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春雷記  作者:
京都編

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23-2 下京外 宿場町2

 その話を聞いた瞬間、さっと血の気が引いた。

 話そのものではなく、そこから即座に思い出した「とあること」のせいだ。

 忘れていたというよりも、あまりにも緊急事態が続き過ぎ、その情報にさほどの緊急性重要性を感じていなかった。

 優先順位として後回しにしていたともいう。

 少し前に、逢坂老の息子から、淀宿から南の宿場町で馬の需要が高まっていると聞かされていた。どこかの誰かが物資の輸送用に大量の馬を買い上げて行った為だ。

 大きな戦の前であれば、おかしな話ではない。

 他の勢力に奪われないように、あらかじめ米を集めておくという手立ては順当なものだ。

「伊勢殿が兵糧を独占していると?」

「おそらくは。伊勢側からの兵糧の供給がなくなりましたので、いささかうちの蓄えが尽きつつあり……」

 小太郎の話を半分ほど聞いたあたりで、ものすごくしてやられた気分になった。


 補給は、遠征の場合現地調達がほとんどだ。敵地の蓄えを奪うのも作戦としてありだが、そもそも北条軍は戦のために上洛したわけではない。

 もちろん、当初から金銭を払って購入することを前提にしていただろう。

 それがここにきて入手が困難になった。

 方々からこれだけの大軍が集まってきているのだから、兵糧が枯渇してしまうのは無理もない事だ。

 勝千代の脳裏に過ったのは、伊勢殿が当初からこうなることを予想していて、事前に兵糧を集め隠していたのかもしれない、ということだ。

 兵糧が尽きれば、大軍の足は一気に鈍り、まともに動かなくなる。

 北条軍とて、兵糧が枯渇したところでそれをネタに合力を要請されれば、やむを得ず味方にならざるを得なくなるかもしれない。

 今川軍はどうなのだろう。余力はあると言っていたが……


「何か御存知で?」

 思いっきり眉間に皺を寄せてしまった勝千代を見て、小太郎が何を考えたのか、探るように目をすがめた。

 身にやましい事はなくとも、ぎくりとしてしまう目力だ。

「半年ほど前から馬をやたらと買い集めている者がいるそうだ」

 隠すことでもないので素直に答える。

 手が足りていたら、もっと詳しい事を調べさせていたが、情報を拾っただけで何もしていなかった。

 半年も前なら今回の件とはかかわりないかと思ったためだが、よくよく考えたら米の収穫は年に一回。秋口にかきあつめるというのはおかしな話ではない。

「馬ですか」

「大量の荷馬が入り用だったようだ」

 小荷駄隊を使っての運搬にせよ、実際に馬を引いたのは人足あるいは足軽だろう。馬を引くだけの役割で雇われた者がまだ淀の宿あたりにいるかもしれない。

「なるほど」

 小太郎は少し考える風な顔をして、首を傾けた。

 身体も巨大ならば顔も大きく、頭蓋骨からして頑丈そうだ。

「糸口になりそうですな」

 あの頭で頭突きされたらあっさり死ねるな……そんな事を考えながら、勝千代は同意のために頷きかえす。

 あと心当たりと言えば……

「兵糧を隠すとするなら、幕府が大量の米俵を運び込んでも誰も疑問を持たない類の場所だろう」

 勝千代はじっとこちらを見ている巨躯の忍びに視線を返し、内なる疑問を投げかけて良いものか迷った。

 後世にまで伝わる忍びの名を有する男が、米俵を探し出せず困っている?

 本当に?


「……それで、探し物は見つかりそうか」

 勝千代の疑念交じりの問いかけに、再びその口角が上がった。

 歯をむき出しにして笑うなよ。ただでさえ顔が怖いんだから。

「言えるのなら言うてしまえ。聞かなかったことにしてほしいというならそうする」

 段蔵や弥太郎の視線が、小太郎からようやくこちらに向いた。

 わかっている。気を許すなと言いたいのだろう。許してなどいないから大丈夫だ。

「こちらもこの先少々騒がしい事になる。ゆっくり話を聞ける機会はそうそうない」

「素波とゆっくり話をなさりたいとは御奇特ですな」

「話す気がないならよい」

 小太郎がぱっと右手を上げて、掌をこちらに向けた。

 とっさに反応し身構えたのは勝千代の側付きたちで、段蔵は微動だにせず、弥太郎はさりげなく袖口に手を添えている。

 何をしても、どういう態度をとっても、この男を最大級に警戒してしまうのは仕方がない。

 当の本人はそういう扱いに慣れているのか、微塵も気にした風はなく、むしろ機嫌良さげに笑っていた。

「ここだけの話です」

「深刻な話をするなら、深刻そうな顔をして喋れ」

 異様に発達した犬歯をむき出しにしてニヤニヤ笑うその表情は、内緒の話をしているようにも、真剣な話をしているようにも見えない。

「兵糧枯渇はうちだけの問題ではないようで」

「半年前から買い占めをしていたのならそうだろうな」

 小太郎はそういう事ではないと首をふり、思っていた以上に悪質な話をし始めた。

「既存の米俵の半数以上に小石が混じっておりました」

 この時代の脱穀事情はお察しだから、小石や枯葉が混じるなどよくあることだ。小太郎が言っているのは、意図して大量に混ぜられていたということだろう。

 一日の摂取カロリーのほとんどを米でまかなう戦国時代において、それは非常に深刻な問題だった。

 つまり確保していると考えている米はかさましされた量で、実際はその兵糧は半分ということだからだ。

「それは北条軍の事か? 他所でも同様の事が起こっているのか?」

「兵糧は厳重に警備されているので、すべての箇所を調べたわけではありませんが、阿波軍朝倉軍の米俵は小石混じりでした」

 敵味方関係なく、兵糧そのもので戦況を管理しようとしている?

 再びぶるりと寒気がして、そっと両手で腕を擦った。

「御存知の事情により、当家の副将及びその配下の幾らかが処分されました。兵糧方を取りまとめていた者もそのうちのひとりで、頭が処分された後にその下の者が幾人か行方不明になっております」

「いなくなった?」

 消されたのか? と言外に問うと否定された。どうやら手荷物をまとめて逃亡したのだそうだ。

 なるほど。探しているのはその者たちか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 軍馬にせよ兵糧にせよ経済先進地である畿内周辺で買い占めると言えるほどの量を購入する資金はどうなのかと思いかけたら混ぜ物の話。 それまでの出費を回収する手段というシンプルな話ではなさそうでい…
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