23-6 下京外 今川本陣7
運び出せないのなら、誰もそうできないようにすればよい。
結論は弥三郎殿と井伊殿のちょうど中間で落ち着いた。
北条の兵糧の不足分をいくらかだけ運び出し、残りは埋めてしまうことにしたのだ。
すぐに掘り返されては意味がないので念入りに、通常の工程では掘り返せないほどにしっかりと。
密閉された地下に米を保存するのは、湿気や害虫の面から適切ではない気がするのだが、そのあたりはもともとある洞窟を利用して工夫をこらしているらしく、一年やそこらで悪くなることはないそうだ。……本当か?
いざ掘り返してみたらカビだらけとか虫やネズミに食い荒らされているとか普通にありそうな気がするが、素人考えなのでコメントは控えた。
二十万石ということは、二十万人が一年食べる量ということだ。
ネズミに食わせるぐらいなら、貧しい者たちに義賊さながらばらまきたかったが、現状それをすれば戦が大混乱になること請け合いだ。
それは最後の手段にとっておくことにして、今は伊勢殿の手に米が渡らないようにするのが先決だ。
出入り口をふさぐのは井伊殿が請け負ってくれた。
何でも穴掘り系は得意なのだそうだ。城攻めで土塁に穴をあけ、そこから攻め込む技術を持っていて、難しい所だと井戸の底や石垣の途中からでも穴をあけることができるとか。
それこそ眉唾だが、本人ができると言っているのだから一応は信じておく。
今回は開けるのではなく埋める方だが、むしろそちらの方が簡単だというのは想像でもわかる。
掘り返す心配はせず、むしろ二度と入れないように埋めるようにと頼んでおいた。
ものすごく前のめりの、いい笑顔で了承してくれた。
天然の洞窟というのは人工物ほど正体がはっきりしているわけではない。
たった二か所の出入り口という触れ込みは、おおまかにはその通りなのだが、通常の人間では視認できない高さにもうひとつ、空気穴のような細い道があるのだそうだ。
呆れるほどの大きさの倉庫を探索していてそのことに気づいた佐吉の手の者を褒めるべきか、その抜け道を後で有効利用しようと秘匿しなかったことに感心するべきか。
ともあれ、そこを使えば後々でも米蔵に入ることはできるそうなので、馬場側だけではなく、御所側も塞いでおくことにした。
いずれ御所が復旧した時に、抜け道を使って脱出するような有事があった場合、逃げたはいいが出る事が出来ないという事態になるのは避けたい。
それにしても、二十万石の米とはどれぐらいの分量なのだろう。
是非とも一度この目で見ておきたかったが、問答無用でその意見は却下された。
天然の古い洞窟で、手で掘削しているわけではないから崩落のおそれもないそうなのに。
いいじゃないか。井伊殿は直接そこへ行くのだろう? 危ない事はないと言っていたじゃないか。
やんわりとだが頼んでみたのに、聞こえなかったふりをするのはあんまりだと思う。
専門的な事を話しあっている最中に、お子様の興味になど付き合っていられないというのは理解できるが。
勝千代は並んで座っている一条権中納言様を横目で見た。
先程からずっと黙って、湯気の立つ湯呑みを両手に持って床几に腰を下ろしている。
俯き加減の顔色は悪く、言葉少なくずっと黙っているのが気がかりだ。
「……何か気にかかる事でもございますか?」
勝千代が問いかけても、返答はない。
ただ湯呑みを握る手に力がこもり、しばらくして小さなため息がこぼれた。
今は何もかもが気がかりなのだろうが、愚痴を子供にこぼすことにためらいがあるのだろう。
心情が分かるだけに、それ以上の事は何も聞けない。
ただ黙って並んでいるだけだが、ひたすら溜息だけが漏れ聞こえてくる。
「……のう、お勝殿」
「はい」
非常に悪い顔をした井伊殿と、感心したように何度も頷く左馬之助殿の様子を見ながら、勝千代は強いて権中納言様の方は見ずに応えを返す。
「愛姫を嫁に貰う気はないやろうか」
「……は?」
ぎゅん、と周囲の視線が一斉にこちらを向いた。
……っていうかお前ら、こちらの話に聞き耳を立てていたな?
それなら米蔵への同行の件も無視するなよ。
いや、その話はどうでもいい。
一条家の一姫が、一地方の武将の嫡男に嫁ぐなど罰ゲームもいいところだ。
瑕疵もない姫君をどうして勝千代に嫁がせようなどと?
「……どうされましたか? 戯言にしては過ぎますよ」
権中納言様は再び溜息をつき、「そうよな」と疲れた様子でつぶやいた。
やはり何かあったのだろう。どこからかよくない話でも聞き込んできたか?
「愛姫さまは皇子の許嫁ではございませぬか。武家に嫁がせるなど戯言でもお気の毒です」
将来の東宮と目され、後々は帝になるやもしれない御方に嫁ぐはずの貴種の姫君だ。その父親が冗談でも口にしてよい事ではない。
再び黙り込んでしまったその顔をじっと見上げていると、権中納言様はぎゅっと目を閉じ、そして開いた。
「叡山から文が届いた。皇子を諦めるのもやむを得ぬと」
「そのような」
「帝も断腸の思いであらせられるのやろう」
勝千代はぎゅっと両手を握り締めた。
帝のその判断を弱腰と取るか、浅慮と取るか、あるいは武家には断じて従わないという強硬姿勢と取るか。
ご本人にはお会いしたこともないので判断は難しいが、実の孫を切り捨てる決断が簡単な事ではないのは理解できる。
横たわる幼い皇子の青白い顔を思い浮かべ、あんな小さな子供を諦めるなど……とは簡単には口にできずに奥歯を噛んだ。
「他には何か書かれていましたか?」
伏見にいる権中納言様にわざわざ知らせてよこすぐらいだから、よほどの何かがあったはずだ。
勝千代が問うと、深い溜息が帰ってきた。
「伊勢が、将軍宣下を急かせて来よるようや」
やはりそうか。
皇子の身柄を押さえたからか、強気でそんな事を言ってきたのだろう。
権威と金と、何もかもを手中にして、あとは実際の権力を目指そうというのか。
「……わかりました」
勝千代は静かに言った。
「これ以上もう待てないという事ですね。こちらも急ぎましょう」
皇子は取り戻す。必ず。
風魔小太郎が両軍の意識を逸らせるのは今夜だ。
明日の朝には水浸しの上京に混乱はいや増すだろう。
これ以上ないタイミング。
そして手元には六千の軍勢。
「叡山を押さえます」
勝千代のその言葉に、権中納言様は驚愕の表情をした。
だがしかし、そのほかの大人たちは、ある程度予期していたのか、意気よくかちゃりと刀の柄を叩いた。




