20-3 山科 山中3
え、誰?
弥太郎の仕草から、別口の味方がいる事は察していたが、それが問題の男の真後ろにいるとは想像もしていなかった。
勝千代にとって悪くはない予想外だが、連中にとってはそれ以上の衝撃だっただろう。
真後ろにいるということは腹心、あるいは護衛だ。つまり、毬のように首が飛んで行ったあの男にとって、少なからぬ信頼を寄せていた人物のはずだ。
そういう事を深く考える間もなく、勝千代は空を飛んでいた。
正確には、飛ぶように運ばれていた。
勝千代を抱きかかえて走っているのは土井。
並走しているのは谷。
舌を噛まないようにするのが精いっぱいで、今どういう状況になっているのかわからない。
全力疾走で駆け抜ければ、山科から伏見までそれほど遠い距離ではない。
問題は追っ手だが、トップがあんな風に首を飛ばされて、すぐには混乱は収まらないだろう。
谷が時折背後を気にする素振りをするから、少なからず追っ手は居るのだと思う。だが、五倍の数に囲まれるという絶体絶命の状況からは脱したはずだ。
追っ手がいるのだとしても、撒く必要はない。
ただこのまま、伏見に逃げ込めばよい。
だからこその全力疾走なのだろうが、この移動方法はちょっと……。
土井は走るバランスが悪いから駄目だ。だっこは安定感のある弥太郎がいい。
もちろんそんな意見など言う暇があるはずもなく、勝千代にできるのは舌を噛まない事と、酔わないよう目を閉じている事だけだった。
まるでジェットコースターに乗っているような気分で、全身から血の気が失せ今にも吐きそうだ。
特に三半規管と胃に対する攻撃が暴虐的で、一瞬にして食道付近まで胃液がせりあがってくる。
運ぶ方にもかなりの負担だろうが、運ばれる方も相当につらい。
証如はどうしているだろう。その無事については確信があった。
しかし、勝千代はある意味こういう状況に慣れているが、あの子は違う。
さぞかし恐ろしい思いをしているだろう。
それほど長い時間ではないだろうから、気を強く持って耐えてほしい。
「誘導されてないか?」
ふと、土井の声が耳朶に響いて我に返った。
あまりにも悪路で、意識がちょっと飛んでいたようだ。
「わからないが、追われているのにまったく手を出してこないのが妙だ。少し経路が東に寄りすぎている。山を下った方が良いかもしれぬ」
谷がそんなに長く喋るのは珍しい。
いやそんなことよりも、伏見まですぐにたどり着けると思っていたのに、うまく行っていないようだ。
勝千代の十名の供と証如は、敵を分散させる目的で少人数に分かれて別ルートを取っている。
証如のほうに追手が集中していないといいのだが……
「追手の数は」
「二十数名です」
勝千代の問いに、まったく見えない位置からそう言ってきたのは弥太郎だ。
お前いたのか、という突っ込みよりも先に、だっこチェンジで! とオーダーを出したくなったが我慢した。
「あの場で十五名は倒しましたので、残りは四十名弱。うち半数がこちらに来ています」
子供が二人いることに気づき、証如のほうにも追っ手を仕向けているのだろうか。
リーダーが討ち取られ、混乱しているだろうに、直ちに手立てを講じてきたのは優秀だ。
どこの者だろう。
土井が斜面を降り始めたので、なおの事激しく揺らされながら、勝千代はぎゅっと奥歯を噛みしめ吐くのを堪えた。
「三郎が、伏見に、は、入るまで……」
仕方ないだろう! すごい悪路なんだよ。まともに喋るなんて無理だよ!
勝千代は舌を噛まないように必死だった。
弥太郎も谷も、走りながらよく流暢に喋るよな。
「で、できるだけ、ととと遠回りで……お、追っ手を引き付け……っ」
「承知」
ふっと、笑われた気がして、頑張って目を開けて弥太郎を探した。
途端に視界に入ってきたのは、切り立った崖に見える斜面だ。
どこだよ、ここ。
京近辺の山はそれほど高くないはずだし、伏見から山科に来る道中にこんな景色はなかった。
道を選択している土井がよほどの方向音痴なのか、追っ手に誘導されているのか。
土井の肩越しに見えたのは、うっそうとした山並み。
太陽の位置から考えると西方面は崖。
勝千代の供回りは谷と土井と市村だけだった。三人ずつの分隊にわかれたのだろう。
ちなみに、弥太郎の姿はどこにもない。
時間的に考えて、本願寺からそれほど離れたとは思えない。まだ誤差範囲で伏見へ向かうことはできるだろう。
ただし、素人目にもルートをかなり外れている。地理的に考えると、山沿いに大和方面にかなり下ったのだろうか。
「追っ手、後方に十。前方にも回り込まれています」
土井の傍らを走っていた谷が、弥太郎のその報告にひゅっと息を吸い込んだ。
この男に関しては恐怖ではないだろう。
薄目に開けて見た先で、青々とした木々の鮮やかさに比例するかのように、その目が爛々と輝いている。
……いやね、楽しそうで結構なんだけど。
いいよね? 切ってもいいよね? と、さながらワンコのようにこちらを見るのはやめて欲しい。
勝千代は土井の肩に顎を乗せ、舌を噛まないように注意しながら「いけ」と声に出さずに指示を出した。




