19-3 山科 本願寺2
「……ひとつ、お願いがございます」
熟考の末、興如は目を閉じたまま強い口調で言った。
「あなた様を信じ、託します。その事だけをお約束頂ければ、我らは何としてでも使命を果たしましょう」
今度は勝千代が黙った。
一人残さず殺されかねない事態の打開案を持ってきた。
それは、本願寺にとっても試す価値のあるものだと思う。
あえて勝千代に条件を突きつけるのは、そうすることに抵抗があるからか、あるいは後顧の憂いを絶ちたいからか。
「うまくやります。成し遂げられると思います。ですが、多くの門徒が命を懸ける事になります」
「六角を引かせる為というのは、理由にはなりませんか」
「それを望まないわけではありません。ですが、後々まで続く禍根を残します」
「本願寺が落とされるのは、禍根どころか御宗派にとって大きな痛手でしょう」
「ええ。ですから」
興如は、これまでの死人のような土気色の顔ではない、もっと生気のある、馴染みのある表情で勝千代をじっと見つめた。
「証如さまを五年、お預かり願えませんでしょうか」
「わたしがですか?」
ぎょっとして問い返すと、興如は至極真面目に頷いた。
「行儀見習いとして、福島家でお育て頂きたい」
それはちょっと勘弁してほしいというのが本音だ。
ただでさえ、高天神城には居候がひとり、厄介者のくせに大きな顔をして居座っている。
最近では地下牢をまるで己の部屋であるかのように快適に改装しやがって、ずうずうしく書物の差し入れを無心するほどだ。
狭い山城に、二人目の居候ができるのか? どう考えても勘助と証如の相性は悪そうだし、考えただけでも胃が痛くなる。
「証が欲しいのです」
難しい顔になった勝千代に、興如が力強い声で続ける。
「門徒は滅びても、御血筋は残るという証が」
いや、滅びるまで戦えと言っているわけじゃないんだけど。
頭の片隅に、一向一揆の四文字が過った。……いや、一揆をするわけではない。農民たちに田畑を捨てて武器を持てと言っているわけではないのだ。
……もしこれが後世一向一揆と呼ばれるものになるのなら、勝千代が発起者ということになるのか?
今さらながらに、やめておいた方がいいのかもしれないと迷いが過る。
勝千代が知る一向一揆は、歴史上に残るほど大勢が死ぬ争乱だった。農民だけではなく武家の一部も加わった、内乱に近いものだったと思う。
少しでも流血を減らしたいのに、その真逆を行く結末に向かうのだとすれば……
「興如様」
勝千代の心に、これまで無かった感情が沸き起こった。
歴史は変えられない、変えるべきではないと思っていた。だが、勝千代がかつて学んだ歴史の陰惨な部分を、少しでも違うものにできるのでないか。
「私は門徒たちの血はできるだけ流さない方向で行くべきだと考えます」
ずっと、何故己は武家の嫡男に生まれねばならなかったのだと考えていた。
幼少期から平穏とは遠い暮らしを強いられ、血の匂いが濃い空気を吸って育った。
元服すれば戦に出て、なおも大勢の命が消えて行く様を見なければならない。いや、むしろその命をすり潰す側の人間なのだ。
四年もたてば折り合いも付き、理想よりも先に身近な者たちを守るために力が必要なのだと納得しているが、決してまだそれを是だと言い切ることはできない。
近い将来、今川館に言われるがままに戦に明け暮れる日々の中に、いずれ一向一揆を相手に血を流すときも来るのかもしれないと心の奥底では危惧していた。
一向一揆という事は、相手は農民が主だ。
いずれ来るはずの時代の流れを変える事が出来れば、農民たちが大量の屍を晒すあの惨事に手を染めずに済むのではないか。
「何か事を起こす場合でも、本願寺派だと名乗るべきではないと思います」
「……いや、それでは」
興如はぎゅっと眉間にしわを寄せ、いぶかしげな表情をした。
勝千代が授けた策は、全国各地に散っている門徒たちの一斉蜂起だ。今六角軍が本願寺を囲んでいるこの事態を何とかする為に、各地で門徒たちに抗議行動を起こさせようという、つまりは敵の後方を突く作戦。
農民が主なので、細かな作戦ではなく、力業で行こうかと考えていたのだが……
「あえて彼らには普通の生活をしてもらい、平和的に抗議文や訴状を上げてもらいましょう」
「そのようなことで六角軍は引きますか?」
「六角についてはそれだけでは厳しいでしょうね。ですから、直接軍部内に細工をしましょう。こっそり兵糧を奪い、馬足に細工をし、流言をするのです」
この時代の軍の過半数が歩兵、かつ農民階級である。雑兵ともなれば、ほぼ九割以上。そんな彼らの中にも、本願寺派の門徒は多くいるだろう。
こっそり人為的ミスとも取れなくないあれこれをして、「御仏が怒って居なさるのかもしれぬ」と怯えたふりをしてもらう。
これ以上は無理だと戦を放棄しても、大勢が祟りを恐れている態であれば、本願寺の策だと疑いはしても全員の処分は出来まい。
これこそが、みんなでやれば怖くない方式だ。
流言を馬鹿にしてはいけない。噂はこの時代におけるもっともポピュラーな情報入手経路であり、それが正しいか正しくないか判断するのはとても難しく、ましてや迷信を信じる者が多いこの時代においては、時に真実よりも真実になる。
「力がない者なりの戦い方をするべきです。死んでしまえば、土を起こすことも御仏を敬うこともできなくなります」
なにも、武士と同じ土俵で戦う必要はないのだ。
それを卑怯というのであれば、馬を降り刀を捨てて殴り合いで勝負すればいい。
19時。
更新時刻、実験的にいろいろしています。
ご迷惑をおかけしております。




