43-6 駿府 今川館2
何度も訪れた場所だが、好きになれない。
勝千代は先の先まで続く廊下を、ため息をつきたい思いで眺めた。
長くて広い廊下は権威の証だなどと、誰かがしたり顔で言いそうだ。
そんな事を考えて設計したわけではないかもしれないが、ここを歩くたびに己の(歩幅の)小ささを感じずにはいられない。
必死に足を動かし、競歩ですかと問いたくなる苦行をこなして、ようやく見えてきたのがあの大広間だ。
ここへは何度も来た。来るたびに、招かれざる客扱いだった。こちらが怒らないのをいいことに、露骨に格下扱いをしてくれた。
そんな奴らが青ざめた表情でこちらを見ている。遠巻きに、ひどくこわばった顔をして。
浴びるほどの悪意の凝視は感じるのに、誰とも視線が合わない。
ほの暗い感情を念入りに心の奥に押し込み、勝千代はひたすらに先を急いだ。
もちろん、勝千代を守るように逢坂老と井伊殿も付いてきている。まだここに上がる事は許されていない身分の者たちもいたが、それを咎め立てられはしなかった。
かなりの高速移動をしているのに、それより先廻りして勝千代の訪れを報告した者がいたようで、開け放たれた大広間の扉の向こう側には、百人以上の武士たちがずらりと待ち構えていた。
ドキリとするような構えだ。
左右に分かれて今川家の重鎮たちが座っていて、こちらを射抜くような目で見ている。
だが忘れてはならない。勝千代の背後には頼もしい男たちが控えている。しかも完全武装でだ。
普段は入口のところで刀は預けるよう言われるが、誰にも言われなかったのでそのまま所持してきている。
整然と並んだ重鎮たちは皆直垂姿だ。武器を持っている様子はない。
少々マズいような気もしなくはなかった。これでは誰が見ても、攻め込んで来た側だ。だが、見えないところに武装した兵士たちが控えているのだと思いなおし、表情を改めて無言の圧に視線を返した。
顔色もわからないほど遠くの一段高い所に、三人座っている。女性、子供、女性の順だ。
そこから伝わってくる、もはや隠すことなく浴びせられる悪意に、かえって肝は据わった。
勝千代は静まり返った広間の入り口に座り、丁寧に頭を下げた。
「福島勝千代に御座います」
「誰もそのほうなど呼んではおらぬ」
苛々とした口調で言ったのは、女性にしては低い声、御台様だ。
「ご報告に参りました」
勝千代は許可を待たずに顔を上げた。
広間中から不愉快そうな視線を感じたが、今更だ。
「信濃国境の砦は三つとも奪還致しました」
「何故おのれが如き子供が報告にくる!」
「我が父、福島上総介が負傷し、動けぬ状況ですので」
ざわり、と空気が揺れた。
方々で、露骨にうれしそうに笑う者たちがいる。
勝千代はその全ての顔を覚えようとひとりひとりに目を向けた。視線が合うなり彼らはさっと顔をそむけたが、隠した口元が笑っている。
「あいわかった、ここは子供がいてよい所ではない。下がるがよい」
初めて聞いたわけではないが、何度耳にしても背筋がぞわぞわする声色でそう言ったのは、御屋形様の実母桃源院様だ。
さあ、ここからだ。
勝千代は腹に差している扇子の存在を強く感じながら、大きく息を吸って吐いた。
「まだお伝えせねばならぬことがありますが……先にこちらを。朝比奈殿を捕えているそうですね。仔細をお伺いしても?」
一斉にざわめきが止まった。
「聞いたところによると、さしたる理由もなく謀反と騒ぎ立てたとか。よもや朝比奈殿を冤罪で詮議する気ですか」
これまで勝千代は、従順で良い子だったと思う。面倒ごとを避けていたといってもいい。
だが、おとなしくニコニコ笑っていたからといって、気弱でものも言えない子供ではない。
「……それはこちらで話をしております」
ひっくり返ったような咳払いの末そう言ったのは、見覚えはあるが名は知らない文官だ。
勝千代は、常日頃のこいつらからのストレスに、今こそお返しとばかりに、うっすらと唇に笑みを浮かべた。
「密室で好き勝手な結論を出す前に、朝比奈家を宥めるのが先では」
「ぶ、無礼な!」
「無礼はどちらか」
強い喉の渇きを感じながら、勝千代はそっと息を整えた。
「今川館は現在朝比奈軍により完全に包囲されております。それこそ抜け道でも使わぬ限り脱出はできますまい。彼らに納得できるような答えを返さねば、血が流れるでしょう」
「そっ、それこそ謀反ではないか!」
「順序が違いますね。不条理な事をされたから、朝比奈家は蜂起したのです。朝比奈殿が解放されれば引くでしょうから、事がもっと大きくなる前に和解の道を探ることです」
人間は、黙って打たれ続ける物言わぬ杭ではないのだ。
大広間は再び静まり返った。
誰も何も話さない。
「蜂起だなどと、穏やかではありませんな」
不意に、並んでいる駿河衆重鎮のひとりが、重々しい声で言った。
出たな。勝千代には常に塩対応の筆頭、関口殿だ。とはいえ今川館の文官どもほど不条理な事は言わないので、苦手ではあるが嫌いではない。
歴戦の武士というよりも、文机が似合いそうな小柄で華奢な男だが、実際は常に戦に出て回っている。父から、なかなか戦上手だとも聞いている。
じっとこちらを見据えている関口殿に、真正面から視線を返し、勝千代は強い口調で言った。
「関口殿は、いきなり拘束され心当たりもないのに謀反人と罰されても、忠臣たるものすべてを投げうって沙汰を待つべしと?」
「もちろんだ」
「では、試してみましょうか」
勝千代は、上座方向の部屋の隅に並んでいる文官たちに顔を向けた。そして、ぎくりと表情を硬くした連中に真顔のまま言い放つ。
「そのほうらこそが謀反人だ。いたずらに事を大きくし、何の罪もない忠臣からその地位と名誉を奪おうと画策した。これより詮議にはいるので大人しく捕縛されるがよい」
「なっ、我らが何をしたと!」
「では、朝比奈殿が何をしたと?」
「へ、兵を二千も駿府にっ」
「それだけの兵を動かし京へ向かい、帰還したので、その報告をしに来たのでしょう」
各家を率いる立場の者たちは、二千もの兵を率いて遠征をする苦労を即座に察しただろう。関口殿までが顔を顰め、唇を引き結んでいる。
「むしろそちらが意味もなく朝比奈家から力を削ごうとしたのではないですか? 京まで往復させ、散々兵を疲弊させておいて、ようやく戻った朝比奈殿に今度は謀反の疑いですか」
「もうよい」
うんざりした口調でそう言ったのは桃源院様。白くたおやかな手を物憂げに振って、小柄な身体を脇息にもたれかからせ流し目のような角度で勝千代を見る。
「小賢しい口を利く子じゃ。疾く下がれ、顔もみとうないわ」
「いえ、この場にいる皆様にも聞いていただきましょう」
「いい加減にせよ」
「違うと申されるのならば、謀反を謀ったというはっきりとした証拠を提示してください。聞くところによると朝比奈殿は、信濃国境の砦を奪い返しに向かうと仰られた直後に捕縛されたとか。よもやそうされて何か困る事情でも?」
上座から飛んできた扇子が、中途半端な位置で落ちた。
くるくる回って止まるまで、皆がその動きを見ていた。
勝千代の口角が薄く上がった。




