25-2 叡山防衛2
「どうぞ」
釣竿を差し出すと、思いっきり顔を顰められた。
もともとやくざ映画に出て来そうな強面顔なのだが、眉間に皺を寄せるとなお一層恐ろし気になる。
僧籍にあるから釣りとかそういうのは駄目なのか? いや、総大将として戦に参加しているぐらいだから、殺生を厭うとかそういうのではないだろう。
「……釣りがお好きか」
相変わらず理知的な喋り方だが、その声色には凄みがあって、穏やかとは程遠かった。
小難しい問答を投げかけられたような雰囲気だが、聞かれたことはただ単に「釣りが好きか否か」だ。
勝千代はにっこりと微笑み、なかなか受け取ってもらえない釣竿を掲げ小首を傾げた。
「上手くなりたいとは思います」
ややあって宗滴殿と並んで小川の際に腰を下ろし、釣糸を垂らした。
お互いの真後ろに二人づつ護衛を従え、残りの供は少し離れた位置に控えている。
あまりいい雰囲気とは言えないが、状況を考えれば仕方がないのだろう。
木々のざわめきと小川のせせらぎ、時折聞こえる春の鳥の呼び声が耳に心地よく、ささくれだった心に一時の静寂をもたらしてくれる。
井伊殿の時とは違い、今回はどちらの竿にもなかなかあたりが来なかった。
「魚影は見えているんですけどねぇ」
勝千代がぼやくと、隣でふっと笑う気配がする。
ちらりと横目で見ると、こちらを見下ろしている三白眼と目が合った。
顔も目つきも怖いが、子供相手に無体な真似をする男ではなさそうだ。
「庶兄のことで、一度お話をしておきたいと思うておりました」
「亀千代殿か」
本題に入る前に、軽いジャブのつもりで気になっていたことを口にすると、宗滴殿も庶子兄のことは知っていたようで、すぐにその名が返ってきた。
「当時どういう話になっていたのかよく知らないのですが、父が遠縁を頼りお頼みしたのだと聞いています」
「弟の子の側付きとして育ってくれればよいと目を掛けていたのだが」
「勝手をしたのではないでしょうか。申し訳ございません」
「剣術師範とともに山にこもるという話で、出奔したことに長らく気づけなんだ」
疑惑としては、朝倉家の裏方として育てられ、伊勢殿の所でもそういう役割を果たしているのかもしれないと思っていたのだが、途中で言葉を途切れさせた様子を見るに、そんな感じでもない。
以前に想像していた通り、父は元服するまで預かってほしいとお願いをしていたようで、その後は本人の好きにさせるようにとの事だったらしい。
確か父の亡くなった正妻が朝倉の分家の娘だということだ。その程度の伝手で、宗滴殿の弟の子の側付きということは、望外に良い待遇だったはずなのだが。
「庶兄は側室腹ですが、父の第一子の男児です。私は嫡男とはいえ血統的には孫にあたりますので、そのあたりに複雑な思いがあるのでしょう」
水面を見ながらそう呟くと、「ふむ」と低い声で宗滴殿が唸る。
「それはあくまでもあやつ自身の都合だな」
ぴくぴくと竿先が動き、宗滴殿は素早く手首を捻って釣竿を引いたが、逃げられたのか獲物は掛かっていなかった。
「天運があればおのずと立場は巡ってくる。それに抗って無理に手を伸ばしても碌な事にはならぬ」
さっと近づいて来た護衛が、うねうねと動いている立派なミミズを針先につけた。
その青みがかったミミズの立派さに見惚れていると、「かかっておるぞ」と言われ、和竿がびくびくと動いている事にようやく気づく。
ぐっと手に重みが掛かり、踏ん張る前にズリと草履が滑った。
さっと腰帯をつかんだのは谷で、一瞬遅れて下半身を捕まえてくれたのは市村だ。
すわ、大物か?! と興奮気味に竿を引き、悪戦苦闘の末に釣り上げたのは……まあそこそサイズのヤマメ? いや斑点が白いからイワナだな。
「やるではないか」
「はじめて釣れました!」
褒められて、パッと笑顔で顔を上げると、宗滴殿は若干だがほころんだ表情をしていた。
つい本気で釣りを楽しんでいたことに気づいて咳払いすると、宗滴殿も我に返ったように視線を逸らす。
再び二人して釣り糸を垂らし、無言のまま小川のせせらぎを見下ろして……しばらく。
「今回の事情について、深くはお聞きしません」
勝千代は少し遠くを見ながら、口を開いた。
「その代わりと言ってはなんですが、帰還の行程について少しばかり調整願いたいのです」
そもそも朝倉軍は六角家と同盟軍として上洛した。ゆえに六角の領地を通って問題はなかった。だが撤退するとなれば話は違ってくる。
いや、細川軍に寝返るわけではないので、明確に敵対されることはないだろう。だがしかし、今川家から兵糧を融通されたという事がどう取られるかは微妙だ。
恐らく朝倉軍は最短距離を突っ切り、休息も最小限にして帰還を急ぐ予定のはず。
「伊勢殿からは引き留められたでしょう」
「されど、兵を引かざるを得ないのはわかるはずだ」
「そうですね。兵糧が尽きれば兵を引くことすらかなわなくなります」
勝千代の言葉に宗滴殿はしばし黙り、改めてちらりとこちらを見下ろしてきた。
「六角家の兵糧は潤沢ですよ。そちらから融通してもらうという話は出ていませんか」
「……ないな」
宗滴殿の視線は再び小川の方へ向いた。
越前は近江程京に近いわけではないが、兵糧を運んでくるのが困難なほど遠いわけではない。道中の六角家の助力があれば、余裕をもって必要な兵糧を用意できていたはずだ。
だがそうはならず、結局京で小石混じりの兵糧をつかまされることになった。
この抜け目なさそうな男が、どうしてこんな無様な事になってしまったのか真相を探らせないわけがない。
そしてある程度察し、だからこそ伊勢陣営から手を引くことにしたのだろう。
「残りの必要な兵糧を六角領内から根こそぎ頂くと言うのはどうでしょう」
勝千代の、無邪気と紙一重なそんな台詞に、周囲の大人たちは……市村までもがぎょっとした顔をした。




