28-8 今川本陣~宿場町
馬鹿の集団……と言ったら申し訳ないな。頭悪そうな威嚇をする馬鹿が率いる集団の前を素通りした。
「……気づいていると思いますか?」
声が大分遠ざかってから、勝千代は隣でパカパカ馬を操る井伊殿に尋ねる。
井伊殿は対岸の兵士たちを横目で見てから、肩をすくめた。
「気づいているなら今頃必死で穴掘りをしているでしょう」
それもそうだ。
連中は足元に二十万石の米蔵への入り口があるとは思ってもいないのだろう。
「たとえば、あれだけの数で一斉に掘ったとして、たどり着くまでどれぐらいかかりますか」
「そもそも地盤が弱い川縁ですからなぁ。米蔵自体は広さもある古い洞窟ですが、そこに至る通路は脆弱です。埋めた後を掘り返すのは、いちいち崩落への対処から始めねばなりません。もとの入り口から掘り進めるとしてですが……一年はかかるのでは」
「五百、千の動員をしてもですか?」
「千人で一斉に掘るのは無理ですよ」
それはそうか。マンパワー千人と聞けばすごい数だが、横並びで地面を掘るわけではないのだ。
「一年ですか」
「真正直に掘り進めばの話です。あの洞窟は完全にふさがっているとみておりますが、まだ別の道があるやもしれませぬ」
ひとつ抜け道があるなら、他にもあっておかしくないという理論だ。
二十万石もの米俵を秘蔵できる広大な洞窟だから、確かに、調べ切れていないところはあるのかもしれない。
「この地を離れる前に、念入りに確認したほうがよさそうですね」
そして必要なら、そのすべてを塞いでから商人たちに任せる方がいいだろう。
「なりませぬぞ」
五十万個の米俵だ。この先一生見る機会などなさそうだから、是非一度この目で拝んでおきたい。……そんな事を考えたのが丸わかりだったのだろう、勝千代を前に乗せ手綱を操っていた逢坂老が厳しい口調で言った。
「なりませぬ」
今はもうそれほどの危険はなさそうだと思うのだが、逢坂老だけではなく、当の井伊殿ですらあまりお勧めしないと言いたげな表情だ。
暗くて、奥が見渡せないほど闇が深くて、おそらく敵は潜んでいないだろうが、絶対とは言えない場所なのだそうだ。
想像できなくもないが、その広さと暗さについて甘い認識でいたのかもしれない。
残念ながら、五十万個の米俵をこの目で見る機会が巡ってくることはなさそうだ。
宿場通りに戻った時、目に付いたのは武士ではない複数の男たちだった。
今川軍がここに布陣する前、既に多くの市井の者たちは街を捨てて避難しており、残っていたのは年寄りなど身動きが取れない者が多かった。
しかし、こちらを遠巻きに見ている男たちは屈強な者が多く、商人というよりも無頼者のような雰囲気の者たちばかり。
単独ですれ違ったら、間違いなく道を譲りたくなるタイプ、いわゆるチンピラとかヤクザのような連中だといえばわかるだろうか。
堺商人と聞いて、大企業の社長的なイメージを抱いていたのだが、もしかしなくともヤクザ者を相手にしなければいけないのか?
馬を降りながらそんな危惧に見舞われていたが、間近にある逢坂老の強面顔を見上げて不安は霧散した。
……うん、うちの連中のほうが怖いよな。
この時代の武士とは、敵を切り倒して生き延びて行く者たちの事だ。
どう考えても、ヤクザ者より恐ろしい。
馬を降りてしばらく歩くと、定宿にしていた商人の別邸が見えてくる。
いつものように、先に土居侍従らの見舞いに行こうと寺の方に足を向けたのだが、その前に、道路を塞ぐように何人かの身なりの良い商人たちが現れた。
戦隊ものかな。
第一印象そう思ってしまったのは、彼らがそれぞれ身にまとっている着物が独特で、色鮮やかな原色に近かったからだ。
人数は七人。転がるように遠くから走ってくる佐吉を入れても八人だ。
「お久しぶりにございます」
そういって丁寧にその場で両膝を付いたのは、緑レンジャー……ではない、日向屋だ。
「先だっては孫に大変結構なものを頂きまして」
「久しいな。四年ぶりか」
「はい」
「奥方は息災か」
「孫息子に夢中にございます」
「まあ、立て」
衆目の中、ひとりだけ地面に両膝を付いているというのは頂けない。
勝千代はその場で深々と腰を折っている男たちを一瞥してから、走ってきた佐吉に軽く手を振って合図した。
「話は中で聞こう。所用がある故しばし待て」
うわああああ、めちゃくちゃ怖かったぞ。
にっこりと笑って連中と別れた後、ぞぞぞっと鳥肌が立った腕を擦った。
何が怖いって? ……日向屋以外の堺商人たちの無言の威圧だ。
確かに彼らは寸鉄も帯びていないし、物理的な武力でいえば勝千代の方に大きな分がある。
だが、最敬礼の角度で頭を下げられているのに、一向に敬われている気がしない。
別に這いつくばれと言っているわけではない。押さえつけて何かをしたいわけでもない。普通に敬意をもって話し合いをしたいだけなのだが……もしかして嫌われている?
まあ武士だし。子供だし。いきなり理由も言わず呼びつけられたのだ。こんな時期の京に集まってくれただけでもありがたいと思うべきかもしれない。
米の流通についてとは言っているが、米蔵の事はまだ伝えていない。
佐吉も日向屋も、彼らを集めるのにさぞ苦労した事だろう。
朝比奈殿や井伊殿は屋敷の方へ行き、勝千代に付き従っているのは弥三郎どのと福島家の者たちだ。
「……礼儀を教えて来てもよろしいでしょうか」
おどろおどろしい口調でそう言ったのは、逢坂老だ。
誰に、何を?! と驚愕の表情で振り返ると、彼だけではない、谷や土井、普段は温厚な三浦ですら眉間にくっきりと皺を寄せている。
「商人どもが」
逢坂老の口調から察するに、彼ら的には、堺衆の態度は無礼に映ったのだろう。
だが考えてみろよ。数え十歳の子供相手だぞ。頭を下げているだけまだいいじゃないか。
「まあ、今頃締め上げられていますよ」
いつもの茫洋とした表情でそう言ったのは弥三郎殿で、勝千代はその穏やかさにいくらか気を緩めたものの、いや待て、締め上げるってなんだ? と首を傾げた。




