40-3 遠江 高天神城3
興津の煮え切らない態度を追及しようとした矢先。
ガタリと板を踏み抜くような音がして、廊下に一人の男が転がり落ちてきた。
刀を握り警戒した複数の男たちの間を縫って、弥太郎がその者に飛びついた。
「待て」
抜刀しようとした者たちを制したのは勝千代だ。
その者はぐっしょりと血まみれで、長距離を駆けてきたのが分かるくたびれた装束だった。
見覚えのある男だ。
隻腕で、体格の良い中年の男。
まだ何の話を聞いたわけでもないのに、うわんうわんと耳鳴りがした。
騒然とする広間に担ぎ込まれ、皆の見守る真ん中に寝かされたその男は、間違いなく勝千代が以前会ったことのある相手だった。
「……」
弥太郎がその口元に耳を当てる。
男の唇からぼこぼこと血の混じった泡が溢れ、弥太郎の顔に飛沫が飛んだ。
さっとその役人顔から血の気が引く。
珍しい弥太郎の表情に、何かを思うことはなかった。
それよりも、わずかに漏れ聞こえた男の報告のほうが重要だった。
「福島軍、壊滅。殿が手傷を負われたのを最後に消息不明」
そんなはずはない、絶対嘘だと頭から否定した。
無意識のうちに首を横に振っていて、自身の吐く息がやけに荒く耳につく。
すぐに確認しなければ。今すぐに。
居てもたってもいられずに、立ち上がっていた。
この時代の情報にはかなりのタイムラグがある。真偽入り混じって飛び交っている。今すぐに正確なものを、というのは到底無理な話だ。
わかっている。わかっている。
やけに同じ言葉ばかりが頭を支配して、思考がまとまらない。
「……間違いないのか」
志郎衛門叔父が真っ青な顔で尋ねている。
かつて段蔵の村で、勝千代の頭を撫でた片腕の男が、死相の浮いた顔で頷いた。
直後息絶えた男の死に顔に、いつか見た笑顔が重なって消えた。
「若」
ぐっと両肩を掴まれ、揺すられた。見上げた逢坂老の顔色も青白く、「冗談だろう?」と半笑いの問いがこぼれそうになる寸前、もう一度肩を揺すられる。
顔を覗き込まれ、その目がぐわっと勝千代を射抜いた。
「お気を確かに」
低い声、小さな声だ。
握られた肩の痛みに、ようやくじわりと思考が回り始める。
父が率いていたのは歩兵五百。敵は倍あるいはそれ以上。
福島軍は決して落とせない砦を三つ掛け持ちで守っていて、おそらくは同盟を組んだのだろう信濃の国人領主が時間差で攻め入った。
ひとつの砦を守り、もうひとつに移動する途中に奇襲を受けたのだ。
五百の福島兵は壊滅状態。父は行方不明。
もっと詳しい事を問いただそうにも、その情報をもたらした男は力尽き死出の旅路についてしまった。
そんなはずはない。あの父がこんなことで死ぬわけがない。
繰り返し否定の言葉が浮かぶのに、同時に脳裏をよぎるのは、傷だらけのその身体だ。
筋骨隆々、不動の山の如き屈強な体躯を誇る父だが、その肉体には無数の傷が刻まれている。
父は、不倒でも不死身でもない。
そう思い至った瞬間に、眼球の奥がカッと熱くなった。
視界が緩み、唇が震え、みっともなく泣き言がこぼれる寸前、「若」と強い口調で窘められた。
肩を握る手が、皮膚に食い込む。痛い。
ゴツンと額がぶつかって、焦点が合わないほど皺顔が近くに寄って。
逢坂の目も血走り、瞳孔が開き、唇の端がわなわなと震えている。
それを認識した瞬間、すっと思考が冷えた。
「……叔父上たちは」
零れ落ちたその声は、自身でも驚くほど感情がなく淡々としていた。
片腕の忍びが伝えてきたのは、福島軍が壊滅したという情報だ。父の生死も所在も不明。では叔父たちは?
衝撃を受け床にうずくまっていた男たちが、はっとしたようにこちらを見た。
勝千代の問いに、答える事ができる者はいなかった。
そうだ、まだ何もわかっていないのだ。嘆くのは早い。
「父上の安否もまだはっきりしていない。父も、叔父たちも、その印首が戻ってくるまでは死んだなどと思うな」
呆然自失の状態だった男たちの目に、光が灯る。
瞬きひとつない幾つもの凝視。
勝千代はすっと息を吸い込み、腹に力を入れた。
「諦めるな」
まだ生きているかもしれない。
どこかの谷間か、どこかの岩陰で、手傷を負って身を潜めているのかもしれない。
はっきりとこの目で確認するまでは、死んだなどと認めない。
「戻ったばかりで済まぬが、すぐに動くぞ」
仁王立ちの小柄な勝千代を見上げ、大人たちが震えながら「はい」と頷く。
「今なら半数ほどがまだ掛川に残っているだろう。連中を連れて北上する」
「お待ちを、兵を動かす前に今川館に許しを……」
そういって、強張った表情をして腰を浮かせたのは興津だ。
皆が動き始めていた広間で、その動きが一斉に止まった。
総員の殺気立った視線を浴びて、興津の丸顔から血の気が失せる。
「興津殿」
勝千代はこの場にいる、唯一福島家とはかかわりのない男に目を向けた。
四年越しの馴染みの相手だ。世話になったし、仲もそう悪くはないと思う。
だがたとえ親しい隣人であろうとも、派閥の関係で敵味方にわかれてしまうのはこの時代の常だ。
「何も見なかったことにして曳馬城にお戻りを」
「勝千代殿!」
興津の言おうとしていることはわかる。その真意に勝千代への負の感情などないということも。
だが、今はそれを気にする余裕はなかったし、むしろ苛立ちと敵意を向けざるを得ない相手だった。
「……いや、駿府の方々に伝えて頂きましょうか」
青ざめたその丸顔を鋭く一瞥し、努めて声を抑える。
さもなくば、理性の箍が外れて怒鳴りつけてしまいそうだったのだ。
「必ず贖わせてやる」
ひゅっと息を飲んだのは誰だったか。
言いおいて部屋を出た勝千代は、振り返ってそれを確認することはなかった。
激おこ




