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春雷記  作者:
遠江編

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42-8 北遠 砦6

 やることが決まっても、すぐに動けるわけではない。

 数日の旅程になるが、兵糧などの準備は必要だし、何よりも、持って行く荷物(証人や証拠)をどうやって運ぶかについては、話し合いが重ねられた。

 証拠隠滅の対策をどうするかとか、ひとまとめにして運ぶべきか否かとか。

 全てが整うには、急いでも丸一日は必要だった。

 こと荷造りに関して勝千代にできる事はないので、その間の時間は有意義に使わせてもらった。

 父のもとへ向かわせる者たちの手配や、留守番せざるを得ない男への対応などだ。


 砦の割といい部屋に二木は寝かされている。

 兵たちの宿舎としては、という意味なので、豪華ではないし何か特別な設備があるわけでもない。そっけない、壁も床も天井も木造りの、殺風景な建物だ。

 勝千代がその部屋に近づいた時、廊下の遠くからガンガンと何かを殴りつけるような音がずっと聞こえていた。

 気づいて足を止め、ため息をつく。

 宿舎なので人気が少ない建屋だが、夜番が仕事の時間まで休んでいるので無人というわけではない。その安眠を妨げる類の、棒か何かで床を殴っているような耳障りな音だ。

「二木」

 部屋に到達する前にその音は収まっていたが、咎めるように名を呼ぶと、顔色も目つきも悪い男はむっつりと唇を尖らせ、こちらを睨んできた。

 長い付き合いになるので、それが勝千代への悪意からではなく、彼が自分自身に向けた苛立ちだということはすぐにわかった。

 もう一度ため息をついてから、部屋に入る。


 騒音の源は刀だった。

 二木は無事な方の手で自身の愛刀を握っていて、それで床を殴っていたようだ。

 肝心なところで怪我をしたのは彼の不注意かもしれないが、もう起こってしまった事だ。今さらその苛立ちを垂れ流されても、生産性はまったくない。

 まじまじとその様子を見て、静かに寝ていろという叱責の言葉を飲み込んだ。

 嫌がらせじゃないかと勘繰りたくなるほどがっちりとした副木が、二木の左足と左腕に取り付けられていた。

 これではまともに寝間から起き上がることができるかも怪しい。厠へ自力で行くことも無理そうだ。

 放っておいたら勝手に動きそうなので、それはそれでいいかと思うが、本人にとっては忸怩たる思いだろう。


「ずいぶん暇そうだな」

「おかげさまで」

 唸るような遠慮のない物言いは、実に二木らしい。

 ふっと高天神城に居た頃の、平和な、皆が笑いあっていた時間を思い出し、胸が詰まった。

 福島家の戦死者は、叔父を含めて三百人弱。永遠に失われてしまった彼らとの時間を思い、胸に錐をねじ込まれたかのような強い痛みが湧き上がってくる。

「……明日の早朝に発つ」

 皮肉気に曲がっていた二木の唇が、勝千代のその言葉を聞いてぐっと噛みしめられた。

 ひとしきりその悔し気な表情を見守って、確かに手足は満足に動かせないが、首から上は使えそうだと判断した。


「選べ」

 勝千代がそう言うと、寝間に転がって動けない二木がぴくりと反応した。

「傷病人扱いで引き揚げるか、このまま砦に留まるか」

 ここは国境最前線の砦であり、怪我人が療養できる場所ではない。戦えない人間が後方に下げられるのは当たり前のことだった。

 かなり深い山間の砦なので、怪我人を移動させるのは大変だろうが、実際にすでに何人もが出城の方に移っている。その中には二木以上の重傷者もいた。

 勝千代は、顔を顰めてこちらの言葉を聞いている二木を、なおもじっと観察した。

 反応如何によっては、問答無用で後方に引きあげさせるつもりだった。

 放っておけば、骨が折れていようが、熱が出ようが、予後が悪くなると忠告されてさえ、おとなしく療養に甘んじはしないだろう。


「砦に残るというのなら、この部屋から出ない事を条件に、四名の忍びを使わせてやる。四人もいれば、やりたいこともできるだろう」

 はっと二木が息を飲んだ。

 細い糸のような目が、珍しく皮肉をまじえず勝千代を見上げる。

「いや、連絡係を含め五人だな。それでギリギリだ」

 ぽかんと口元が緩んだ。

 癖が強すぎるし、味方にすら平気で噛みつくような男だし、性格はあきれ果てるほど悪辣だが、使いどころを間違わなければ、常に期待以上の働きをしてくれる男だ。


「……勝千代さまの影供では」

「そうだな」

「殿に叱られます」

「叱る父上がご無事であることが大前提だ」

「勝千代様も失う訳に参りません」

 少し驚いた。二木がそんな事を言うとは思わなかったからだ。

 まじまじと見返すと、自身の言葉にさっと顔を顰め、視線を泳がせている。

 勝千代は、じんわりと込み上げてくる笑いをこらえた。

「三河に潜らせている奴らを何名か呼び戻す予定だ」

 叔父が死んでから、そんな感情が湧いたのは初めてだった。

「こちらはこちらで万全を尽くす。そのほうは父上の御為に首から上を役立てよ」

 見下されたり嘲笑されたりする事に敏感な二木は、不服そうな目で勝千代を睨んだ。

 今さらなその視線に、更なる笑いがこみあげてくる。

「引き上げるというのなら、高天神城で志郎衛門叔父上の手伝いだぞ」

「残ります」

 即答されて、声に出して笑ってしまった。

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福島勝千代一代記
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モーニングスターブックスさまより
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― 新着の感想 ―
二木よぅ! 最高の主君を得たな!羨ましいぜ!、
[一言] 二木の猛毒も楽しみだ〜! いつも更新ありがとうございます
[一言] >「勝千代様も失う訳に参りません」 二木がデレた!
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