42-7 北遠 砦5
父の事を放置する気は無論ない。
軍に国境を超えるなというのならばそうしよう。三浦の伯父と高遠がなにやら画策したのも明らかにしよう。
特に砦を信濃兵に譲り渡した件については、厳重な審議が必要だろうし、守ろうとした福島軍が大敗した件についても、そこに援軍を出さず、よりにもよって敵である高遠の者と酒宴を開いていた、つまりは意図して援軍を出さなかったのだという事を広く知らしめたい。
勝千代にとっての戦いはそちら方面になるのだろうと悟った。
そしてもう一度言うが、父の事を放置する気はない。
「今川館へ向かおうと思います」
勝千代がそう言うと、周囲の大人たちはこぞって反対してきた。
だが、勝手に兵を動かしたことについても、一応は申し開きをしておかなければマズいだろうと言うと、皆が顔を顰めてこちらを見てくる。
それはそうだとわかっていても、子供である勝千代に負わせるのはどうか、と感じているのだろう。
だが、これは勝千代の戦いだ。
三浦の伯父が、単独でこのような事を企んだとは思えない。
要するに、福島家を、父を嵌めようとしたのだ。
結果奴らの思う通りに事は動き、福島軍は手痛い打撃を受けた。ここまでされて、なお黙っていることはできない。
決着をつける時が来たのかもしれない。
これまでは避けようとしてきたが、時期としては遅すぎたのだろう。
せめて大勢が死ぬ前に、叔父を失う前に、行動を起こしておくべきだった。
「……どうなさるおつもりですか」
恐る恐るという口調でそう問いかけてくるのは久野殿だ。
じっとこちらを見ている原殿、奥山殿らを含め、多くの国人領主たちが心配そうにしている。
勝千代はゆっくりと彼らを見回し、「御屋形様に御目通りを願い出ます」と、持っている唯一の、そして他の誰もが持ちえない手札を提示した。
病床の実父に会いたいと息子が言うのだ。それを拒否してくるようなら、ますます専横の疑いがあると、声を大きくして言うつもりだ。
勝千代の望みを退ける事ができるのは、桃源院様か御台様ぐらいなものだろう。
いやかのお二人とて、衆目の中それを拒絶はできないはず。
今川館が思うままに動けているのは、あくまでも御屋形様という後ろ盾があるからだ。
その最高権力者が、国が真っ二つに割れそうな状況下で面会を断ってくる。……それはつまり、国主の地位に座っている力がもはやない事を示している。
「危険なのでは」
天野殿の、ぼんやりしているようでいて真摯で心配そうな眼差しに、勝千代はふっと唇をほころばせた。
笑わなければ。大丈夫なのだと、嘘でもそう信じてもらえるように。
勝千代の空元気など誰も全く本気にしてくれなかったが、小次郎殿の、駿府には井伊殿や朝比奈殿がいるという台詞に、渋々と納得してくれた。
彼らにも任せたい仕事がある。
信濃との国境を守ることは、領地を接している天野殿だけではなく、皆で対処するべき重要案件だ。
これが長期間にわたるとなれば、兵糧などの経費の問題も出てくる。
今の兵数を常駐させるのは過剰すぎるから、交代制にするなり、そのあたりの事は話し合って決めてもらおう。
そして外せないのが父の事だ。
勝千代はひそかに、身元をわからないようにした兵を追加で送ろうと考えていた。
兵糧や武器防具などの備品を持たせ、ついでに遠山殿への感状も付けて。
名目上は、父を保護してくれたことへの感謝だ。父が「恩」だの「礼」だの言っているのだから、命の恩人の扱いでいいのだろう。
謝礼などいくらでも出す。うちの蔵が空になってもかまわない。
父と叔父、そのほかの福島の者たちが無事ならば、あとはなんとでもなる。
勝千代の覚悟を感じ取ったのか、それ以上は誰も反対してこなかった。
だが当たり前のように、小次郎殿は駿府まで同行し兵を出すと言ってきた。三浦の伯父を含め、山ほどいる証人や証拠の品を運ばなくてはならないからだ。
井伊殿は御家存続のために嫡男を国元に残すという考えのはずで、小次郎殿まで駿府に向かうのはどうかと言ってみたのだが、聞いてもらえなかった。
「それで」
母親似なのだろう、丸顔の井伊殿とは真逆に面長で優男風の小次郎殿だが、その目の奥にある光りは父親にそっくりだった。
「どのあたりを落とし所とお考えでしょうか」
勝千代は黙り、国人領主たちも無言のままこちらを見ている。
とっさに答えられなかったのは、覚悟の甘さだろう。
そうとも、今川館に責任を追及し、相応の詫びをもらわねば割にあわない。
叔父を失った福島家もそうだが、巻き込まれて危うく裏切り者にされそうになった天野殿も。
ちらりと見た天野殿は、細めた目で勝千代を見ていた。
そういえば、天野殿は例の分家をどうしたのだろう。
聞いて良いのか、聞くべきではないのか迷い、結局は何も言わずにいた。
再会した時の殺伐とした雰囲気、ほのかに漂っていた血の臭いで、ある程度察しがついていた為でもある。
「……報いを」
勝千代は、叔父の首と対面した時の衝動を思い出し、目を閉じた。
ずっしりとしたあの重さを、きっと生涯忘れる事はないだろう。
「そして二度と、遠江に手出しはさせません」
そう言いながらゆっくり瞼を上げると、円陣を描くように座っていた国人領主たちが、一様に背筋を伸ばし居住まいを正していた。
無意識のうちに勝千代の背筋も伸びた。
彼らの強い意志というか、確固たる信念に背中を押された気がした。
それ以上の会話はなかったが、互いにその決意を理解できていたと思う。




