29-4 宿場通り 庶子兄2
「このような話を、今ここでするのはふさわしくないのでは」
勝千代はそう言って、ちらりと堺衆を横目で見た。
部屋の真ん中にいる派手な集団なのに、これまで完全に空気と化していた男たちが、ようやくもぞりと身じろぐ。
「今川は伊勢殿に合力するのもやぶさかではありません。ですが、畏れ多い所からの和睦の話があがっているのでしょう?」
湯浅殿は思い出したとばかりに商人たちを見た。何をそんなに驚いている? 彼らは最初からそこにいたぞ。まさか忘れていたなんてことはないよな?
「……内々の事です」
勅令が内密の話なわけないじゃないか。
しかも情報の発信源である堺衆の前で喋っておいて、内々はないんじゃなかろうか。
湯浅殿が会いに来たのは勝千代ではなく、今川軍総大将の朝比奈殿だ。今後の動向を問いただす為だったようだ。
例の太っちょ文官近藤から、今川館の意向は聞いていたのだろう、どうして協力しないのだと苦情を言いに来た。
当の朝比奈殿は、散々攻撃を仕掛けてきておいて厚顔無恥なと感じたようだが、その怒りを発露させる前に、お伺いを立てるように勝千代の方を見た。
こちらの事は気にせずどうぞと頷き返したのだが……ちょっとまって。どうしてそこで刀を抜く?!
「なっ」
何をする、と言いたかったのだと思う。
湯浅殿は数歩後ずさり、うちの護衛に背中をぶつけてギクリと肩を揺らせた。
「ぬ、抜いたな!」
湯浅殿に腕を掴まれたままの庶子兄が、大声で叫んだ。
「そちらが先に抜いたのだぞ! 覚悟致せ!!」
立ち上がり、刀を抜き放った朝比奈殿は、静かなすり足で数歩進んだ。
兜をかぶっていない朝比奈殿の顔は、隠されることなく剥き出しである。防具がないという事ではなく、その表情を遮るものがないという意味だ。
静かに沸き立つ怒りがあらゆる方向に露わになっていて、正直に言おう、肝が冷えた。
待って、待って。
なんとか止めねばと思ったが、とっさに言葉が出て来なかった。
ここで伊勢殿の使者を殺すわけにはいかない。
そのことは本人もわかっているはずなのに、庶子兄の警告も意に介さず剥き出しの刀を突きつけている。
隣にいる井伊殿も知らぬ顔、いやむしろ楽しそうにしていないか?
誰も止めようとする者はいなかった。
え? つまり勝千代が間に入らなければいけないのか?
「そこまで」
仕方がない。勝千代は渋々と声を上げた。
「ご心配なく、湯浅殿。羽虫が飛んでいたので始末しようとしただけです」
言い訳にしては厳しいが……誤魔化しているうちに刀を仕舞ってくれ。
勝千代がそう祈っていると、動きを止めた朝比奈殿が首だけでこちらを振り返った。
刀はまだ中段で構えられたまま、つまりは湯浅殿(ついでに庶子兄)の喉元に切っ先が向いている。
「羽虫はもういませんよ。飛んでいたらまたお願いします」
朝比奈殿は首を傾け、勝千代の顔をじっと見てから、ようやく「は」と了承の声を発した。
特に血肉をまとっているわけではないのに、一度下向きに刀身を振ってから納刀する。優雅で無駄のない動きだ。
井伊殿が若干残念そうな顔をしているのが気になるが、なんとか事は収まりそうだった。
勝千代はほっと息を吐いた。
同時に、堺衆の大勢もまた大きく肩を上下させていた。巻き込んで本当に申し訳ない。
勝千代は改めて、「お帰り頂く」ために丁寧に言葉を続けた。
「さっさと帰れよ」とはいえないので、オブラートに包んで適度にラッピングする。
「和睦の件に片が付いてからお話ししましょうと、伊勢殿にお伝えください」
それより前に陣払いの予定だけどな。
「それは」
「ここ数日、どこからかの襲撃が続いているのです。皆気が立っています」
ほぼ間違いなく伊勢殿の手の者だが、それに湯浅殿がどこまでかかわっているかはわからない。現に何も知らぬげな顔をしていて、しきりに勝千代と朝比奈殿を交互に見ている。
「和睦が成立すれば、我らも帰国せねばなりません。そのための準備をしています。伊勢殿も身の振り方をお考えになった方が良い」
「無礼だぞ!」
身の振り方、という言い方が気に障ったのだろう。
庶子兄が意気をとり戻そうと声を張ったが、逆効果だった。勢いだけの口調では、その顔色を誤魔化すことはできない。
勝千代はここに来て初めて、真正面から庶子兄の顔を見た。
「それは失礼いたしました。ですが、和睦の条件によっては、そちらも陣を引かねばならないでしょう。兵糧の方は大丈夫ですか? うちはおおよそ半数が小石でしたが」
もちろん嫌味だよ。
黒幕陣営の兵糧も同じ有様なら、むしろ感心する。
「和睦の勅令が降りています。それに背くには相当の根拠が必要になります」
今伊勢殿が動けば、細川陣営も動くだろう。
知ってるか? そろそろ六角の尻に火がつくんだぞ。
もちろんそんな事を教えてやる義理などなく、勝千代は如才なく笑った。
「我らにしても、そこまでして御味方してよいものか判断がつきませぬ。そろそろ北条の援軍が到着するそうですね、そちらに話をしてみてはいかがでしょうか」
左馬之助殿の弟がこの状況をどう判断するかはわからない。
だが、うちよりは可能性があると思うぞ。




