23-5 下京外 今川本陣6
権中納言様に続いて陣幕をくぐってきたのは、左馬之助殿だった。
甘めの顔立ちだが三枚目系だと思っていたが、こうやって武装していると、その姿は非常に見栄えがする。
さすが北条家の嫡流というべきか、同性目線でもモテ男の要素満載だ。
黄色というか、山吹色のような鮮やかな配色の左馬之助殿と、晴れ渡った青空の色を身にまとった朝比奈殿。大将クラスが二人並んでいると、圧巻というか、華やかというか、どうやっても視線がそちらに向いてしまう。
二人はそろって片膝をつき、権中納言様に深々と礼を取った。
その御本人といえば、公卿にしては目立たない色合いの狩衣姿だ。
「お勝殿、皆もな、この身はどうなっても構わぬ故に、あの御方をどうか……」
「騎馬での移動は大変だったでしょう。危うい事はございませんでしたか? 今白湯をお持ちいたします故、お座り下さい」
懇願する権中納言様の腕を引いて、最上座に案内した。
さっと子供用の床几と大人用の床几を入れ替えたのは、井伊殿の次男だ。
ようやく最上座という名のお誕生日席を押しつけ……もとい、譲り渡すことができて、無意識のうちに笑顔でも浮かべていたのだろう、権中納言様の強張っていた顔から若干険しさが抜ける。
「必ずお救いいたします。必ずです」
「……幼いそなたにかような重荷を」
勝千代はうっすらと涙の幕が張った権中納言様の顔を見上げ、ぎゅっとその腕を握った。
「重荷などではございませぬ。荒事は武士の勤めに御座います」
その場に膝をついた武士たちが、一斉に深く頭を垂れた。
「若」
改まった口調で声を掛けてきたのは、逢坂老だ。
朝比奈殿と話している権中納言殿をちらりと見てから、勝千代は床几から立ち上がり陣幕の切れ目がある場所へと向かった。
少し行かないと見えない場所に、地面に両膝を突いて控えている佐吉がいた。
物々しく鎧兜で武装した武士たちの間にいると、商人のいでたちをした小柄な佐吉は常にも増して頼りなげだった。
特に、その周囲にいる者たちの表情が険しいので、ちんまりと肩をすぼめている様はしおらしく自省しているようにも見える。
勝千代もまた渋い顔をせざるを得ず、ちらりと上目遣いに視線を寄こされてもほだされる気はしなかった。
この男が、畿内の米の流れの異変に気付かないわけがなく、知っていて言わなかったのは確かだ。
もちろん佐吉は勝千代に雇われているわけではないので、何もかもを話す謂れはない。彼らにとって情報は売り物なのだ。
特に朝倉家と何らかのかかわりがある佐吉が、多くを語れなかったのはやむを得ないのかもしれない。
とはいえ事ここに至れば、知っていることは話しておいて欲しかったとも思う。
朝倉家の兵糧にも小石が混ぜられていたのだから、まったくの無関係ではないはずだ。
「畿内の米が買い占められていると知っていたか?」
佐吉はじっと勝千代を見上げた。
その表情は何も知らぬげにも、隠し事があるようにも見える。
いや絶対に知らないわけはない。
「米座ではございませぬ」
そっと、周囲に響かない小声で囁き、佐吉はちらりと陣幕のほうへと視線を向けた。
ここに聞かれて困る相手がいると言いたげだ。
「問丸がかかわっております。馬借も」
馬借はわかるが、問丸とは?
聞きなれない言葉だったので小首を傾げた。
「米の値は需要によって上がり下がりいたします。近年、安いときに大量に買い込み、高くなるまで売らずにいる商売が流行しておりまして……」
それはいわゆる、米相場というものではないか?
……後から詳しく聞いたところによると、問丸とは、米を一時的に保管し販売する委託業者のようなものらしい。馬借は陸路を、問丸は海路を網羅し全国に米を流通させている。つまりは中間流通業者だ。そこが米相場で利益を出すために米の流通を弄っているというのだ。
米座も気づかず黙って見ていたわけではないが、とある筋から横やりが入って、苦情を言うに言えない状況が続いていたそうだ。
米座の決めた値段に口を出すわけではないから実害はなく。だが既得権を脅かされる気配に対処を話し合っていた最中らしい。
とある筋というのは……伊勢殿だろうな。
「つまり、二十万石の米俵は伊勢殿がため込んでいたわけではなく、その問丸馬借らの倉庫なのか?」
だとすれば民間の米ということになり、勝手に奪っていくのはグレー色が過ぎるな。
勝千代がそんな事を考えていると、佐吉はさらに用心深い表情になって、声を潜めた。
「それが……」
機を見るに敏な商人は、きな臭い空気を読むのも早く、下京にいた多くの商家は早期に避難し終えている。
だが、大量の米俵を上京にため込んでいる者たちは、歴史に類を見ないほどの大火の中でも逃げるのを躊躇い、かなり大勢が亡くなったという。
勝千代は思わずまじまじと佐吉の顔を見下ろした。
佐吉も神妙というには微妙な表情で、じっとこちらを見上げている。
おそらく二人ともの頭にあるのは同じ疑いだろう。
いや、そんな恐ろしい事はしないはずだ。たとえ大量の米を入手できるチャンスなのだとしても、誘惑は抗いがたいものなのだとしても、幕府政所執事たる者がそのような……
「当番の者が、合同の倉で米俵の数を管理しているはずです。幕府のお墨付きで、これ以上安全な倉はないという触れ込みでございました」
その場所は秘匿され、米座の者たちにも知らされていなかったそうだ。
忍びたる佐吉は好奇心から調査して、つい最近その存在を知ったという。
小太郎ら風魔忍びが米俵の数を把握したのは、数を数えたからではなく、その当番の者の口を割らせたのだろう。
勝千代は長く溜息をついた。
「佐吉」
「……はい」
「そのほう、どこかの専属でないのなら、我が福島家に雇われる気はないか」
佐吉は、予想もしていなかったという表情をして、ぱちぱちと数回瞬きをした。
「そのほうを紐をつけず放置しておくのは恐ろしすぎる」
他所に雇われて被害が拡大する前に、情報の最新を常に把握している男にしっかり手綱をつけておきたい。
勝千代はごしごしと拳で眉間を擦って、小さな目を丸く見開いているその顔を横目で見た。
「難しく考える事はない。優先してその手の話を持ってくるように言うているだけだ」
朝倉家ではなく、こっちを先にね。
「問丸と馬借らが米をため込んでいる倉庫は見つけたが、その米をどうするか迷っている。商人として最善の手を考えよ」
餅は餅屋だ。商人であれば、いいようにしてくれるだろう。
民間の米ならば、勝手に拝借するのではなくきちんと銭をはらえばいいだけだ。
「やり方は任せる故に、あの方の濡れ手に粟な状況にならぬようにしてくれればよい」
「お任せを」
佐吉はこれまでの不安そうな振りをきれいに消して、急にはっきりとした口調でそう答えた。
その声の調子に驚いて見下ろした男の顔は、すぐに伏せられたのでよく見えなかったが、何故かうっすらと笑っていたような気がした。




