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春雷記  作者:
駿河編

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46-7 駿府 今川館 北対4

 勝千代が支えられながら上座に向かうと、これまで微動だにせず固まっていた上総介殿が動いた。母親である御台様を守ろうと、後ずさっていた彼女の前に身体を差し出したのだ。

 その顔は、先程までの人形のような無表情と違い、青白くこわばっていた。

 勝千代を見上げる表情にあるのは紛れもなく恐怖。……っておい、やっぱりこちらが悪者みたいじゃないか。

「動いてはなりませぬ。まずは止血を……」

 普段の逢坂老のような事をしきりと言ってくるのは興津。

 その逢坂とはいえば、不気味なほどの無言、更には無表情だ。しっかりと勝千代の肩を支え、それでも左手で刀のつばの部分を押さえている。


 勝千代は高座に上がる前に足を止め、顔を背けている御台様をじっと見た。

 駿河に嫁いでもう十年は経つだろう。だがこの御方はそれだけの年月を経てもなお、武家の女ではないのだ。

 いや、公家の姫君が悪いというわけではない。武家の、しかも駿河遠江を治める大国の正室としての認識が甘い。

 平時であればそれでもよかった。だが今は戦国の世。しかも嫡男が幼いうちに、御屋形様が病に倒れてしまった。

 嫁いできた時にはすでに今川家で勢力を保持していた桃源院様の存在も大きいだろう。

 なんでもイエスと頷いてくれる老女の影響もあったかもしれない。

 ひとつだけ言えるのは、今のこの御方に今川家を任せてはおけないという事だ。


 頑なにこちらを見ない御台様から視線を逸らせ、己より少しだけ年上の少年を見つめる。

 まっすぐに目が合って、怯んだような顔をされた。

 更にはぐっと唇を噛みしめ、母を守るように腕を伸ばす。

 いい子じゃないか。

 四年も前から度々顔を合わせているのに、初めてその感情に触れた気がした。

 惜しむらくは、一度も言葉を交わしたことがないので、その気質まではわからないという事だ。更には、今を逃せばまた当分話す機会もなさそうだという事。

 何を言えばいいのかわからなかった。「そんなに怖がらないで欲しい」とでも?

 今のこの状況から仲良くなれる気もしないし、この子の中の勝千代への印象を払拭できるとも思えない。


「勝千代様。表の方で治療を」

 そう言ってきたのは土井だ。

 どうして表かというと、奥は信用できないからだろう。

 これだけの兵がいて何かがあるとも思えないし、どちらにせよ傷を診るのは今川家の御殿医なのだが。

 だが、皆が心配するのも理解できる。

 あの長い廊下を歩いて戻るのかと思いうんざりしていると、ふっと両足が浮いた。どうやら運んでくれるらしい。

 大勢の視線を浴びながら運ばれるのには抵抗がある。だが怪我人だし。歩くのはやはりつらいし。

 小柄とはいえ八歳。幼児のように軽々とは行かないはずだが、勝千代を運ぶ土井の足取りは安定していた。

 四年前はおっかなびっくり、抱っこもへたくそだったのにな。

 そんな事をぼんやりと考えながら、勝千代はいつしか気を失っていた。



「かなり血を失っておられます。安静に……」

 聞いたことがない声が近くでした。

 それに対する警戒心というよりも、もっと根本的な違和感があった。

「おお! 勝千代殿!」

 聞こえた第一声が井伊殿だという事に、嫌な予感がする。

「御台様に刺されたとか。傷は浅手ですぞ!」

 いや、御台様じゃなくその老女……そう言いたかったが、声にはならなかった。

「御顔の色が悪い、まことに大事ないのか!」

 ズキズキするわき腹よりも、耳元での大声の方がこたえる。

 それでも目を閉じている事に危機感を覚え、重い瞼を何度かしばたかせた。

 違和感の正体はすぐに分かった。

 ここは思っていた場所ではない。

 何故に大広間。何故に衆目の中。

 土井が運んだのは、本殿で用意してもらったあの部屋だとばかり思っていた。

 最上座の高座、畳敷きのところに寝かされていて、それほど遠くないところに文官たち、伝令の武官たち、その他小者たちも多数。

 一通り大広間を見回した後、何が起こっているのだと無言のままじーっと井伊殿を見ていると、その片方の口角が微妙に持ち上がった。

 ……この野郎、またやりやがったな。

 人のうわさというのは馬鹿にできるものではない。

 井伊殿が「御台様に刺された」と大声で言った事は、後々言い間違えたと言おうが取り消せない。

 勝千代は井伊殿の意図にすぐに気づいたが、今更どうすることもできなかった。

 まさか冗談でしたと起き上がることもできず、どうしたものかと思案しようとして……

「御着替えはまだか」

 急かす逢坂老の言葉の意味が分からず、薄目を開ける。

「もうすぐ届きます」

 答える土井の視線が、微妙にそわそわ明後日の方向に向いているのは何故だ。


 しばらくして、勝千代の着替えを持って駆けつけてきたのは三浦弟だった。

 そうつまり、勝千代は衆目の中素っ裸だったのだ。

 こ、子供だからな。何という事はない。怪我人だしな。血で汚れたままでいるわけにもいかないだろうし。

 ……せめて下帯ぐらい用意できただろう!

 確信犯井伊殿とは、今度腹を割って話し合わなければなるまい。

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― 新着の感想 ―
[一言] わーい♪ *\(^o^)/*
[一言] 井伊さん、いい仕事しますね笑
[気になる点] ここの所誰かが来て暴れては 主人公呆然が繰り返されてるだけの気がしてなりません 面白キャラ暴れさせては お屋形様に任されましたと唱えて 小手先の嫌みを言い返してるだけ お屋形様登場まで…
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