢殿がじろりと土居侍従に目を向けた。
「なるほど、一条家如きに頭は下げられぬと?」
土居殿も負けてはいない。
非常にまずい感じになってしまった。
ここでの返答によっては、公家と武家と対立は取り返しがつかないほど深刻なものになってしまうかもしれない。
勝千代は人形のように最下座にちょこんと座ったまま、身動きもせず思案した。
もともと公家と武家とは相性が悪いのだ。
一応は公家の威光に従うという形で、武家はその下位者として「お仕えしている」という立場である。
公家の力が弱まっているからこそ、武家はその勢力を増し、大きな顔をできているともいえる。
だがしかし相手が悪い。
一条家は、普通の公家ではない。
「誠に申し訳ございませんでした」
勝千代は素早く計算を巡らせた上で、その場で額を床まで下げた。
「屋敷内をお騒がせし、御不快な思いをさせてしまいました。いかようにも御処分いただければ」
急に子供子供した声が割り込んできて、その場にいた大人たちが一斉にぽかりと口を開け、次いで閉ざした。
そして、頭を下げ続ける勝千代を全員が見つめて、やがて権中納言様が首を傾げる。
「……なにゆえにお勝殿が謝罪する」
「私は陪臣の子です。我が主君を通さず、直接この身を召し上げるなど、道理が通りませぬ。よもや吉祥様がそれをご理解しておられぬとは、思ってもおりませんでした」
陪臣の子だと告げたことは、松田殿も、何なら権中納言様も聞いていた。
そこで直臣ではないと悟り、己の我儘は通用しないと察しなければならなかった。
吉祥殿が幼く理解できないというのなら、側にいた松田殿が身命を賭してでも諫言するべきだったのだ。
「この首を差し出してでもお諌めしなければなりませんでした。私も武家の端くれ、武家としてこの不始末を雪ぎとうございます」
しばらく何とも言えない沈黙が続いた。
何とも言えないというよりも、何も言えなかったのだと思う。
面子を慮りすぎるから、謝罪のタイミングを逃すんだぞ。
ふと、上座脇の方の襖が開いて、直衣姿の小次郎殿がそっと入室してきたことに気づいた。
権中納言様に何やら耳打ちして、ちらりと勝千代を見てから一礼して下がった。
ややあって、「ふう」とため息をついたのは権中納言様だった。
「伊勢」
「……はい」
渋々と、本当に渋々という感じで口を開いた伊勢殿が、やけに強い目力で勝千代を見てから、最上座に顔を向けた。
「……また御所に付け火があったそうや」
何よりも強烈に、その日一番の爆弾が投下された。




