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春雷記  作者:
京都編

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21-6 下京 和光寺5

 気づかれた。

 勝千代がそう察する前に、うちの連中は動いていた。

 狭い廃寺に連れてきた全員がいるのはいかにも多いので、周辺に身を潜めて警戒させていたのだ。

 乳母殿の声に気づいて何らかの動きを見せる前に、素早く「対処」したそうだ。

 悲鳴を上げたり、助けを呼んだりする隙は与えなかったと胸を張るのは市村だ。

 すぐにその首を刈り取らず、猿轡をして連れてくるあたり、勝千代のやり方に馴染んでくれている。

 散々言い聞かせたからね。本当にどうしようもない非常事態でない限り、「ヨシ」の号令なくして刀を抜かないと。

 基本的なことなのに、浸透するまでに時間がかかった。

 指揮系統は徹底しているのに何故こういう状態だったかというと、もちろん父の方針がそうだったからだ。

 名のある武将である父だが、どうにも力技が過ぎる。

 目の前にいる者が邪魔になるのなら即排除。効果的ではあるのだろうが、必要以上に敵を増やすだけだ。


 そして今目の前に転がっているのは、猿轡をされ気を失っている兵士が五人。

 ひとりはそれなりの身なりをしていて、残りの四人は簡易な胴丸姿。前日にも来た足軽頭とその配下の者たちだろう。

 勝千代の予想どおり、再びうまい汁を吸おうとのこのことやってきて、乳母殿の声に気づいたというわけだ。

 声を聞かれたからと言って、誤魔化せないわけでもなかった。しかしこの方の場合、身分ある公家の女性だと一目でわかってしまうだろう。

 ここに長居するわけでもなし、知らぬ存ぜぬで流せたような気もするが、こうやって拘束してしまった以上、その身柄をどうするか考えなければならない。


 意識のない兵士たちが転がされているのは廃寺の本堂だ。

 今その床板の一部が外され、隠し部屋への薄暗い入り口がぽっかりと口を開いている。

 縄梯子は下ろされているが、まだ誰も上がってきてはおらず、上と下とに集まった者たちで話し合いが行われていた。

「始末いたしましょう」

 そう言った田所の意見に同意するのは、下の隠し部屋にいる土居侍従含め公家側の者たち。

 上の本堂に並ぶ福島家側の多くは、勝千代の判断待ちで黙っている。

「たかり屋の一人二人、消えたからというてすぐに大事にはなりますまい」

 田所があえてそう言ったのは、真っ青になっている乳母殿が、口元を押さえて「殺せ、殺せ」とうわごとのように呟いているからか。

 朝倉の兵が憎いというよりも、自身の失態に震え上がってしまっている。

 危うく皇子を追っている者たちを呼び込むところだった。彼女にとっては、その事実が相当に堪えているようだ。


 薄暗い地下の隠し部屋は八畳ほど。それほど広くはない。

 そんな中に十人以上の人間がいて、しかも外からの明かりがほとんどない特異な状況。頼りない灯明のあかるさでは、余計に暗がりが増すだけだ。

 荒事に慣れない乳母殿が、精神的な均衡を崩してしまうのも無理はない。

 勝千代は隠し部屋の奥にわずかに見える、横たわったままの小さな皇子に目を向けた。

 誰よりもこういう事態からは遠ざけられてきただろうに、よくお耐えになっている。

 皇子の御目に触れないようにするべきかと迷ったが、情報をシャットアウトすることがためになるとは思わない。

 幼いからと、現実を見せずに生きていけるほど穏やかな時代ではないのだ。


「このまま眠らせておく」

 勝千代はあえて、流血沙汰を避けた。

 今解放するのは問題外なので、始末するかしないかの選択になる。

 じっとこちらを見上げている皇子の目が気になったからではない。

 ただ、命を刈り取るだけが武士ではないと知ってほしかったのかもしれない。

 田所は軽く頭を下げてそれを受け入れたが、土居侍従はやはり反対のようだった。

 皇子のお耳に入らないなら、もっと露骨に「処分」を望んだだろう。

「尋問せずとも?」

 一瞬、日焼けした田所の顔に、その真逆の色合いの田所兄の顔がダブって見えた。

 その手の仕事が得意なのは兄だけかと思っていたが、この男も心得があるのだろうか。

 嬉々として繰り広げられる拷問風景を想像してしまい、言葉に詰まった。

 それこそ、皇子の教育上よろしくない。

「……聞き出さねばならないことが何かあるのか?」

田所は「はて?」という顔をして小首を傾げる。

「必要になってからでよい」

「それでは、縛り上げて隠し通路の方に転がしておきましょう」

 勝千代はちらりと乳母殿に目を向けた。

 いまだに小さな声で「殺せ、殺せ、殺さねば」とつぶやいている姿は、見目が美しく可憐なだけに、妖怪じみたおどろおどろしさがある。

 彼女からは遠ざけたほうがよさそうだが、狭い廃寺にはほかに隠せるようなところはないのだ。

 足軽頭らを生かしておくのなら、隠し部屋かその先の通路で拘束しておくしかない。見つかってしまえば、それこそ言い訳のしようもなくなる。

「あの者が下町で騒ぎを起こしていると噂を流しておけ」

 勝千代はその場にいる大人たちに倣って、乳母殿と視線を合わせないよう目を反らした。

 苦しそうな表情でささくれの多い床に転がっている男たちに、「間が悪かったな」と心の中で吐き捨てる。

 常日頃からそういうトラブルが多そうな男だから、騒ぎが起こったと聞いても誰も驚かないだろうし、そのせいで数日行方不明になっても顔を顰められるだけだろう。

 自業自得だ。

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