28-3 下京外 刺客3
「寺前と申します」
そう言って頭を下げたのは、田所の腹心だ。特に京に来てから、何度も顔を合わせたことがある相手だが、直接言葉を交わしたことはなかった。
さもありなん。声帯を痛めているのだとわかる、聞き取りづらいかすれ声をしている。
「不快な声をお聞かせして申し訳ございませぬ」
そう言って、地面に額を擦りつけているが……やめなさい。
もちろんそんな事を気にしたりしないとも。
「田所の容体はどうだ」
「はっ、おかげさまで熱も下がり、痛み止めがよく効いております」
複数個所の骨折に、足の爪を剥がされたと聞いている。想像するだけでものすごく痛そうだ。
「我らは遠からずここを離れることになるが、ついてくるのはやめておけ」
骨を折ったらほんの少しの振動でも痛む。無理に動けば回復にも障るだろう。
「本願寺に頼んで、養生できる場所を確保しておく。少なくともふた月はそこで養生するように」
特に足の骨折は治りが遅いのだ。つい動かしてしまう部分だから。
寺前は無言のまま叩頭し続けている。
ここに来たのは田所の容体を聞きに来たのとは別の理由がある。
例の浪人ども。井伊殿は十人ほどを息のあるまま確保していた。そこから情報を抜こうとしたのだがうまく行かず、口は軽い連中だが肝心の事が聞けていない。本当に知らないのかどうか判別も難しいという。
勝千代は弥太郎に頼んでみたのだが、少し思案して首を横に振られた。
忍びだと「壊してしまう」可能性があるが、それについてもっと得意とする人間がいると。
田所だな、とすぐに察しがついた。
あの兄のほうの尋問(拷問)風景を垣間見たことがあるのだが、弟も同じスキルを持っているとは思わなかった。兄よりは随分まともな人間に見えるのに。……いやこれは偏見か。
だが今の田所には無理だ。起き上がる事すら困難だろう。
そう言ったのだが、一応聞いてみてくれと返されたので、見舞いがてらに養生中の寺に行った。隣だからすぐ行けるのだ。
出迎えてくれたのは田所の腹心の細身の男だ。頭を丸く剃り上げているが武士の恰好をしていて、よく日焼けしていてわかりづらいが、顔に無数の切り傷がある。
勝千代が訪問した時、田所は眠っていた。それを聞いて病室には入らず、遠目にその様子を確認だけして、庭先で這いつくばっている寺前に視線を戻す。
「よく看てやってくれ」
「もちろんでございます」
田所に話をするのは無理だと諦め、次は土居侍従の見舞いに行こうかと踵を返そうとしたとき、「あの」とためらいがちに引き留められた。
「このような事を申し上げても良いかわからないのですが」
かすれ声が地面に向かって発せられているので、より聞き取りづらい。
「なんだ?」
喋るなら顔を上げろと言いたかったが、パワハラっぽいのでやめておく。
おずおずと顔を上げた寺前の目は、なんだか可愛らしく小さかった。
「捕縛した者がいると聞いております。その者の尋問でお困りでしたら……」
勝千代とばっちりと視線が合って、小さな目の禿げ頭は急に恥ずかしそうに声を細くした。
そうか、田所には無理でも、その技術は配下の者なら持っているのかもしれない。家人まで尋問官なのか、恐ろしいな田所家。
「さ、差し出がましい事を」
もじもじと再び視線落とした寺前に、「いや」と勝千代は首を振った。
「そうしてくれると助かる。井伊殿と話をしてくれ」
下を向いた寺前の顔が、パッと喜色を浮かべるのがわかった。
驚愕の事実を伝えよう。
勝千代が寺前に尋問の許可を出したのは昼すぎ。その数時間後には、どうやっても井伊殿が聞き出せなかった大切な話をごっそり吐かせてしまった。
……怖いって。
あんなキラキラした小さな目をしておいて、何をどうやったのか。
誰も詳しい事は教えてくれなかったが、ぞわりと背筋が冷えた。
田所家の奴らを怒らせるのは絶対にやめておこう。
「……前払いの駄賃を受け取った際に、後をつけた者がおりまして、下京の幕府舎にはいっていったそうにございます」
そう報告をあげる井伊殿の顔色もなんだかすぐれない。
多分勝千代もおなじぐらい強張った表情なのだろう。
「あの場所に伏兵せよと指示が出たのは嵐が収まった直後あたりで、その時は宿場町から出てくる子供を狙えとの事でございましたが、身を隠して機会をうかがっている最中に、もっと確実に、近くに引き寄せるまで待機と。機を見て確実に狙えるところまで寄ってきてから射よと」
幕府舎ということは、やはり伊勢殿か。嵐の後だと、自軍が壊滅したという知らせを受けた直後だと思われる。
「その者たちも、今川の大軍を相手によくぞ弓が引けましたね」
「それが……」
井伊殿は困惑したような表情で言い淀み、しばらくして声のトーンを落として言った。
「今川軍の布陣を目にして、さすがに分が悪いと引き上げようとしたところ、連絡係の男が現れたそうで」
目の前で銭を倍に積まれ、かすり傷でも子供に負わせることが出来れば、足軽組頭として召し抱えると証書を出してきたのだそうだ。
そして井伊殿が取り出してきた質の悪い紙には見覚えがあった。
ペラッペラの、墨の色が裏から透けて見えるほどの粗悪紙。均等に薄いのであれば価値もあるだろうが、見るからに凸凹していて、筆先が引っ掛かったり破れたりしそうだ。
「……嫌な予感がするのですが」
「申し訳ございませぬ」
いや、井伊殿が謝る事ではない。
勝千代は嫌々だが差し出されたその書き付けを受け取った。衣服に縫い付けでもしていたのだろうか、やけにシナシナで、皺も寄り、何より汗臭い。
前回同様、親指と人差し指の二本で紙の端をつまむと、するりと残りがほどけて垂れた。
それほど長い文章ではない。
そして、その紙質と同様、見覚えのある筆跡。
「今川館で問いたださなければならない事がまた増えましたね」
勝千代はそう言って、思いっきり顔を顰めた。




