28-7 下京外 今川本陣3
直接暇乞いの挨拶に行くのは止められてしまったので、書簡を書くことにした。
一条権中納言様の手に直接渡るとなると、きちんとしたものにしなくては。
ここは今川本陣なので、紙はある。書き道具もある。
そこそこに上質な和紙は、公的なものにも使われるいい品なので、失礼にはならないだろう。
「……なんですか?」
勝千代が問うと、真後ろに立っている奴らがそろって首を左右に振る。
邪魔だとは言えないのは、その中に朝比奈殿まで混じっているからだ。
じっと観察されて……ますます下手な事は書けなくなる。
もしかして見張られている? 余計な約束事を書かないように?
そんな事するはずないじゃないか。
ゆっくりと筆に墨を含ませ、まずは挨拶文から。
一行書き上げたところで、背後の野郎どもがため息をついた。
……本当に何だよ。そんなに下手か?
所詮は数え十歳の子供の手だ、失礼にならない程度でいいんだよ。
ああああ、そういえばそもそも京に来た理由が手習いだった。藤波先生はご無事だろうか。今頃堺かな。それとも、もう伊勢に避難できただろうか。
「……そういえば」
また一行書いて、その字のバランスを確かめていると、しきりに顎をさすっていた井伊殿が思い出したように口を開いた。
「佐吉が先程、あと二人ほど集まったら勝千代殿にお会いしたいと申しておりましたよ」
「え、佐吉が来ているのですか?」
「忙しそうに米蔵の書き付けを調べております」
地下で長期間保存したら悪くなりそうなので、米は市場に流すことにしたわけだが、持ち主が不確かな預かりものなので扱いが難しい。
素人の勝千代にはどうしようもない事だ。かつて生きていた時代でさえ、流通販売系とは全くかかわりない仕事をしてきた。
できない事を無理にしようとするから、下手を打つのだ。
こういう場合は、できる人間に任せる方がいい。
要するに、しっかりと不正なく仕事をしてくれる者を求めていた。
米を換金するということはつまり、その米は他所に流れて行くことになる。この秋までは南近江近辺をそれとなく迂回して欲しいとか、一気に市場にだして価格が崩壊するのは防ぎたいとか、もろもろの条件もあったので、こういった事はその道のプロに任せた方がいい。
佐吉は堺衆、日向屋の看板を背負っている総番頭だ。色々なところに顔が利く。
米座や馬借や色々なところの力を借りたいと頼めば、神妙な顔をして、数日の猶予をと申し出られた。
ここに来ての数日は確約できるものではなかったので、三日ぐらいならと短めに期限を切った。
それ以上になると今川軍が撤退してしまう可能性が出てくる。
前に佐吉と話をしたのが和議の勅令が発令した日だから、今日でちょうど二日目か。
そろそろ方針が固まってきたと考えていいだろう。
勝千代は無言で書簡を書き進め、可もなく不可もなくの手に顔を顰めながらも、なんとか結びまで筆を進めた。
「あと二人ほどという事は、他の者は既に到着しているのか?」
書き終え筆を置くと、すっかり助手に慣れた三浦がその紙を両手で受け取った。墨を垂らさず素早く乾かすためだ。
「はい。昨晩から宿場のほうに」
言えよそういうことは。待たせるなど感じ悪いじゃないか。
だが、朝比奈殿の暗殺未遂の件があったので、用心したのだということは理解している。
「話をしてくる」
「全員揃うまではと佐吉が申しております」
勝千代が立ち上がると、書き上げた書面を軽くパタパタ揺らしながら三浦が引き留めようとした。他の側付きたちもいい顔はしていない。
「ちょっと顔を見に行くだけだ」
勝千代は小さく首を傾け、親指と人差し指で「ちょっと」の隙間を作った。
警戒したい気持ちもわかるが、根回しって大事だろう?
本陣から宿場通りまでは、騎馬で十数分の距離だ。
道中は見晴らしの良い隠れる所のない河川敷で、背の高い建造物も高い茂みも極端に凸凹した地形もない。
ちらりと頭をかすめたのは、ここに資材置き場を作ると言うのはどうだろう、ということだ。
上京の復興のために木材などが大量に必要となる。対岸に資材を渡すまでの一時的な置き場、あるいは職人の宿泊所などを簡易的に建てるのだ。
もちろん、米を運び出す為のカモフラージュなのだが、利便性の良い立地なので、実際に復興の役にも立つだろう。
「勝千代殿、対岸を」
そう言いながら、手綱を器用に手繰るのは朝比奈殿だ。
勝千代は、盛大な溜息を飲み込んで、現実逃避から戻って来た。
もともと本陣と宿場を移動するこの間は危険なので、百人ほどの隊列を組んで行く。
勝千代自身も、幾度となく往復した道だ。
だが今回は何故か五百人。十名ほどが騎馬で、残りは歩兵だった。
狙われている勝千代と朝比奈殿の両方がいるとはいえ、五百は多すぎる……と、思っていたのだが。
「住田殿と……弥九郎殿ですか?」
対岸に軍を展開させているのは、細川京兆軍だ。
よく見える位置で仁王立ちになっているのは、見覚えのある白髪頭ともうひとり。こちらは記憶にある姿とあまりにも違う。
「……剃髪したようですな」
勝千代のなんともいえぬ表情を受けて、井伊殿が「ふうん」と薄笑いの顔で言った。
「頭を丸めるぐらいでまた大きな顔をできるとは、管領殿は随分と寛大だ」
頭はつるつるだが、しっかりと大将級の武具を着込み、手には槍を握っている。出家したというより、けじめのために頭を丸めたというので正解なのだろう。
しかも……挑発してきていないか。
ドンドンと足を踏み鳴らし、槍を天空に突き立ててる様子は、どう考えてみても威嚇だ。
馬鹿だろう。
今は和睦交渉中なんだぞ。帝の勅令を何だと思っているんだ。
「誰にでも失敗はあります」
自分で言っていて、説得力に欠けるのはわかっていた。
だが、煽られたからと言って高値で喧嘩を買うわけにはいかない。
「頭を丸める程度で許される失敗ですか。悔いてもいないようですし。死んだ者が浮かばれませんな」
勝千代はちらりと井伊殿を見上げて、返答はせずに首を振った。




