24-3 叡山前3
「まあ待て」
予定調和的に勝千代が口を挟むタイミングだったが、声がひっくり返ってしまった。
さながら女児のように細く甲高い声だ。
思わず顔をしかめ、やり直しのために咳払いする。
「このようなところで血を流すのは如何なものか」
「は」
真後ろで朝比奈殿が深く頭を下げる。
勝千代の肩に触れるほどの叩頭ぶりに、さらりとした髪が視界をよぎった。
こういう直毛の奴って毛量が少なく見えがちだが、朝比奈殿の場合むしろ多い。羨ましい。
つい己のいまだ回復しきれない生え際に手をやっていて、確認が癖になっていると顔を顰めた。何度確かめたって、生えて来ないものは生えて来ないのだ、畜生。
「我らは一条権中納言さまをお守りする先兵です。そちらの諍いに口を挟むつもりはございませぬ」
声が単調になったのは、目の前の若者が兜からはみ出すほど豊かな毛量の持ち主だったからでは断じてない。
「な、なにを」
「ちらりと見た所、上京での競り合いは拮抗している模様、そちらに向かわれた方がよろしいのでは」
ちなみに勝千代は紺色の直垂姿だ。出先なので子供用の鎧兜など当然なく、手持ちは紺色を基本とした着物ばかりなので、見栄えはいかにも地味だ。
朝比奈殿とその近習たちが軍馬込みで非常に華やかなので、その地味さはなおのこと際立って見えるだろう。
下手をするとその辺で拾ってきて保護した子供に見えるのではないか。
そんな子供相手にどう思ったのか、細川家の武将はこわばった表情で立ち上がった。
苛立たし気に兜の垂れに刺さった矢を抜き、ボキリと足で踏む。
「ここは我ら細川京兆家がお守りしている。駿河の田舎侍如きが出過ぎた真似をするな!」
「面白い事をおっしゃる」
勝千代はにっこりと微笑んだ。
「ご理解いただけなかったようですのでもう一度申し上げます。我らは、一条権中納言さまの御身をお守りし、ご無事に叡山までお送りするよう任されております。細川京兆家はよもや摂家のご当主に対し弓引くような真似をなさると?」
ぎょっとしたのは、その武将ではなく背後にいた面々だ。
矢を踏み折った男は更に腹を立てた様子で、地団駄を踏むように足を鳴らし、腰の刀に手を当てた。
「生意気な口を!」
「ここは叡山参道、今は帝がおわすところです。高貴な方々に血生臭いものを見せるべきではございませぬ」
「……構わぬ、片付けよ」
あからさまな優位にあるにもかかわらず、尻餅をつき怯んでしまった事への屈辱だろう。子供に偉そうなことを言われた怒りもあったと思う。
若い武将は矢で穴が開いた垂れを煩わし気に引きちぎり、憤怒の表情でそう言った。
「帝の御座所を汚す不届き者だ!」
この若者はやはり、ある程度の権限を有する身分立場にあるのだと思う。
だが、それ以外の者たちは、尻を蹴飛ばしかねない勢いで発破を掛けられても明らかに逡巡していた。
勝千代が出した権中納言さまの御名と、騎馬隊が掲げる今川家の旗指し物がその躊躇いの原因だろう。
「何をしておるか!」
だがその迷いは、命じられたことを拒否するほどではなかった。
ぞろぞろと歩兵たちが槍を構え、武将の側付きたちも刀に手を当てる。
「なるほど」
勝千代はこてりと首を傾けた。
「帝に弓引く意志ありと?」
「そのようです」
朝比奈殿が端的にそう言った瞬間、強い風がザワリと木々を揺らした。
もちろん、表立って帝に弓引こうなどと思ってはいないはずだ。
だが朝比奈殿の応えは、明確に細川京兆家を帝を害する敵だとみなすものだった。
「細川京兆家は帝の御身に刀を向けた。すなわち武門の生まれたる我らはその刃を代わって引き受けねばならぬ」
「……な、なにをっ!」
勝千代の張り上げた声が、木々の間を縫って遠くまで響いた。
遠くと言っても、戦場で鍛えられたものではなく、広範囲に伝わるほどのものではない。
だがしかし、その場にいた全員の耳には届いただろう。
「……応!」
応えは、細川京兆軍の背後からも響いた。
ギョッとした兵士たちが振り返り、いつの間にか迫って来ていた重武装なし旗指し物なしの集団に唖然とする。
北条軍二百だ。
彼らの動きに気づかなかったのは、朝比奈騎馬隊のあまりの派手派手しさと、二百という北条歩兵の微妙な数のためだろう。
しかも足音を立てないようガチャガチャと鳴る武具は身にまとわず、戦装束も地味色だ。
彼らを率いているのは遠山殿。つまりは多くが隠密に特化した兵士だということだ。
五百対三百。
もちろん数の上ではまだ細川京兆家の方が多い。
だがしかし、前後に挟まれた形になってしまい、戦に慣れていない者たちがパニックを起こしたので、形勢は一気にひっくり返った。
しかも、朝比奈弓兵が強い。
勝千代の目の前と言ってもいい距離感で、雨のような矢が、今度は威嚇ではなく歩兵たちの中心部分めがけて降り注いだ。
木々と土の匂いをかき消し、生臭い鉄錆びの臭いが空気を濁す。
そこかしこから上がる悲鳴に、ドクドクと心臓が激しく脈打った。
至近距離で散っていく命は、きっとそれぞれで見れば平凡な、どこにでもいる人間だ。
失われてよい命などないという価値観が、勝千代の心的ダメージとなって積み重なっていく。
だがここで目を閉ざしてはいけない。
迷いは味方を殺すだろう。
勝千代がするべきことは、ひとりでも多くの兵を生き延びさせる事であり、それには敵兵の命は含まれていないのだ。
朝比奈殿の合図で、矢が止まる。
同時に、騎兵が構える長槍が歩兵たちに突き立てられる。
五百の兵は、長くはもたずに溶けた。
あっという間に命が散り、大量の血が大地に染みた。




