42-3 北遠 砦1
切望していた砦へ、こういう形で行くことになるとは思っていなかった。
異様な雰囲気だ。完全装備の兵たちが、もの凄い熱量でただ一方を凝視している。
ほんのちょっとの何か、たとえば枝を踏みしめ鳴らした小さな音にすら反応しそうな緊迫感だった。
見ると、今川の兵ではない、見慣れない装束の者たちが一か所に集まっていた。
何が違うのかというと表現しがたいのだが、装束の種類? 色? あるいは鎧の形状の一部が違うのかもしれない。
大河ドラマなどでは、兵が身にまとっている装束は皆一律に同じものに見える。
もちろん階級によっての違いはあるが、地域色があるものだとは思わなかった。
いや、京ではそれほど感じなかったから、信濃の、あるいは諏訪の兵の特徴なのかもしれない。
あまりよくないのだろうが、ジロジロと観察していて、そのうちの一人と目が合った。
何故子供が、と露骨に顔を顰め、その険悪な雰囲気が諏訪の兵たちに伝播していく。
ここは子供の遊び場じゃないぞ、そう言いたげな視線にさらされながら、勝千代はゆっくりと馬を進めた。
武装もしていない、ひとりで馬の手綱も握れない子供なのは事実だ。
天野殿にも逢坂老にも、ここへ来ることへは渋い顔をされた。
だが、どうしてもと言い張ったのは勝千代自身だ。顰蹙を買う事はわかっていた。
原軍が駐留している砦の外周には、井伊家の者や天野家の者、福島家のものまで雑多に並んでいた。
やけに人数が多く、ピリピリした雰囲気だった。
諏訪の兵へ向ける警戒が、一触即発、今にも戦闘が勃発しかねないレベルに高まっている。
勝千代がこの場にいる事も理由のひとつかもしれない。前線に子供が来ることなどまずないだろうから、余計なストレスを掛けさせている。本当に申し訳ない。
勝千代が馬から降り、確かめるように地面を踏む様子を、おそらく五十ではきかない人数の大人が見守っていた。
緊張して失敗しそうだ。
とにかく転ばないように。心配するところがそれかと自身に突っ込みを入れながら、さっと顔を上げて高遠から奪い返した砦を仰ぎ見た。
砦は総木づくりの、規模は大きいが山小屋のような雰囲気の建造物だった。
ちょっとした高台部分に細長く建屋が並び、最前面を高い丸太の壁が盾のように包んでいる。
物見櫓と、矢を打つためにあるのだろう足場と。
イメージ的には山賊の拠点のような感じだ。
勝千代がまじまじとその砦を見上げていると、ぴたりと閉ざされていた木製の門が、妙に静かに開き始めた。
大きな丸太づくりの、野趣味あふれる木の扉だ。これだけの重量があれば派手に軋みそうなものだが、静かに重く土をする音だけが聞こえてくる。
扉の向こう側にいるのは原軍。お行儀よく並んで、外側からは見えなかったが、壁の内側にある足場には弓兵も控えている。
厳重すぎやしないか。
遠江衆に対して、諏訪の使者の数は二十ほどと寡兵だ。
わざわざ矢をつがえて、気のせいでなければ弦まで引いた状態で待機とは。
やっぱり厳重すぎるだろう。
「どうぞ、中へ」
そう好青年風な口調で言ったのは、井伊の嫡男小次郎殿だ。
いかにも友好的な表情、にこやかな笑みすら浮かべているが、通常の感性の持ち主ならここに入るのは嫌だろう。
諏訪の方もそう思ったに違いなく、渋い表情で砦を見上げている。
勝千代は小さく息を吐いた。
「事情を知らねばお困りでしょう」
その言葉に、最初は諏訪方も気づかないふりをした。
幼い子供の言う事など、本来このような場所では耳を貸す価値もないものだ。
だが勝千代は構わず続けた。
「少し歩きましょうか」
「勝千代殿」
思わず、と言った感じで小次郎殿が諫めてきたが、軽く首を振る。
「叔父上の首が埋められていたのはどこでしょう」
大人たちがはっと息を飲んだ。
それは遠江衆だけではなかった。
事情を知らぬはずの諏訪の者たちも、何かを感じ取ったように勝千代を見ている。
「道が悪うございますが」
しばらくのなんとも言えない間の後、そう言ったのは原殿だった。
周囲から責めるような視線を受けたが、構わず軽く頭を下げる。
「よろしければ某がご案内いたしましょう」
後から気づいたが、山道は狭く、アップダウンも激しく、砦の周辺は伏兵を潜めやすい地形だった。
砦の背後には深い切り掘りがあり、兵を迎え討つにも伏兵を潜めさせるにも適している。
山肌の目立たない場所に、チラチラと鎧武者の姿が見えた。
彼らが父たちを探してくれているのか、福島の兵を掘り返したり埋めなおしたりしてくれているのかはわからないが、少なくとも今はほとんど動かず伏兵の役割を果たしているようだ。
諏訪方もそれに気づいて、ものすごく難しい顔をしている。
言ってはなんだが、国境の辺鄙な場所なのだ。大軍を動かすにも、いやそれ以前に大勢の兵を収容するスペースもない狭い砦に、これだけの数が置かれることなど過去なかったのではないか。
今川が攻め込むつもりではないかと危惧するのも理解できる。
更に、向けられる敵意に確信は高まっているだろう。
こちらがその気になれば、二十程度の寡兵などあっさり始末し山に埋めて、「来なかった」ことにすることなど簡単だ。
勝千代ですらぞっと背筋に寒いものが走るほど、向けられる静かな凝視は恐ろしいものだった。
諏訪兵らの警戒心が最大限に膨らみ、誰もかれもが刀の柄から手を離さないのも無理はない。
「こちらでございます」
砦から勝千代の足で十五分ほど歩いた、とある沢の片隅。
真新しい盛り土と、人間の頭より少し小さな石があった。
石の前には、大葉の笹に包まれた握り飯らしきものが置かれていて、傍らには真っ黄色の山吹の花が手向けられている。
叔父にはいかにも似合わないその可憐な花の、いくらか萎れた様子をみて、鼻の奥がツンと痛んだ。
酒を持ってくればよかった。いや、既にここに叔父はいないと思いなおす。
「この場所で、我が叔父福島誠九郎の首が見つかりました」
勝千代は手を伸ばし、丸いその石の上から土埃を払った。
「高遠の兵が三か所の砦を同時に攻め、我が父と叔父らはなんとかそれを防ごうとしたようです」
勝千代は立ち上がり、数歩ほど離れた位置に立つ諏訪の使者を振り返った。
「お伺いしたいのですが」
使者の男の強張った顔をじっと見つめる。
「今川と戦をするおつもりですか?」
子供である勝千代の声は、細く頼りなげに聞こえるだろう。
だが、そう問いかけた時の使者殿の顔はこわばり、むしろ怒りと反発が強く表に出ていた。
信じていないのか。あり得ないと言った表情だ。
「厚顔無恥な事を言う童子だ」
勝千代はコテリと首を傾け、怒りもあらわにこちらを睨む男に真顔で言った。
「厚顔無恥とは、自身の領地でもない砦と、自身の領地でもない山林とを勝手に取引した輩を言うのでは」
意味が分からなかった風な相手に、更に続けて。
「詳しい事情をお話せねばなりません。まずは聞く耳を持っていただけるよう願います」
さてここからが肝心だぞ。
勝千代はもう一度、叔父のための墓標なのだろう大きな石を見下ろした。
どうか力を貸してほしい。
信濃との戦端が開かれるか否かは、今から勝千代が語る言葉に掛かっている。




