20-6 伏見 宿2
そうは問屋が卸さない。
親書を一通り読み終えてから、勝千代の抱いた感想だ。
今のこの状況下で、将軍のお披露目をするなどと正気の沙汰ではないし、親書を送られた全員が、もろ手を挙げて参列するとも思えない。
おそらくは既成事実として将軍位に座ってしまおうという算段なのだろうが、時期尚早すぎる。
いくら幕府政所執事の伊勢殿が新将軍でございと公表したとしても、誰もが真っ先に思う正統な後継は阿波の御方なのだ。
義宗殿は血統的には嫡流なのかもしれないが、世代が移り本流からは外れてしまっているし、そもそも帝からの宣下がないうちに名乗りを上げるのはまずい。
敵対勢力はこぞってその事を突っ込んでくるだろう。
伊勢殿がそのあたりを計算にいれないとは思えないのだが……
「まさか参列なさるのですか?」
「しとうはないが、どうやら細川管領殿が御自ら参列なさるとか」
この戦況下で?
「罠ではないですか? あるいは代理をたてるとか」
ご本人は病が篤いと聞いている。起き上がれないほどではないのだとしても、わざわざ敵地に出向くだろうか。
「重篤だと言い張ってしまえばよろしいのでは」
怪我が酷く高熱で苦しんでいる設定でいいじゃないか。
わざわざ火の中に飛び込んでいくことはない。
「それはそうなのだが」
煮え切らない返答だ。勝千代が知らない何か事情があるのだろうか。
「御屋形様がご参列なさるとか」
御屋形様? どこの御屋形様だ?
逢坂老のしわがれた声に、勝千代はきょとんと眼を見開いた。
え? まさか今川の?
ぎょっとして逢坂の顔をまじまじと見つめてみたが、皺顔を渋く顰めているだけで考えていることは読み取れない。
最近更に体調がすぐれず、遠出ができる健康状態ではないというのは逢坂も知っているはずだ。
「いらしているという話は聞いておりませんが」
「御不調を押して、新たな将軍家の御為にいらしたそうだ」
左馬之助殿の表情も渋く、この情報がいかにも怪しいと感じているのはわかる。
勝千代はもう一度逢坂老の顔を見てから、左馬之助殿に向き直った。
「こういう事態になっていると知らせが駿府に届いてから、御一行が到着するまでの時間が合いませぬ」
「そうだな、つまり義宗殿が門主になるのではなく、足利家の嫡流として名乗りを上げると知っていたということだ」
……本当に?
「いえ、御屋形様御本人がいらしているのなら、なにがしかの知らせが入るはずです。福島家には伏せようとしたのだとしても、こちらにはほかにも、今川館が京に送った者たちがいます。彼らが何も知らないわけがありません」
ちらりと奥平の顔が脳裏に過った。
あの男がまさか、知らぬふりをして企んだとか?
「奥平は?」
「控えさせております」
「このことを聞いてみたか?」
「初耳だと驚いておりました」
勝千代は左馬之助殿に断ってから、その場を中座した。
立ち上がる際に膝ががくりと崩れ落ちそうになり、小荷物状態で運ばれていただけなのにかなり疲労しているのがわかる。
そういえば、まるまる二十四時間以上寝ていない。
お子様にはハードすぎる一日だ。
奥平は、左馬之助殿を通した部屋から階段を挟んだ反対側で待っていた。
せかせかと勝千代が入室すると、下座に控えた奥平とそのほか数人の文官たちが深々と頭を下げる。
「聞いたか」
用件を言うのももどかしく、若干の早口でそう問うと、奥平は若干ためてから半白髪の頭を上げた。
「はい。絶対にありえませぬ」
きりりとした表情をしていると、この男も随分まともに見えるのだ。
勝千代はおざなりに頷いて、奥平だけではなく、いまだ頭を下げたままの二人にも目を向けた。
「表立っては、御屋形様御本人がおいでになることになっている。小耳に挟んだ程度の事でもよい、何か知らぬか」
「我らは桃源院さまの命を受け、毎年御実家の墓に参り幕府に挨拶も致します。今の時期に上洛なさるのであれば、何らかの指示があったはずです」
そうだよな。
上洛ともなれば御屋形様おひとりということはなく、当然幾らかの軍勢も引き連れてのことだろう。宿泊場所とか、兵糧の都合とか、雑務は山ほどあるはずで、京の事情に詳しい奥平らにその仕事が回ってこないわけがない。
たとえ偽りでも、御屋形様が上洛したということなら、実際に今川の軍勢が来ているのだろうか。
誰の指示だ? 御屋形様だろうか? それとも……
「聞くところによりますと、東海道沿いに行軍してきているそうです。すぐにも確かめに行ってまいります」
「待て」
勝千代は、鼻息も荒くそういう奥平を制した。
頭をよぎるのは、北条軍の副将が伊勢殿側に立っていたことだ。左馬之助殿は何も聞かされていなかった。勝千代の介入がなければ、北条家はなし崩し的に伊勢殿側に立つことになっていただろう。
北条殿が伊勢殿に合力するつもりでいるのなら問題はないのだ。
だがしかし、なし崩し的に「そういう事になった」という状況を作ったのであれば、それこそ越権行為そのものだ。
いくら北条家が伊勢一族の血を引いているのだとしても、伊勢殿にそれを決めつける権限などない。
今川家はどうか。
御屋形様が病床にあり、方針を決定する権限がどこにあるのか定かではない。
もちろん最高権力者は御屋形様だが、今現在、その権限の多くは今川館の誰か、桃源院様か御台様か、その派閥の者たちが握っている。
今のこの状況を、御屋形様であれば冷静に趨勢を見てから立場を決めようとなさると思うのだが、ここでもなし崩し的に「そういう事になった」としたいのではないか。
伊勢殿自身は、それほど多くの兵を保有しているわけではない。
だが伊勢一族は全国に広がっていて、その一門は緩く「伊勢」という血脈でつながっている。
もしかすると伊勢殿はそれをひとつの勢力としてまとめたいのかもしれない。
なし崩し的という、偶然や不確定要素が多い出来事のように見せかけて、その実念入りに計画を立て裏工作もしているのだろう。
武力ではなく智謀で世を動かす? 容易い事ではない。
勝負に出たのか。
今この時しか機会はないと、そう思うきっかけが何かあったのだろう。




