47-4 駿府 今川館 勝手方長屋1
駿河の商人にはあまりいい印象がない。
四年前にがっつり福島家に食い込まれ、かなりの甘い汁を吸われたからだ。
関係を断つのに苦労した上に、さすがは商人、横領の件で罪に問えるような証拠はほとんど残っていなかった。
付け入る隙を見せたこちらに問題があったのだが、福島家を食い物にした事実は変わらない。
以後は遠江系の商人、あるいは日向屋との付き合いに限定してきた。
今勝千代の前で平伏しているのは、遠江駿河相模を商圏にしている商人たちだ。堺衆とは違い、全国規模に販路を持っているわけではないが、かといって商人としての身代が小さいわけでもない。
これまで彼らが福島家にかかわってこなかったのは、横領の件があり疎遠になっていた、というよりも、福島家と今川館との微妙な関係性のせいだろう。
だが今は、そんな事を言っている場合ではない。
文官どもを通じて駿河の商家に臨時徴用の話を持っていったのだが、色よい返事はもらえなかった。
強引な事をしたくはなかったので、言い分を聞こうと今川館に呼び寄せたのだが……。
「……出せる米はないと?」
「はい、申し訳ございませぬ」
そう言って床に頭を擦りつけているのは、駿河の米座の座主青田屋だ。
実際はかなりの米を抱えていることを勝千代は知っているし、こちらが知っている事を彼らも知っているはずだ。
それでもなお拒む姿勢を見せるのは、どういう意図か。
這いつくばるように平伏してはいるが、こちらを下に見ているのが透けて見えた。
勝千代は青ざめ震えている文官を横目で見た。
この面談の口を利いたのは彼で、青田屋がこのような態度を取るとは思ってもいなかったのだろう。
「なるほど」
勝千代は、弄んでいた扇子をぱちぱちと開け閉めした。
「今蔵にあるものを出せとのことですが、それはすでに北条様にお渡しすると約束し、明日にでも船に積む荷にございます。どうかご容赦願います」
しかも、北条の名を出せば引くと思っている。嘗められたものだ。
「このような時ですので、できるものならお望み通りに徴用に応じたかったのでございますが、手前らも……」
「あい分かった」
「あいや、北条様との話し合いがつけばこちらとしましても」
「わかったと申した」
「……は」
青田屋はきょろりと室内を見回した。
ここは、商人も通すことができる勝手方の広間だ。本来であれば勝千代が直接足を運ぶ場所でもない。
今川館の本殿は、商人たちの出入りは許されておらず、ならば勝千代が移動するしかないと、渋る連中を宥めてわざわざ来たのだが、無駄足だった。
勝千代の視線がそれると同時に、今川館の武官たちが青田屋はじめ呼び寄せた商人たちの腕を掴む。
青田屋はものすごく不服そうに連中を睨んだが、武官たちの手は緩むことはない。
「青田屋」
勝千代が呼ぶと、強気な視線がぱっとこちらを向いた。
鼻息荒く、おそらくはこちらが折れる様でも想像したのだろう、その目に浮かぶ不遜の色に、勝千代ではなくその周囲が不快の表情を浮かべる。
「その方が無理ならば米はこちらで用立てる。文句はあるまい?」
勝千代が、米座を無視して米を駿河に入れると言うと、青田屋は一瞬ぽかんと口を開けた。
やり手の商人らしいその顔に、一瞬だけ過った焦燥。
「そっ、それは」
そんな事は出来るはずがないと言いたいのだろうが、こちらにはこちらの伝手がある。
「この非常時に協力せず、北条のために働くというのであれば、よかろう。好きにするがよい」
商人はこの男だけではない。
既得権を持って大きな顔をしているその席を、虎視眈々と狙っている者はどこにでもいるはずだ。
「田所、取り調べの方は任せる」
「はい」
対面の間の入り口のところに、警備の武官に交じって白っぽい直垂の田所がいた。誰もがお近づきになりたくないエキセントリックさを前面に押し出して、もの凄くにこやかな笑顔だ。
血走った青田屋の目が田所を見て、「ひ」と喉を鳴らした。
「取り調べとは!? 一体どういう事でしょうか!」
それでもなんとかそう言って、面目を保とうとしたが無駄だ。
「ああ、知らぬのも無理はない。今は御屋形様の御下知で監査をしておるところなのだ」
勝千代の声は高音だ。子供っぽく張りがあり、甲高い。
聞きようによっては女児のものにも聞こえるかもしれないその声は、大人が複数名拘束されるという物々しさとは真逆のものだった。
「不正な銭の流れが多く、目に余るとな。しかも他国との贈賄のやり取りのようなものまで出てきて……」
さもやるかたないと首を振って見せると、青田の顔色はますます青く、そのほかの商人たちも動揺を隠せなくなる。
「そのほうら商家の名もいくつか上がっておる。なに、ただの名義貸しのつもりだったのだろう? 銭を右から左へと流すための。大した罪にはなるまいが、一応は調べておかねばな」
「ひ、卑怯にございましょう! 我らに言う事をきかそうと、そのよう……っ」
青田屋が言葉に詰まったのは、勝千代の周囲から浴びせられた殺意混じりの視線のせいだけではない。
背後から伸びてきた田所の手に、首を掴まれたのだ。
色白にもほどがある長い指が、むき出しの首に食い込んでいる。痛いのだろうか、頸動脈やら気管やらを絞められたのだろうか。
勝千代は小さく首を傾げ、怒りから恐怖に塗り替わっていく青田屋の表情を見守った。
「わ、わかりました!」
……たいしてもたなかったな。
「手前どもの蔵はすべて明け渡します故に、どうか!」
口々に謝罪を始める商人たち。厚顔無恥というよりは、武家の横暴を受け容れざるを得ない弱者という態度だ。
なかなかに興味深い見ものだったが、それを長時間眺めているほど暇ではない。
勝千代はどうでもよいとばかりに首を振った。
「必要ない」
「……え」
「そのほうらの蔵には興味もないし、手を付けるつもりもない」
もちろん、できることならば目の前にある物資を有効利用し、不足している場所に届けてやりたかった。
だが、何度も言うが商人は彼らだけではない。それに……
「ただ、よほど知られたくないことがあるようだな。元帳は調べさせてもらおう」
もちろん、敵対した報いは受けてもらおう。




