29-6 宿場通り 戦線崩壊1
湯浅殿たちにお引き取り頂いた後、堺衆との話し合いはサクサクと進んだ。
すんなり話がまとまるのはいいことだけど、途中から、何を言っても「はい、はい」と首を上下にするだけの人形を相手にしているようだった。
ずいぶんと恐ろしい思いをさせてしまったから、委縮してしまったのかもしれない。
無理なボランティアをさせたいわけではないのは理解してくれたと思う。米自体からの儲けは少ないのだが、受け入れてくれて助かった。
米蔵を引き渡す時期を相談し、必要な取り決めを交わした。
今後の責任の所在は堺衆に移り、勝千代及び今川軍の名は表には出ない。
剰余分はすべて、堺衆の名義で帝に献金するようにともお願いしておいた。
あとはうまくやってくれると信じよう。
そして夜の帳が降り始める頃。周囲はもう夜だが、西の空にはまだ茜色が残っている時間帯。勝千代は夕食を済ませ、寝床に引き上げようとしていた。
現代人の感覚ではまだ宵の口だが、この時代の子供の就寝時間として早すぎるわけではない。
じきに長旅に出るので、体調を整えるためにも、休めるときは休むようにしているのだ。
「申し上げます」
特に慌ただしい物音を立てることなく、段蔵が速足に廊下を歩いてきた。
振り返った勝千代の足元に、音もなく片膝をつく。
常に折り目正しく、背中に定規を背負っているような男なのだが、素早く頭を下げた仕草は早急で、重要な事が起こったのだとすぐにわかった。
「本日、六角領で問題が起こりました」
「問題」とは、ずいぶん遠回しなもの言いだ。
勝千代は深く息を吸って吐いた。
「……いよいよか」
「はい、早ければ明日には動きがあるかと」
詳しい話を聞かなければならない。
部屋に入るようにと促したが、すぐには動かず、何だろうともう一度視線を下に向けると、「風魔の頭領が御目通りを願っております」と、低い声で告げられた。
小太郎が? 勝千代は顔を顰め、まじまじと段蔵を見下ろした。
意外と仲がいいのか、こいつら。前も一緒に報告に来たよな。
「北条の援軍についてかと」
それは聞かないわけにいかない。
朝比奈殿たちも呼んだ方がいいのだろうか。
一瞬はそう思ったのだが、昼間の騒ぎを思い出し、またややこしい事になるのではと躊躇した。
刻限も刻限だし、勝千代もすでに寝間着姿だし。
「……通せ」
端的にそう言って、臥所が用意された部屋の隣を目で指し示した。
さすがに小袖一枚は恥ずかしいので、軽く身支度をしてから隣の部屋に行くと、既にそこには姿勢の良い座り姿の段蔵と、こんもりと小山のような巨躯の小太郎が並んで待っていた。
勝千代が入室し上座に向かうまでの間、段蔵は深々と頭を下げ、小太郎はおざなりな感じで礼を取る。
見ていて面白いほど対照的な二人だ。座っている距離感も、相変わらず微妙だし。
「さて、話を聞こう」
顔を上げた二人がちらりと視線を交わす。
どちらが先でもいいぞ。どちらの話も重要だ。
二人が口を開く前に、「失礼いたします」と弥太郎の声がした。
すっと静かに襖が開き、きっちりと膝をそろえた男が頭を下げる。
特徴的な匂いが漂ってきて、薬湯をもってきたのだとわかった。確かに夜の分はまだ飲んでいないが……これは小太郎への牽制だろう。
弥太郎は勝千代の傍らに湯呑みを置いてから、そのまま身体を下座の方へ向けた。もし小太郎が切りかかってきても、防ぐことができる位置だ。
そんな露骨な警戒も特に気にした風もなく、小太郎は「ではお先に」と口を開いた。
相変わらず図太い男だ。
「北条軍が六角軍と接触しました。戦いになったわけではないのですが、いささか剣呑な有様で」
東海道を進軍してくる北条軍の先行部隊が、早くも六角領にさしかかったそうだ。
丁度その時、おそらく段蔵が言う「問題」が発覚した直後で、現場はひどく混乱していたのだろう。
「担当の者が聞いていないと、補給に難癖をつけまして」
要するに、超特急で上洛してきた北条軍への補給を断ってきたというのだ。
先行部隊の目的は、ほぼ補給といってもいい。兵糧や炭や塩を準備し、兵たちが休める宿泊場所や野営地を確保する。
寒すぎず暑すぎない季節だが、天候は非常に不安定なので、最低限雨風が凌げる場所を確保しておかなければ大変なことになる。
京までくれば伏見に入ればいいだろう。だがまだ淡海のあたりならば、友好国に補給を期待するのは当然ともいえる。
それを断ったのか。
勝千代は、唇の端をわずかに持ち上げた。
段蔵が言う「問題」はまだ聞いていないが、宗滴殿のカードが効果的な一打を放ってくれたのは間違いない。
「米がない?」
勝千代がそう問うと、小太郎は不服気に顔を顰めた。
「楽しそうですな」
「我らは何もしていないよ」
本当に何もしていない。嬉々として動いたのは宗滴殿だ。
小太郎はふうと息を吐き、首を振った。
周囲から睨まれても平気な顔で、「よくおっしゃる」とつぶやく。
六角領内で米が枯渇しはじめている。
それは六角軍が撤退する可能性を大いに示唆する情報だった。更にもう一押し、国元に火が付けば、おちおち京に出払っている場合ではないと一旦は兵を引くだろう。
「兵糧の融通は可能でしょうか」
「今ならば多少は。明後日には手を離れるが」
小太郎は顎をさすり、目を眇めた。
出し惜しんでいるわけではない。正当に支払いをするのなら、勝千代からだろうが堺衆からだろうが、兵糧を入手する手立てはある。それも十分融通といえるだろう?
小太郎の話が済んだようなので、段蔵の方を見た。
段蔵が知っている事は小太郎も知っているのだろうと思っていたが、もし不都合があるなら報告は後の方がいいのだろうか。
「国人衆が雨による被害の補填を求める声をあげ、六角家と揉めています」
問題ないからか、段蔵が重々しい口調で口を開いた。
「米は枯渇しているというよりも、近江商人が買い占め、六角領内から逃しているようです」
国人衆の誰かから耳早く話を聞いたのかもしれない。
その勘のいい商人の動きに何かを察し、他の商人たちも美濃や朝倉の方向に米を運び出しているというのだ。
予想していたのとは違う、だがより素早い動きだった。
近江商人たちが何をどう判断したのかは不明だが、見事な危機管理だと言える。
一気に米が品薄になった国内で、仕方がないので備蓄の兵糧が使われ、結果、北条が補給を求めても渋い顔をしたのだ。
「本隊がまだ六角領内に入っていないのなら、手前のどこかで補給を整える方が良いのではないか」
なにも他所に借りを作らずとも、やりようはいくらでもあるはずだ。
勝千代のその疑問に、小太郎は再び眉間の皺を深くした。
「なんでも兵糧方が話し合いをしようと申し出る前に、商人たちが適当な言い訳をして逃げて行くそうで」
そんなジト目で見られても知らない。本当に心当たりはない。
勝千代はフルフルと首を振ったが、小太郎がそれを信じた様子はなかった。




