22-4 下京~今川本陣1
歯噛みする庶子兄を尻目に、悠然と兵たちの囲いを抜ける。
二十騎の騎馬隊程度、強引に攻め立てどうにかしたいところだろうが、掲げられた旗指し物が邪魔をする。
ここで攻撃を仕掛けてしまえば、遠巻きに見ている者たちが一斉にその無法を全国に知らせるだろう。
勝千代たち不審人物的集団を囲むのとは意味合いが全く違う。
幕府の兵が今川を攻めたと風聞が立つことは、伊勢血族をまとめて味方に引き込みたい伊勢殿の計略を根幹から揺るがす。
……いい事を考えた。
朝比奈殿の軍馬に乗せられ、その朝比奈殿自身は轡を取って真横を歩くという、非常に居心地の悪い状況下で、勝千代はその「思い付き」を頭の中でもてあそんだ。
要は、結束を防げばいいのだ。
いつの間にか味方になっていたではなく、何故か敵対していたという風にしてはどうだろう。……いやそれだと、今度は細川陣営に与することになるのか?
やはり理想は中立。どちらからも距離を置くようにしたい。
幸いにも今川領は京からは遠いので、上手く時間稼ぎが出来れば逃げ切れる可能性が高いが、同じ伊勢派閥でも逃れられない一門もいるだろう。彼らとて、旨味もない戦の頭数に入れられる事など望んでいないはずだ。そこと何とか連携は取れないか。
連携は取れずとも、諾々と伊勢殿を信じるのではなく、多少なりと疑ってくれれば話はだいぶ変わってくる。
勝千代はちらりと、斜め前を行く騎馬の旗指し物を眺めた。
……予備の旗はあるのかな。工作に使う用に譲ってもらうわけにはいかないだろうか。
勝千代が頭の中で良からぬ考えを弄んでいるうちに、一行はあっけないほど簡単に下京を抜ける事が出来た。
三条大橋は落ちたが、他の橋はまだ健在なので、騎馬で川を渡ることに支障はない。
問題があるとするなら、皇子とともに脱出できなかったということだ。
伊勢殿あるいは他の何者かに捕えられたにせよ、御無事にせよ、状況がわからないうちは動きようがないと、勝千代らも下京から出ることに同意した。
もし横槍が入らなければ、皇子もこの場にいたかもしれない。たらればを考えるより、先の思索をするべきだったが、乳母殿が恐慌状態だと気づいていたのに何も手を打たなかった事が悔やまれる。
五千という兵が、狭い盆地の川岸に並ぶさまは、普通の人間が想像し得る大軍そのものだった。
むろん一万二万の軍勢と比べると見劣りするのだろうが、川の向こう岸という限定された区画を見るだけなら、さながら行く手を遮る壁のようだ。
東山の新緑を背に、無数の旗指し物が揺れる様に、勝千代は軽いめまいを覚えた。
お祝い事の行軍なので、実に華やかで賑々しい軍団だ。
白地に紺色の家紋も高らかに、伝統ある今川家の格式を前面に掲げている。あの白地の旗を、一旗たりとも血に染めるわけにはいかない。
出ていってそれほど経たず引き返してきたのだろう総大将に、最前列にいた旗持ちたちがまず不審そうな顔で出迎えた。
朝比奈殿たちがいるのだから問題ないだろうが、疲れ切った公家装束の幾人かと、他ならぬ朝比奈殿の軍馬にまたがったお子様、徒歩で続く軍装ではなくただの旅装の武士たちの姿に、何も思うなという方がおかしい。
だがこちらに目をすがめ訝し気にしていた足軽頭が、何かに気づいたようにはっとした。
その表情がいかにも嬉しそうにほころんだので、総大将の無事を喜んだのかと思ったが、彼らの視線は間違いなく勝千代を見ている。
なんだ、どこかで会ったことがあるのか? と首を傾げてしばらく考え、そういえばここにいるほとんどが遠江勢だという事を思い出した。
そろいの旗指し物を背負っているのでつい忘れそうになるが、この時代の軍隊といえば数多くの国人領主や地方の有力武士などが家臣を従えて参加するものだ。
おそらくは、曳馬城でのあの戦で、勝千代を目にしたことがあるのだろう。
こういう場合はどうすればいいのだ? にっこり笑って手を振り返すのか?
なんだか違うような気がして、反応に迷っているうちに、真正面に美しい水色の陣幕が見えてきて、そこには朝比奈家の家紋が描かれていた。
その内側から何やら揉めているような声が聞こえ、ロイヤルスマイル的反応をする前に我に返った。
想像以上の歓迎の気配に、気が緩んでしまったらしい。
内容は聞き取れずとも、漏れてくる会話は穏便ではなく、罵詈雑言に近いものが伝わってくる。
朝比奈殿が轡を引いて、軍馬を止めた。
何も合図せずとも、弥三郎殿が連れてきた公家装束の男たちをどこかに連れて行くよう指示している。
さっと手を差し伸べられて、ちょっと困惑した。
豪華な総大将の装いをした朝比奈殿に、手ずから下馬させてもらう事に躊躇したのだ。
だが、この手を断るのも非礼だ。
迷ったのは瞬き一回分ほどの間で、すぐにその手甲をつけた手に指先を乗せると、思いのほか力強い力で腕を引かれ、軽々と馬から降ろしてくれた。
「すぐに片付けます」
揉め事の方に気を取られていたので、朝比奈殿の言葉をよく聞いていなかった。
手を握られたままずんずんと陣幕のほうに連れて行かれた。
さっと小走りに先を行くのは、朝比奈殿の側付きたちだ。
若干足をもつれさせながら歩く先で、陣幕の内側から漏れ聞こえる声が次第に大きくなってくる。
「そのほうらに我らの行動を止める権限などない!」
「いや、そう申されましても」
返す声の主は井伊殿ではないか?
そういえば、陣幕の際に立っている二人の若武者にも見覚えがある。
仏頂面のほうは井伊彦次郎殿、びっくりしたように目を剥いているのは、確かその側付きにいた奴だ。
「ええい無礼者が!」
ガチャッと何やら固いものがぶつかるような音がした。
井伊殿の次男がはっとしたように陣幕の内側に顔を向けると同時に、朝比奈殿は足を止めることなくその内側に歩を進めた。
もちろん、勝千代の手をぎゅっと握ったままだ。




