29-7 上京外 今川本陣 戦線崩壊2
ところで、現在北条氏は多方面との戦の真っ最中だという。
そんな中、二千もの兵を上洛させて大丈夫なのかと思うだろう? だが小太郎が心配している様子はなく、それは左馬之助殿も同様だった。
弟を苦手としているのは伝わってくるが、二千もの兵が国元からいなくなっているというのに、不安を感じていない理由は推察できる。
勝千代たち今川軍が、ほぼ全員遠江の国人だというのと同じように、左馬之助殿が率いる軍勢の多くが伊豆衆だった。弟殿についてはわからないが、おそらく似た配分ではないかと思う。
つまりは、放置しておけば問題を起こしそうな厄介者たちを、まとめて遠方へおいやっているのだ。
北条氏は武蔵を狙って版図を拡大している最中だ。
足元で余計な騒ぎを起こされるよりは、その者たちを所領から引き離しておきたいという所だろう。
うちの真似をしたのか? あるいはこちらが真似をしたのか。
親戚関係にある今川家北条家が協力して、兵士が欠けた部分へのフォローをしあっているのだろうと推察している。
もともと義宗殿の親族は伊豆衆だ。
その伊豆衆で上洛の兵をそろえた当初から、今回の事を織り込み済みだったとすれば、左馬之助殿もまた彼らと同様に厄介払いをされたのではないか。
先程挨拶を済ませたばかりの、のほほんとした男の顔を思い出し、複雑な心境になる。
他人事と言ってしまうには、身につまされる話だった。
勝千代もまた、庶弟として疎まれ警戒されている。いや、北条氏の実態がどうかは聞いていないのでわからないが、血を分けた兄弟というものは、最大の敵になり得る存在なのだろう。仲良くすれば、これ以上ないほど信頼できる家族だというのに……。
左馬之助殿の存在は、大きな「つけ入る隙」だ。
勝千代は、頭に過ったよくない考えを、首を振ることで追い払おうとした。
恐らく成功するだろう「北条家内訌案」。他人事だから、簡単に思いつくのだ。
これでは、井伊殿を責める事はできない。
「どうされました?」
「いえ」
視線を感じたのだろう、井伊殿が不思議そうな顔をこちらに向ける。
勝千代は愛想笑いで良からぬ妄想を振り払った。
「無事追加の兵糧は届きそうですね」
「大きな川があるのはいいですなぁ。輸送が楽です」
井伊殿は何も気づかなかったように、材木丸太でカモフラージュした米俵が遠ざかっていく様を見送った。
北条の援軍用の兵糧は伏見に送った。六角領より手前での調達はやはり難しかったそうだ。かなりの強行軍になるが、近江では足を止めず伏見を目指して来るらしい。
兵の食い扶持が怪しいのなら、ゆっくり行軍するより先を急ぐ方がいいのだろう。
だがそんなに急いでも……時すでに遅しだ。
伊勢軍を構成する最大勢力が引いたので、京の状況は一変していた。
六角軍がまだ完全に京から撤退し終えないうちに、和睦が成立した。
両軍ともに同程度の兵数を残すだけという約定だ。
間違いなく六角軍の動きが引き金だが、伊勢殿もよくこの条件にこぎつけたものだ。
六角に引かれてしまえば、どんなに手を尽くしても勝ち目はない。和睦はマストの選択だが、それを敵方に受け入れさせるのは並大抵のことではなかったはずだ。
この先朝廷の仲立ちのもと、何日かおきに話し合いが行われ、次の将軍を誰にするのか話し合って決めるらしい。
義宗殿はどうしているだろう。
伊勢殿は当然彼を推すだろうが、阿波細川家も細川京兆家も、それぞれ別の候補を上げてくるのは確定だ。
この先しばらくは、また別の意味での戦いが続くのだろう。
勝千代には、もはやまったく関わり合いのない事だった。
戦が終わり、京の町はじき復興のためににぎわうだろう。
方々から物資が集まり、周辺の山からは材木が切り出され、市井の者たちの営みが再びそこに戻ってくる。
焼け野原の上京を遠目に、次に来るときにはどれだけ復興しているだろうかと想像してみる。
日本人は辛抱強く困難に立ち向かう民族性だ。往時の華やかさなど見る影もない廃墟のような街も、きっと不死鳥のように蘇ってくれるだろう。
「そろそろ参りましょう」
井伊殿に促され、小さく頷きを返す。
勝千代は地味ながらも旅装になっていた。目立たない装いをしていても、鎧兜の武将に囲まれた子供がいれば人目を引く。
いろいろなところから、やけに見られていた。
だが不思議と誰とも視線が合う事はない。河原に仮設の材木置き場を作っている人夫や商人たち、たまには見習いらしき少年少女。不躾にじろじろと見てくるのに、勝千代が顔を向けるとさっと視線を逸らせるのだ。
気になりはするが、気にしても仕方がないとわかっているので、黙って逢坂老が轡を引く馬に乗せてもらった。
少し離れた位置で、駿河遠江に戻る者たちが出立の準備をしている。
彼らは京でこの災禍に巻き込まれ、今川領に戻りたい者たちだ。中には伏見で待機していた奥平ら文官と、承菊その他かなりの数の僧形の者もいる。
このまま京に居続けるわけにはいかないので、皆で帰還することになった。
五千の軍勢と一緒であれば、安心安全だ。
その中には子供もいる。親が連れてきた子もいれば、僧侶としての修行中の子もいる。
勝千代と同年代の子供もいるのだが、誰もかれもやけに遠巻きだ。
一緒に遊びたいとか思っているわけではないぞ。露骨に顔を背けられるのがちょっと心にくるだけだ。
ああ、本願寺の御曹司、証如もいる。こちらは武家の子の装いだ。両脇に控えているのがどう見ても親ではなくお付きなので、それなりに良い所の子に見える。
こうやって、武家の大軍が民間人や直接軍とは関係のない文官を保護するというのは、この時代だと少し珍しいのかもしれない。
その数おおよそ三百。多くは下京に身を潜めていた者たちだ。
勝千代もまた、堺から船に乗るのではなく、今川軍との帰還を選んだ。
忍び衆から、なおも刺客らしきもの達の気配がすると報告が上がってきたからだ。
寡兵で阿波軍に遭遇するのも気が進まなかったし、今の状況下で堺から船が出ている保証もなかった。
ずっと騎乗しての帰還ともなると、体力がもつのかとか尻の皮がめくれそうだとか不安もあるが……
いずれ軍を率いる立場になるのだ、ある程度は慣れておくべきなのだろう。




