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春雷記  作者:
京都編

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28-4 下京外 宿場通り 軍議

「つまるところ、伊勢殿と今川館がつながっているということですな」

 井伊殿のバッサリと遠慮のない物言いに、軍議の場はシーンと静まり返った。

 誰も直視したくはなかったことだが、内心では察していただろう。

 勝千代にしてみても、ここまでずぶずぶに深入りした仲だとは思っていなかった。

 刺客にダブルブッキングをするということは、つまり互いの後ろ暗い事を把握しあっているということだ。

 今川館は、伊勢殿が勝千代を狙っているのを知っていた。知っていて、更にベット額を倍に釣り上げ、確実に殺そうとしたのだ。


 誰も何も言わない密室の中にいるのは、いつもの面々だ。

 この件は、他の国人領主たちも知っていた方がいいと、井伊殿が皆を集合させた。

 勝千代もそうかもしれないと思い同意したが、なんだか違和感がある。例えるなら、やんわりと背中を押されている、一方通行の道に誘導されているような感じだ。

 じっと井伊殿を見つめると、その目がすうっと弧を描いた。

 何を企んでいる?


「伊勢殿はおそらく、先の将軍を暗殺し、叡山に避難なされているやんごとなき御方に手を上げようとなされた。こういうやり方に、今川は加担するのですか」

「井伊殿」

 勝千代は思わず制止の声を上げた。

 この男、扇動する気か。

「本国からの指示には従わなければなりません。御屋形様がそうせよと言われたのなら、我らは従うのみです」

 勝千代は、井伊殿の言葉を否定はしなかったが同意もしなかった。

 危うい事を口にするなと、その顔をしっかりと見ながら首を左右に振ると、井伊殿は軽く片方の眉を上げた。

「今川の殿が本当にそうおっしゃるのであれば」

 息を飲んでいた国人領主らがちらちらと互いに視線を交わし、助けを求めるように朝比奈殿の方を見る。


 こいつ。

 勝千代は舌打ちしたいのを堪えた。

 潜在的にあった不信感を、あぶり出しにする気だ。

 もとより策謀家だとは思っていた。他の国人領主の多くが今川家の臣下に下っているのに対し、頭を下げはするが独立は許されている理由はこれか。

 上手く立ち回り、あちこち誘導し、井伊谷の主権を守ってきたのだ。

 こういう男がいるから、遠江はまだ要警戒対象の国なのだろう。

 今川の支配下にあるとはいえ、完全ではない。

 勝千代の知る歴史では、今川家は三河を含む三国を支配下に置いていた。そうなる以前の、今は過渡期だ。

 つまりは、遠江国人衆が今川から離反することも有り得ると、誰もが内心では思っている。

 そう考えると、今川館の思惑もわからなくはないのだ。いつ火がつくかわからない火薬庫を、ただ眺めているだけというわけにもいかないだろう。

 御屋形様の健康不安が顕在化する前に、確実に支配しておきたかったずだ。


「井伊殿」

 勝千代は静かに言った。

 この男を討てと命じられる日が来るのかもしれない。そう思いながら、穏やかに言葉を続ける。

「不満は大いに結構ですが、それを口にする場は選んでください」

 史実ではどうやって三国を支配したのだろう。

 このままの状態、不満はあれど抵抗はできない……という状況を保持し、年月をかけて牙を抜いたのだろうか。

 あるいは、もう一戦、国人衆の意気を削ぐ大きな内乱のようなものがあるのだろうか。


「今戦って勝てますか」

 具体的にどこと、まではいわなかったが伝わっただろう。

 こそこそと私語を交わしていた国人衆が、一斉に黙って勝千代を見た。

 朝比奈家も福島家も、今川家の家臣だ。今川と国人衆の戦いになったら、真っ向から敵対することになる。

 しばらくの沈黙ののち、井伊殿は何故か「ふっ」と笑った。

 ……なんだ?

「ようやっと勝ち筋が見えてきた気がするのです」

 じっと見据えられ、ぞわぞわと背筋に嫌な感覚が過った。

 これはいけない。

 勝千代はあえてわからないふりをして首を傾げ、にっこりと微笑んだ。

「……楽しそうですね」

「楽しい? ……ええまあ、そうですな。実に興味深い盤面です」

「勝手に動く駒は忌避されますよ」

「上手く使ってくれる御方がいるなら、轡を食むのもやぶさかではないのですが」

 だからそういう事言ったら駄目!

 他の国人衆のギョッとした表情をあえて視線から外し、じっとりと睨むと、「はははは」と明朗な声で笑われた。


「とりあえずですが、和睦が成るという前提で動くべきかと」

 井伊殿はまだ笑いの余韻が残る声でそう続けた。

「京にいれば、敵が複数個所になります。離れれば、警戒するべきはひとつでしょう」

 今川館に命を狙われていると明言するのはやめて欲しい。

 井伊殿は床の上に置かれた地図に目を向け、山科から続く東海道を扇子の先でたどった。

「北条の援軍とかち合わぬよう行程を組みましょう」

 勝千代はなおも胡乱な目をして井伊殿を睨んでから、やがて小さく息を吐いた。

「できれば北条にも撤退して欲しいですね」

「お会いになられますか?」

 左馬之助殿が嫌そうな顔で言った「弟」とやらか。

 上手く口先で転がすことができるならやってみてもいいが……。

「機会があれば」

 勝千代は左右に首を振った。

 今の今川軍に、そんな余裕はない。

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― 新着の感想 ―
[一言] おはようございます やっぱり、謝るしかないです ごめんなさい 「悪役が強ければ強いほど、ヒーローが光る」と言ったのは、競馬シリーズの「ディック・フランシス」さんでした 間違った情報を書い…
[良い点] こうやって見ると花倉の乱が、ただの御家騒動じゃなくて、遠江派と駿河派の派閥争いだったのかもしれない。と思えてきますね。 お勝様は最後まで悩むんでしょうなぁ。 [一言] 戦国大名の出現する過…
[一言] 銀英伝のヤンとシェーンコップの会話を 思い出しましたw
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