41-6 北遠6
半日の距離にある砦を奪い返すのはそう難しい事ではない。
何しろ投降した三浦兵千を除いてなお三千を超える大軍なのだ。
敵方の兵の数はまだ定かではないが、山間の狭い立地の小さな砦を奪回する為だけに動かすには、むしろ過剰戦力だともいえる。
数が多すぎて、全員でこの城に入るにはキャパシティオーバーですらあった。先に兵糧や寝る場所の心配をしなくてはならず、実働兵よりも勘定方勝手方のほうが忙しいというのはあるあるだ。
後の事は、取り急ぎ砦を奪い返してから話し合おうと、さっさと城を出立したのは久野と原の両家だ。長い付き合いの彼らでも、豹変した天野殿は怖いらしい。
できる事なら勝千代も彼らと同行したかった。
もちろん天野殿が怖いからではなく、父の消息を求めてだ。
段蔵と弥太郎が砦の周辺を探してくれているが、いまだに発見には至っていない。
福島軍が壊滅したと報告で受けたが、おかしなことに野ざらしの死体はそう多くないそうだ。信濃の兵たちが獣が集まるのを厭うて埋葬したのだろうか、いくつかまとまって埋められた形跡があり、その上に墓標らしき岩まで置いてあるとの事。
今は掘り返して検分する時間がないと弥太郎に詫びられたが、当然だと思う。
砦はまだ伊那衆に奪われたままなのだ。
もしかしたらその埋められた中に父もいるのかもしれない。
誰もがそう思っていただろうが、口にはしなかった。
いや、父ほどの名の知れた武将なら、討ち取った後に首を落として晒すだろう。
もし本当にそうなったら覚悟とかそっちのけで号泣する自信しかないが、今はそのことは考えないようにしておく。
きっと生きている。そう信じなければ。
弥太郎が着目しているのは、この城に来ていた伊那衆五人。
捕虜を素っ裸にするのには彼なりの理由があって、何かを隠し持っているかもしれないということと、身元の確認と、あとは、おいそれと逃走できなくする意図があるらしい。
まあ確かに、逃げ出すためにまず着るものを探さなければならないというのはハードルが高そうだ。
だが個人的に言わせてもらうと、自尊心の問題で小袖一枚ぐらい着せてやるべきだと思う。だって……捕虜に会いに行くたびに見たくもないものを見る羽目になるのだ。
普通に嫌だ。
五人も予備がいるので、弥太郎自身が尋問を受け持つというので任せた。予備という言い方に引っかかったし、たぶん尋問という名の拷問、しかも復帰不能なヤツだろうと想像がついたが、そこまで敵に配慮はしない。
とにかく情報を抜きたい。
父の事を何か知っているに違いないのだ。
その間勝千代はもっと上の方の処理をしておくことにした。
三浦の伯父の相手を、天野殿や三浦兄弟にやらせると殺してしまいそうなので、南に面倒を見させている。あの男はまだ勝千代に向かってくる元気があるので後回し。
城の主だった者からも調書を取る必要があり、天野家の頭良さそうな部隊が手助けしてくれるのは本当にありがたかった。
「……知りませぬ」
背筋を伸ばし、怖い顔をしているのは物見櫓のところにいた木田だ。
酒宴に寄せてもらえなかったのか、自ら危機感があって外したのかはわからないが、酒気を帯びていないというだけで話のし甲斐はある。
勝千代は苛立ちを隠さずに扇子をパチリと鳴らした。これをすると何故か味方も一部委縮した雰囲気になるが、注意を引けるという利点はある。
「何をしたのかという自覚がないのは問題だ」
国境近くの城を守っているのだという覚悟があれば、敵と仲良く酒宴に及んだりはしないはずだろう?
「これは! い、今川館からの策によるものにございます」
「砦を介して向かいあう敵と慣れあえと?」
勝千代は傍らに置いていた一枚ものの紙をパッと広げ、木田の前まで滑らせた。
「砦三つと引き換えに、あちら側の山林の木を伐採する許可を得たそうだな」
木田の正直者な顔面からさっと血の気が引いた。
「そ、それは城の修繕にどうしても必要で」
「今取引の証文等を調べさせている。着服の証拠が出ない事を祈る」
「……っ」
雪崩で周辺の太い木材がないのだとはいえ、さすがに砦方面まで行くと生えているものもあるだろう。
生木を建材に使うのかなどという問題はさておき、城を修繕する材料が足りないなどということはあり得ない。
だがこの周辺の土地は、たとえば天野家に所有権があり、勝手に切り出して使うというわけにもいかないそうだ。
城の修繕費を誰が持つことになっているのかは知らないが、領内の木を勝手に切り出して使えば天野氏が払うということになるし、そうでないのなら木材代金をどこからか工面する必要がある。
つまり三浦はそれを厭うた、あるいはそこで動く金額に目がくらんだ可能性があった。
勝千代はもう一度、パチリと扇子を鳴らした。
「よく考えて話せよ、木田。そのほうの発した一言一句、紙に書きあげて記している。他の者たちも同様だ。食い違い、誤魔化し、虚偽などがあれば一族郎党命を持って贖うことになると覚悟せよ」
こんな事のために皆は死んだのか。腹が立って無意識のうちに手に力がこもり、扇子が折れそうになる。
だが理性でそれを押さえつけ、証拠を押さえる事が第一だと自身に言い聞かせた。
言い逃れできないように証拠をかため、三浦の伯父を、可能ならばその裏にいる者たちまで訴追したい。
ここまでしても言い逃れされるだろうと予想はしていた。
だが御屋形様は、証拠を固めたうえでの訴えに、耳を貸さない御方ではない。
「なにをそのような」
木田は笑おうとして失敗した。
恐らくは勝千代の容貌の背後に、駿府で病に伏している御屋形様の姿をみたのだろう。
「と、藤次郎殿の陰謀です!」
挙句の果ての苦し紛れに、眉間にしわが寄る。
「三浦家を追われた恨みを晴らし、己が御家を乗っ取る為に……」
「虚偽もごまかしも許さぬと言うたはずだが」
「まことでございます!」
勝千代は真顔でひととおり木田の主張を聞いた。
最初はまっすぐだった姿勢が次第に前傾し、額や首筋に無数の脂汗が浮いている。
焦って、余計な事まで喋っている自覚はあるのだろうか。
「……よくわかった」
勝千代は、逢坂老の合図にちらりと目をやってから頷いた。
ほっとしたような表情をする木田に、にっこりと取ってつけたような笑顔を向ける。
「よう話してくれたな」
「……い、いえ」
急なフレンドリーさに戸惑った様子の木田。
隣の部屋に呼び寄せた三浦伯父の存在には気づいていない。
「また話を聞く事もあるだろうが、とりあえずは控室にいるがよい。食事を運ばせよう」
「は? はあ」
勝千代が扇子を振ると、木田の背後にずっと立っていた土井がその肩に手を置いた。
連行されていく木田が、その主君の赤黒く染まった顔を見る事はなかった。




